30話 聞こえる声
オペレーターがモニターをキメラが映る画面へと切り替える。
モニターに映るキメラは体長が二メートルもある熊だ。鋭い牙と爪、赤い目が禍々しい。
仲間を殺された怒りの感情が剥き出しになっており、数度雄叫びを上げる。
そのキメラの下に向かって飛翔しているは灰色の装甲を持つ人型ロボット――クロトだ。手に二本の剣を携え、熊の正面に着地する。
『――で―後だ!』
「……まただ……」
再び声が聞こえる。はっきりと聞き取れたわけではないが、誰かの声が自分の頭の中に響いている。
それも聞き覚えのある声だ。
「どうしたんだ?」
「あ、大丈夫です。なんか頭の中で誰かの声が聞こえるんです」
森崎に尋ねられ、素直に答えてしまってから、失敗したと思った。
そんな事があるわけがない。頭のおかしい人間だと思われるのではないかと不安になる。
「声? どんな声だ?」
しかし、優理の予想とは逆に森崎は深く掘り下げようとする。
「なんか、聞いた事あるような声としか言えないです」
「聞いた事のある声、か」
「神は我らの中の誰かと一体化しているとアレクは言っていた。その声が神のものと仮定するとヴィッチの中に神がいるという事になるな……」
森崎と源田は優理の言葉を聞いてすぐに思考を巡らせる。
(私の中に神様が?)
昨日、アレクは優理、源田、直哉の誰かにアレクたちを創った神が宿っていると言っていた。
彼の言うように自分の中に技術の神がいるかもしれない。
自分の中に自分じゃない存在がいる。
信じられないが、今自分の置かれている状況はもう平穏な日常ではなく、非現実的な日常だ。何が起こっても不思議ではない。
実際、クロトに初めて会った時に感じた言葉にできない何かが優理の身体を駆け巡る感覚、それは神が自分の身体に宿っているという可能性を示唆していたのかもしれない。
「――お姉ちゃん、手びっしょり」
「え? あ、ごめん! 気持ち悪かったよね!?」
モニターに映る残酷な光景を幼い彼女に見せないようにと、今まで彼女の目を自分の手で覆っていた事を忘れていた。
慌てて、手を放す。自分の手を見てみると確かに両手は震えていて、汗で濡れている。
それは恐怖なのか、震えは手だけに留まらず、肩にそして、全身へと伝染する。
「あ、あれ? 震えが止まらない」
必死に全身へと伝染した震えを止めようとするが、全く止まる気配がない。対策室にいる人間が徐々に優理の異変に気付き、皆優理に視線を向ける。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
そんな優理に声を掛けたのはすぐ目の前にいる夏鈴だ。優理を見上げて、心配そうに見つめている。
何か言葉を返さなければ、そう頭の中で思っているが、思考がうまく機能せず、言葉が全く浮かんでこない。
「夏鈴ちゃん、私と少しお話しない?」
「う、うん」
夏鈴はやや納得していないという表情し、小さく頷く。岬に連れられて一度部屋から出る。
「小山さん、あそこの椅子に座るか?」
夏鈴と岬の入れ替わりで森崎が優理に声を掛け、部屋の隅を指差す。その先にはパイプ椅子が数脚立て掛けられている。
「……はい」
立っていられないという状態ではないが、森崎の厚意を無下にするのも気が引けるので、大人しく移動する。
「ありがとう、ございます」
椅子を用意してくれた森崎に礼を述べ、椅子に座る。
大きく息を吸う。徐々に肺を膨らませ、溜め込んだ感情などを息と共に吐き出す。
心に落ち着きが戻り、震えも止まる。足に力を入れようとしても込めた力は足の裏に接している床へと分散していき、うまく立てない。
これ以上心配を掛けるわけにはいかないので、立てるまではそのまま座っている事にして、再びモニターを見る。
熊が一方的に鋭い爪でクロトに襲い掛かる。クロト右手に持っている剣を拳銃に持ち替え、クマの攻撃を紙一重でそれを避け続けている。
「あいつ、遊んでるんじゃ……」
モニター越しに映るクロトの行動を優理はそう判断する。
熊の猛攻は確かに激しい。しかし、クロトは三体のキメラを同時に相手してもダメージを負う事なく、倒してみせたのだ。
それに、紙一重で避けている姿にどこか余裕のある動きがある。ふざけた態度を取る彼が目の前の獲物をすぐに仕留めるというのも考えにくい。十分に遊んでから倒すという考えなのだろう。
「ん? 影?」
部屋の隅に移動したため、他の人間よりも複数のモニターが見やすい位置にいる優理。そんな彼女だからこそ、モニターの端で微かに動く影を確認できた。
その影は建物の入り口、暗闇の中で動いた気がした。ほんの一瞬の出来事で、もしかしたら気のせいかもしれないが、先程の源田たちの会話の中で感じた違和感の事もあり、自分の勘違いだと簡単に捨て切れない。
そう考えているうちにクロトと熊の戦闘は続いている。
相変わらず熊の猛攻を紙一重で避け続けるクロトではある。避け続けるうちに背後に建物の壁まで追い詰められる。
「やばい、これ以上避けられねーぞ!」
誰の目でもクロトが不利に見える状況だ。しかし、叫んだ直哉とは逆に、何故か優理はクロトがピンチだとは思わない。
きっと、形勢逆転するだろうとどこかで思っている自分がいるからだ。それは思い込みではなく、彼が弱くはないと信じているからなのだろうか。
頭の中で巡る思考に答えを追及する前にモニターに映る熊が動く。
熊は前足の大きく振りかぶり、クロトに向かって振り下ろす。鋭い爪に引き裂かれたコンクリートで造られている建物の壁は容易く抉られる。
この攻撃によって熊が得られた成果はそれだけだ。
クロトは熊の前足が振り下ろされる前にがら空きの脇から攻撃を避ける。ご丁寧に左手に持っている剣で脇腹を斬り付けるという返礼も加えて。
傷口から血が噴き出て、熊の足元を赤く染め上げる。二、三メートル離れてからクロトは熊の方向へ振り向く。そして、背中に光の弾をお見舞いする。
目標に命中した光の弾は爆散、辺りに真っ赤な液体や固体が飛散する。
肉体を激しく損傷した熊だが、他のキメラと違い、膝を付いても完全に倒れる事はなかった。
「あいつ、あの状態でも生きてんのかよ、普通死んでね?」
「敵は我らの想像を超えた存在だ。こちらの常識が通じぬ程度で驚く事はあるまい」
「そりゃ、そうだけど……」
源田の言葉に直哉に機嫌を悪くしたのか、源田から顔を背ける。源田は気にもせず、モニターを見続ける。
本人に悪気はないのかもしれないが、回りくどい言い方が、時に他人を苛立たせているのだろう。
そんな二人を置いてモニターに映るクロトは剣を熊に向ける。
『これで終わりだ』
頭の中に直接届く声が今度ははっきりと聞こえた。
その声の主は今モニターでキメラと対峙する灰色の装甲を纏っている神創人間のものだ。
「……やっぱり、クロトだったんだ」
今まで聞こえ来た声は全てクロトが何かしら行動を移す時だった。言葉の内容から優理に言っているのではなく、独り言を呟いているのと同じ感覚なのだろう。
だが、何故クロトの声が優理の頭の中に届くのか分からない。技術の神の神気というものが関係しているはずだ。
(最近、考え込む事が多くなったな……)
自分の置かれている状況のせいか、些細な事でも思考を巡らせるのが、癖になってしまった優理。
考えても答えが出てくるわけではないが、それでも頭は考えようとする。
まるで、自分の役目だと言わんばかりに。




