117話 クロトVSエドナ 優理、クロト視点
優理たちがエドナの姿を見たのは初めてこの世界に現れた時以来だ。
あの時は逃げる事に精一杯でこうしてエドナの姿を真正面から見るのは初めてになる。上半身は少女の姿で下半身は蛇の姿だった。その少女の姿も人間のものとは程遠い。
目はキメラ同様赤く、口は頬まで広がり、歯は鋭い。露出している腕は下半身と同じ紫色の鱗に覆われてた。太陽の光に反射して鱗が鈍く光る。
「はぁ、はぁ………」
全身を震えて、動悸か激しくなり、呼吸が乱れる。優理は立っているのがやっとの状態だ。尊かった日常を壊した元凶を前に優理が抱いた感情は怒りではなく、恐怖だった。
それでも、モニターに映るエドナから視線を逸らさぬように己を奮い立たせる。
『ようやく、見つけた。エドナ……!』
憎悪を隠そうともしないアレクの震えた声が響く。彼はライフルの銃口をエドナに向ける。しかし、疲労が蓄積された身体では立つのがやっとでライフルは震えていた。
さらに、神気が尽きたのか、藍色の装甲が消えてしまい、アレクはその場に倒れてしまった。
「まずい。誰か、アレクの救助に向かわせろ!」
「は、はい!」
『一応、アレクたちは神気の量が一定まで減ると強制的に機能停止するようにしてあるから命には心配ないけど、問題は………』
言い淀むヴァルカンは申し訳なさそうにモニターに映るエドナを指差す。
ハーピーたちとの戦闘の延長でエドナと戦う事になり、こちらの状況は最悪だ。頼みのクロトはボロボロで支援の要である優理たちも疲労が蓄積されている。
その状態で無傷のエドナと戦うのはかなり厳しい。
「クロト……」
優理は不安に苛まれながらもエドナと対峙する仲間の身を案じる。
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エドナと対峙するクロト。向こうはこちらの出方を見ているのか、何も仕掛けてこない。これまで戦ったキメラたちとは比べ物にならない圧迫感がクロトを襲う。
『ハ、ハハハ………』
思わず漏れた乾いた笑いが静かに響く。
それは絶望し、諦めたものではなく、身体の内から溢れる高揚感が溢れたものだった。クロトは左手で持っている剣の先をエドナに向ける。
『ようやくそのツラ拝めたぜ。この時をオレはずっと待ってた。テメェを殺す機会をな!』
クロトは剣の柄をなくなった右肘の傷口に突き刺した。そして、柄全てが入るように深々と押し込む。他人からしてみれば気が狂ったかのような行為だろう。だが、自分の思考はいつもと変わらない。
『――ぐっ……!』
全身を駆け巡る激痛で視界が真っ暗になって意識が飛びそうになるのを歯を食いしばって耐える。呼吸が荒くなり、息が詰まる中、痛みで震える右肘に埋め込んだ剣先をエドナに向けた。
『始めようぜ? イカれた者同士の殺し合いをよぉ!!』
ドスの効いた声を合図にクロトは光弾の連射し、エドナに向かっていく。エドナは口を大きく開けて光弾と同じ数の火球を放って後退した。光弾と火球は衝突と同時に小さな爆発が起こる。
『逃がすかよ!』
距離を取ろうとするエドナにクロトは光弾を撃ちながら追い掛ける。エドナは上下左右不規則にその巨体を捻りながら紙一重で回避する。回避行動を取っている隙を突き、クロトはエトナに接近した。
『もらった!』
右肘に埋め込んだ剣を振り下ろそうとした瞬間、エドナの尻尾がクロトの脇腹に食い込んだ。その衝撃でクロトは吹き飛ばされ、さらにエドナが火球を放って追い打ちを掛ける。
咄嗟に光弾を撃っていくつかは相殺し、撃ち漏らした火球は身体を捻って紙一重で回避した。
『チッ、蛇だけあってちょこまかと動きやがって……!』
もう一度距離を詰めようと光弾と撃ちながら接近した試みるクロト。それに対してエドナは口を開きながら息を吸い込んで大きく仰け反る。すると、口から現れた火球が膨張し、エドナの半分の大きさまで巨大化した。
