54話 ある世界の出来事
ここはどこだろうか。
気が付けば優理は森の中で樹の幹に背中を預けてで枝の隙間から見える空を眺めていた。暖かい日差しと透き通る青空は見続けると眠気を誘うほど心地が良く、このまま眠ってしまおうかと思った。
(あれ? 私、何でこんなところにいるんだろう?)
ふと、自分の中で浮き上がる違和感に気付く。自分は今まで対策室にいてキメラとの戦闘をモニターで見ていたはずだ。
(私は、クロトを止めなきゃって思って……)
突然体調が悪くなり、意識が薄れていったのを覚えている。その後の事を思い出せないのは気を失ったせいなのかもしれない。
(じゃあ、ここは夢の世界?)
真っ先に思い浮かんだ可能性がそれだった。それを確認しようとした時、自分の身体の異常に気付く。
(か、身体が動かない?)
どれだけ力を入れても上体が起き上がらない。いや、優理の意志が身体に伝わっていないという方が的確だろう。
優理が力を入れた別のタイミングで身体は起き上がる。そして、勝手に横を向き、近づいてくる少女を見る。
(えっ!? 夏鈴ちゃん!?)
目の前に立っているのは髪の色が銀色という事以外は無邪気な表情や仕草すらも夏鈴と瓜二つの少女。彼女は何者か問おうとするが、この身体は優理の意志が反映しないのか口が全く動かない。
『――――』
少女が何かを言っているが、彼女の音声が優理には届かない。勝手に右手が少女へと伸び、頭の優しく撫でる。少女も嫌が素振りを見せず、気持ち良さげな表情をしている。
その手は優理のものではない。自分の手よりも少し大きい少年の手だった。
(これは、私の身体じゃない?)
見慣れない景色、見慣れない少女、そして、自分とは差異のある身体。そこから考えられるのは優理は他人の身体で別の場所の風景を見ているという可能性だ。
(夢なのかな? でも、なんか違う気がする)
何故このような事が起こっているのか分からない。現実世界がどうなっているのか気になっているのだが、今見ているこの世界をまだ見ていたい、もっと知りたいと思っているのも自分もいる。
少女と共に森の中を進んでいく。
周りの草花を見ていると優理の見慣れないものばかりが視界に映る。鮮やかな色の花、澄んだ川、視線と同じ高さで飛ぶ蝶。
それらをじっくり見ていたいと思いながらも自由の効かない身体は少女の手を引き、自分よりも小さい少女が無理なく付いてこれるよう彼女の歩幅に合わせてに歩き続ける。
やがて、広い場所に出たと思えば目の前には大きな洞窟がある。
そこで立ち止まり、洞窟の入り口を指差しながら少女の顔を見る。どうやら、あの洞窟に行くのが目的のようだ。
『―――』
さっきとは違い不安そうな表情で見つめる少女の頭を身体は何かを言いながらまた撫で、その言葉に納得したのか二人は洞窟の中へと入っていく。
奥に進むにつれて太陽の光が届かなくなり、視界がどんどん暗くなる。身体は慣れた足取りで進んでいく、逆にこの場所に来るのが初めてのようで繋いでいる少女の手が強く握られる。
数分経って道が急な斜面に変わった時、足場が悪く、踏み外してしまうと思ったのか少女を抱えてゆっくりと降りていく。少女も絶対に離さないと訴えるように強く身体を抱きしめる。
幸い斜面はすぐに終わり、少女の肩を優しく二、三回叩いてそれを伝える。少女が離れると斜面の奥にある通路を指差す。
その通路を進むと広い空間に出た。
(――うわぁ……)
空間には床や壁、天井に突き刺さっている青白い結晶が薄く光っている。その光景はプラネタリウムなどで見た夜空の景色よりも幻想的で今まで見てきた中で最も美しい景色だ。
この身体はこの場所を少女に見せたかったようで、少女の背中を押して青白い結晶の光が作り出す光景を見せる。
目の前に広がる景色に少女は驚き、開いた口が塞がらないといった表情で眺める。しばらく眺め続けるとこちらに向き直し、笑顔で何か言葉をかける。
彼女が何と言ったのかは分からない。けれど、彼女を満面の笑みを見れば何を伝えたのかなんとなく想像が付く。
自分がした事ではないのに何故か少女の顔を見ると嬉しくなり、同時にとても悲しく、胸が張り裂けそうな感覚が優理を襲う。
(どうして辛いって、苦しいって思うんだろう?)
