18話 空腹
「―、――」
沈み切った意識が徐々に覚醒していく。優しく肩を揺らされているのを感じる事によって初めて自分が眠っていたという事に気付いた。
閉じ切った瞼を開き、視界を広げると岬が目の前にいる。外は日が沈み、部屋の中は暗くなっている。
「おはよう。夕飯出来だから呼びに来たんだけど、後にする?」
「あー、えっと……」
岬の質問にどう返答するか迷う。
そこまで長時間眠っていたわけではないはずだが、寝起き直後に食事はあまりしたくない。しかも、夕飯という事はそれなりにボリュームのあるメニューという事になる。
せっかく作ってくれた岬には申し訳ないとは思うが、自分の胃の調子を考えるとすぐに食事という気にはなれないので、後で食べるという意思を伝えるために口を開こうとする。
それよりも早く、ぐぅと低い音が耳に届く。
音の発生源は優理の腹だ。音の正体が腹の音だとすぐに気付いた優理は恥ずかしさのあまり岬から顔を背ける。赤くなっているのか耳が熱い。
岬の耳にも優理の腹の音が届いたようで苦笑している。
「その様子だと後で食べるのはきつそうだね。みんな待っているからすぐ来なよ」
岬はそう言って部屋から出る。
残された優理はゆっくりとベッドから起き上がり、寝癖が付いていないかどうかを調べるために頭を触る。幸い寝癖は付いていないようだ。
そのまま部屋から出て、階段を下りる。
動けば動くほど空腹感が強くなる。
思い返すと最初のエドナが現れてから何も食べていない。
エドナやキメラの襲撃の時は逃げる事しか頭になく、逃げ切った後も疲労でそれまで自分が空腹感を感じる余裕などどこにもなかった。
襲撃もない今は気を張るような事もなく心にゆとりができているという事になる。
階段を下りる度に、食事が用意されているリビングへ近づくにつれて心の片隅にある不安が優理の思考回路に侵食する。
病院で目覚める前に見た夢。クラスメートの真奈美が自分に発した言葉が胸に突き刺さる。
「自分が良ければ他人がどうなろうと関係ない、か………」
心のどこかでそう思っているのかもしれない。エドナやキメラから逃げる時はどうすれば自分が生き延びるか、そう考えていないと胸を張って言える自信が優理にはない。
沙希や浩太など自分より弱いと思っている人間と一緒に逃げているのは、自分だけが生き残ろうとしているのではなく、誰かを護っていると自分の思考に訴えているためだけに行動しているのではないかと思うようになる。
優理が階段を下り切った時に玄関の扉が開く。僅かに開いた扉から顔を出したのはクロトだった。
「……おかえり」
「おう」
クロトと目が合い、軽く挨拶をし、クロトも短く返す。何故か困ったような表情をする。
玄関の扉を少し開けただけで、クロトは一向に入ってくる気配がない。身体半分が扉で見えない状態でクロトは立ち止まっている。
「どうしたの?」
見た事もないクロトの態度が気になり、尋ねる。
「あー、これどうしたらいいと思う?」
これというのは何か分からないが、クロトらしからぬ質問が返ってくる。扉を開け、クロトの全身が見えるようになり、初めてその原因が明らかになる。
扉に隠れていた身体の手は幼い少女の手を握っている。少女は優理を見るとクロトの後ろへと隠れてしまう。
優理は目を丸くする。唐突な出来事ばかり起きているが、これほど場違い感が否めない出来事は初めてだ。
瓦礫の撤去作業をしに行ったクロトが幼い少女を連れて帰ってくるとは誰が予想できただろうか。
「その子、どうしたの?」
少女の事に関して尋ねる。別の世界から来たクロトの家族という事はあり得ない。別行動の時に出会ったと考えるのが妥当だろう。
「……なんかつい拾っちまった」
まるで少女を捨て猫と同じような扱いで言う。しかし、それを嘘だとは思わなかった。
冗談を言うにしても、もっとマシな事を言うだろうし、嘘を吐く理由もないので、おそらく文字通りの意味なのだろう。
すぐに詳しい話を聞きたいところだが、クロトはともかく疲れ切っている少女の様子に気付く。
「取りあえず、みんなにも聞いてみたら?」
自分一人では、何とも言えないので、クロトにそう提案する。