そして、その巨大な火球を放つ。すかさず通常サイズの火球を数発放った。
『なんだ!?』
口に出したクロトの疑問に答えるように後から放った火球が巨大な火球に直撃すると巨大な火球は無数に分裂してクロトについて襲い掛かる。
『クソッ!』
前進を止めて回避行動を取るクロトだが、時既に遅く、迫り来る火球の波が彼を呑み込んだ。深手を負い、動きが鈍くなったクロトに火球全てを対処できるわけもなく、次々と被弾していく。
被弾を最小限に抑えようと落下していくクロトは灰色は装甲が焦げて黒に変色し、ところどころ肌が剥き出しになっている部分に増えた。
体勢を整えたクロトであったが、身体にダメージが蓄積され、腕は力なく項垂れている。
『チッ………!』
「クロト、エトナを倒すなんて考えなくていい。退かせるだけで十分だ!」
痛みと疲労で意識が朦朧とする中で石山の声が響く。遅れて彼の言葉に賛同する和弘たちの声が聞こえてきた。
ボロボロの状態で誰の助けもない中でエドナと対峙する。そんな状況でエドナを退かせるだけでも困難な状況だ。倒せなくても責められはしないだろう。
だが、クロトの答えは既に決まっている。
『ソイツは聞けねぇ指示だな……』
「何?」
『やっとコイツに会えたんだ。大人しく引き下がれるかよ!』
エドナを前にして退くという選択肢はクロトの中にはなかった。自分よりも強大な敵を目の前にしても恐怖が一切湧いてこない思考に自嘲する。
アレクと同じようにエドナに対する憎しみで意地になっている。皆、そう思っただろう。
確かに今の自分の心は憎しみが溢れている。だが、それを向ける相手はエドナではない。
「……クロ、ト……」
必死に絞り出したような優理の細い声が微かに届く。その一言だけでも彼女が自分の身を案じているという事が十分に伝わってくる。
けれど、クロトはその声を無視してエドナに突進する。それに対してエドナはまた大きく息を吸い込み始めた。
『させるかよ!』
クロトは光弾を連射しながら加速する。あの巨大な火球を作るためには静止した状態でなくてはいけないのか、エドナは回避する前に光弾が火球に直撃して爆発する。
『オラァッ!』
爆煙の中からエドナが出てくると先回りしたクロトが剣を振りかざす。
エドナは尻尾でクロトを薙ぎ払おうとして、エドナの胴体を狙ったクロトの両剣は軌道を変えて尻尾と激突する。
刃と鱗がぶつかり火花を散らす。力ではエドナの方に軍配が上がり、衝突する度にクロトは後ろへ弾き出される。
何度か衝突して、クロトが仰け反るタイミングで銃に持ち替えるとその隙を突いてエドナは火球を放ってきた。
『チッ!』
咄嗟に身体を左に捻りながら、後退する。しかし、回避できず、右肩に直撃した。爆発と共に右肩から先が飛んでいく。
激痛に脳を支配されつつもクロトは爆煙の中から光弾を放ちながら突進する。エドナの左側へ回り込もうとしていた。
距離を詰めたところで銃に持ち替えて斬り掛かる。再び尻尾と衝突し、火花が散る。今度は押し負けないようにと背中に付いているブースターが勢いよく火を吹く。
「このままでジリ貧だ。早く打開策を講じなければ………」
石山の焦りが静かにクロトの意識にノイズを発生させる。今の気分に水を差されたようで払い除けるように大きな舌打ちをしながら、エドナに向かっていく。
「お願い……言う事を聞いて………!」
苛立つ中、不意に優理の声が聞こえた。きっと、エドナを前にして震えているのだろうが、それでも何かしようと足掻こうとしている。
エドナとの衝突に気が散るので一度後退した。
少し落ち着いた状態のクロトの耳に息を呑む優理の声とその後に石山たちの慌てる声が微かに聞こえる。大方予想は付くが、今は目の前にいるエドナから意識を外すわけにはいかない。
(まぁ、他の連中がなんとかすんだろ)
気にならないと言えば嘘になるが、彼女を止める気も余裕もない。もう一度エドナに向かって剣先を向けて突撃する。
エドナも両腕を構えて向かって来る。