何の前触れもなくやってくる感情に戸惑う優理に誰も応えてくれない。それでもこの感情は優理自身というよりもこの身体がそう感じているという事だけは分かった。
『―――――』
(ん? どうしたんだろう?)
笑顔だった少女の表情が急に怪訝そうになって身体の後ろの方を指差す。疑問に思った優理と身体は振り返り、少女が示した方向を見る。
そこには不自然に蠢く影があった。
光が魅せる幻想的な空間の中でその影の存在はあまりにも異質だ。影の正体を確かめようと恐る恐る近づく二人。
(この感じ、前にどこかで………)
不安が心の大部分を占めてそれを解消しようと元凶である存在に近付く。自分が確認する事はなくても知らなければいけないという本能が目を背けるのを許さない。
この影の正体も突き止めるのが怖いと優理が思っていても意志が通らない身体が止まる事はない。
近づいて足元を見ると大量の血と大きなものを引きずった跡があった。それを辿ると優理たちが入ってきた入り口とは別の大きな穴があり、その奥に人ではない何かがいた。結晶の光が届かないためにそれの姿をはっきりと見る事はできないが、輪郭ははっきりと分かる。
(あ、あれは………!)
それは人間の姿をしている。胸のあたりが膨らんでいるのを見ると恐らく女の人だろうと胴体の部分だけ見れば誰もが思う。下半身が足ではなく、尻尾のようなものでなければ。
優理の世界の日常を壊し、多くの人を絶望へと叩き落した元凶である存在を忘れるわけがない。心が恐怖で埋め尽くされ、すぐにでもこの場から逃げてしまいたいと本能が訴えている。
しかし、この身体は優理の意志が通じない。それどころか隣にいる少女と共に穴に近付いていく。
(ダメ! 逃げて! そいつに近付いちゃダメ!)
必死に訴えかけるが、声を出す事すらできない優理には彼女たちを止められない。ゆっくりと近づいていく二人がこの後どうなってしまうのか今まで目に焼き付いた光景から容易に想像ができた。
(――え?)
少女たちがそれの目の前まで来た時、優理は自分の目を疑う。それは彼女の想像とは違う行動を取ったのだ。
それはすぐに少女たちを襲うと思っていた。けれど、実際には二人が近づけば近づくほど、奥へ逃げるように移動している。
恐怖を与えるどころか、むしろ二人に怯えているように見える。
優理の世界で人間を喰らい続けているそれとは別の存在なのだろうか。
『――優ちゃん!』
(今の、夏鈴ちゃん? ――って、わっ!?)
答えの出ない疑問を考えていたら、聞き慣れた少女の声が頭に響く。それと同時に天井に向かって引っ張られる感覚が優理を襲う。
さっきまで自分がいた場所を見下ろすと隣にいた少女と同じ髪の色をした少年が立っている。
(待って。まだ知りたい事があるの……)
必死に縋り付こうと手を伸ばす。すると、自分の思い通りに手が動かす事ができた。そして、伸ばした自分の手が半透明であった事に気付く。
それでも、上昇するのを止められない。天井に着くと真上から眩しい光が彼女を包み込む。
視界がぼやける中、彼女はずっと少女とその隣にいる少年を、彼らの視線の先にある異質な存在をずっと見続け、意識が途切れる。