刃と鱗が激しく衝突し、その度火花がクロトたちの目の前で散る。
迫りくる右手の爪をしましたを剣で受け止めると、右側から左手の鋭い爪をクロトに突き立てようとしている。
『オウラァァッ!!』
雄叫びと共にクロトは左足でエドナの右手を蹴り上げて上体を捻って左手の爪を剣で受ける。浮いた左足でエドナが腹部に蹴りを与えようとした時、脇腹に重い衝撃が加わる。
『ぐっ!?』
勢いよく後方へ飛ばされる中、エドナを睨み付けると腹部の前に尻尾があった。さっきの衝撃の正体ら尻尾を叩き付けられたものと判断したと同時にエドナが火球を数発放つ。
『チッ!』
咄嗟に十分に持ち替えて光弾が撃とうとする。けれど、換装のタイムラグで間に合わず、全発その身に受けてしまった。
『ぐあっ!』
被弾した箇所から煙が立ち込めて、クロトを覆う。追撃を防ぐためにすぐに体勢を立て直し上昇した。煙から抜け出して銃を構えて攻撃に警戒するがエドナも様子を見ている。
『ハァ、ハァハァ………クソッ………』
肩で大きく動き、エドナに向けている銃は小刻みに震えている。一方エドナは疲労の色が全く見えない。目の前の傷付いているクロトを見下ろす様子は彼を嘲笑っているようだった。
身体に思うように力が入らない。損傷と神気で機動力を強引に上げた反動がここでクロトに襲い掛かる。おそらくできる攻撃は次で最後だろう。
『このままじゃマズイよ! 今度あの火球の嵐が来たら――』
『いや、仕留める気ならアイツは接近してくるはずだ』
何故かと問う前に予想通り、エドナが突進してくる。光弾で撃ちながらクロトも接近した。迫り来る光弾をエドナは火球を放って相殺する。
『舐めんなあああぁぁ!!』
衝突と同時に立ち込める爆煙を気にも留めないでクロトとエドナはその中に呑まれる。煙の中でクロトは剣で、エドナは腕と尻尾で相手に襲い掛かる。
刃と鱗が衝突する度に火花が両者の間に激しく散る。何度目かの衝突の後、エドナの尻尾がクロトの頭部に叩き込まれた。
『ぐっ……!』
衝撃に耐え切れずに落下するクロトを追ってエドナは鋭い爪を生やした右手で貫こうとした。
クロトは体勢を立て直すよりも叩き込まれた勢いを利用してその場で一回転し、左踵を迫り来る右手に落とす。攻撃の軌道が逸れて、回転と同時に持ち替えた銃をエドナの眼前へと構えた。
『食らえ!』
鱗に覆われていない頭部なら十分なダメージを与えられるはずだ。ようやく一撃与えられると彼は引き金を引こうとした。
だが、エドナも素直に攻撃を受けるわけがなく、空いている左手でクロトを薙ぎ払おうとする。
『チッ!』
クロトは咄嗟に後退した。エドナの爪はクロトの胴体を掠める。だが、エドナの攻撃はそれだけではなかった。
爪が掠めるや否や口から火球を吐き出した。
至近距離の攻撃にクロトは回避できずに胴体へ直撃する。直撃の反動で彼が怯んでしまう。エドナはその隙を突いて連続で火球を放つ。回避行動が取れないクロトは全ての火球をその身に受けてしまった。胸部の装甲が破壊され、剥き出しになった肉体も一瞬で黒焦げになる。
再び右手の鋭い爪をエドナは突き立てようとする。
『このっ……!』
身体を捻って回避しようとするが、エドナの爪はクロトのフルフェイスの装甲を一部削った。回避した事でクロトは腕を伸ばし切ったエドナの真正面に陣取る。
『う、おおおぉぉぉ!!』
これ以上ない絶好の機会。雄叫びを上げながらクロトは背中のブースターを噴射させる。距離の一気に詰め、左手に持つ剣を思いっきり薙ぎ払う。そのスピードは身体が大きいエドナでは避けきれないものだった。
ようやくエドナに攻撃が届く。
そう確信した。次の瞬間にエドナの身体が血に染まると。けれど、予想した光景はやって来なかった。
剣から重い衝撃が伝わったと脳が認識した瞬間にその衝撃が一気に消えてしまった。視界の端で何かが飛んでいくのが見えた。それはクロトが持っていた剣の刃だった。
クロトの剣は確かにエドナの胸部を捉えていた。後退して回避するのは不可能だった。ならば、何故エドナへの攻撃に失敗したのか。
エドナの胸部の前には空いていた鱗に覆われている左手を見て気付く。
失念していた。防御もダメージを避ける手段の一つであった事を。エドナは防御に使った左手をクロトの胸部に突き立てる。
『がっ……!』
目を見開いて口から血を吐くクロト。追い打ちする掛けるように突き立てた左手を引き抜き、今度は右手の爪でクロトの胴体を斬り裂く。傷口から血が吹き出して、固い感触の後に火花が散る。
『………ぐっ!!』
声にならない叫びと共にクロトは唯一手元に残っている拳銃をエドナに向けて撃とうとする。しかし、光弾を撃つよりも早くエドナが火球を放って彼の左腕を焼き尽くす。
とどめを刺すためか、エドナがクロトに手を伸ばす。
「クロト!!」
「まずい!」
「創造する希望!!」
叫ぶ優理と石山と一緒に和弘が自分で付けた能力の名を叫ぶ。その直後に装甲が剥がれ、剥き出しになって焼き爛れた左腕が光に包まれる。光は先端が尖った盾のような形となった。
『っ!』
判断は一瞬だった。頭の中に流れてくる情報を整理するよりも先に本能で動いた。
クロトはその武器の先端をエドナの肌と鱗の境目であるへその部分に突き刺した。その瞬間、強烈な光と共に突き刺した部分から大きな爆発が起こる。
エドナは傷口を抑えて叫び、そして、赤い目から激しい殺意を宿らせていくつもの火球を放つ。
「クロト、避けてぇっ!!」
呆然と滞空しているクロトに向かって悲痛な叫びを上げる優理。
避けなければ。頭では分かっているのに、今の攻撃で神気を一気に消費してしまい、身体が思うように動かない。
『くそ……』
もう何もできない。迫りくる火球を前にしてクロトは諦めてしまった。吸い込まれるようにエドナの火球をその身に受ける。
着弾する度に煙が上がり、その煙がクロトを包み込む。やがて、力なくクロトは海へ落下していく。暗い中へと沈んでいく意識と共に。
――――――――――――――――――――
クロトは海面に叩き付けられ、水柱が高く空へと登る。
それを見届けたエドナも傷口を抑えながら海へ飛び込んだ。二つの水柱が海上から姿を消して、指令室で残ったのは重い沈黙だった。
「………エドナの反応、見失いました………」
長い沈黙の後に届いたオペレーターの報告に誰も応える事ができなかった。
この日、初めて神創人間が敗北した。ハーピーたちに蹂躙され、それを乗り越えた思ったら今度はエドナに絶望のどん底へ突き落とされる。
「………うそ………」
口から溢れたのは突き付けられた現実を否定したい一言だった。仲間があんなに傷付いてボロボロになって、それでも戦う意志を持っていた。
なのに、その結果が執念で一矢報いた一撃のみだ。
「不覚。我が陣営に辛酸を舐めさせる事になる、とは――」
「和弘?」
徐々にか細くなる和弘の声は途中で沈黙した。そう思った直後に彼はその場に倒れ込んでしまった。
クロトが敗北したショックで優理をはじめとする指令室の面々は和弘が倒れた事の反応はかなり鈍かった。
『ちょっ!? 源田君!? しっかりして!』
「い、いかん! 誰か、すぐに医務室に運んでくれ!」
ヴァルカンの声で我に返った石山が慌てて指示を出した。彼の言葉に三人の男が和弘の下へ駆け寄って指令室を後にする。
『あ、できればクロトの回収をお願いできる!? 魂とも言えるコアの部分が無事なら修復ができると思うから!』
「分かりました。今の話を聞いたな? すぐに手配してくれ!」
扉が閉まる直前に残したヴァルカンの言葉に指令室はざわめき、石山が慌ただしく指示を出す。その中で優理は未だに状況を呑み込めずに呆然と立ち尽くしている。
「うそ……よね……? クロト……?」
目に映った光景が信じられなくて、否定したくて溢れた言葉は誰の耳にも届かなかった。モニターには数羽の鳥が空を旋回している姿だけが映し出されていた。




