109話 リモート面会
とあるマンションの一室で小山優理はパソコンのキーボードを叩いていた。
軽く一息吐いて時計を見ると針は午後二時を指している。優理はパソコンを持ってリビングへと移動した。
「みんな~そろそろ時間よ」
「ふん。我が声は距離の概念を越えて、同胞へと届くのだ」
「はいはい。早く繋いでよね」
テーブルにパソコンを置くと源田和弘はパソコンのキーボードを慣れた手付きで軽やかに叩く。
次に優理はソファーで寝ている一村夏鈴とクロト・レイルのところへ立つ。
「夏鈴ちゃーん。もうすぐ岬さんとお話するから起きてー」
「んん……は~い」
ソファーに座っているクロトの膝を枕にして横になっていた夏鈴を揺すると、彼女はゆっくりと起き上がって目を擦る。まだ眠気が残っているらしく、大きな欠伸をした。
「まだ時間があるから顔洗っておいで」
「ふぁ~い……」
「ほら、クロト。あんたも起きなさい」
「んがっ!?」
夏鈴とは違ってクロトは雑に揺さぶって強引に起こす。いきなり揺すられて驚いたクロトはすぐに意識がはっきりして、優理を睨み付ける。
「テメェ、せっかく寝てたってのによ~」
「何よ、もうすぐ岬さんとリモート面会する時間なんだから起こしてあげただけよ。早く夏鈴ちゃんを連れて顔を洗ってきて」
「………へいへい」
渋々といった感じでクロトは夏鈴を連れて洗面所へ向かう。振り返ると和弘が殴りたくなるようなドヤ顔の笑みで優理を見ている。
「………何?」
「いや、貴様が自ら先導の立場となって指揮を執るほどの強さを持つとはなと感慨に耽っていたのだ」
「そんなんじゃないっての。ただ、何かしてないと落ち着かないだけよ」
できるだけ気丈に振る舞っているが、優理の内心はずっとざわついている。
桐島岬が刺された事、その犯人が自分の元彼である宮原敦司である事、宮原はエドナに協力している可能性がある事。
身の回りで起きている出来事を受け入れられずに今も不安でいっぱいになる。
『現状、小山さんができる事ってないからね。でも、無理する事はないよ。キミはやれる事はやってるから』
「ありがと。なんかヴァルカンが私の心配するなんて変なの」
『ヒドイなぁ、ボクだって心配する事だってあるよ!』
和弘の後ろでヴァルカンが腕組みをしながら膨れっ面をする。見た目が壮年の男性なので子供っぽい所作がかなり違和感がある。
(おっさん、というか下手したらおじいさんレベルの年齢重ねてるのに精神年齢が子供って……)
『ねぇ、小山さん、何か失礼な事考えてない!?』
「何の事? 気のせいでしょ」
「待たせたな。同胞との不可視の繋がりが完了した。あとは我が意思のままだ」
和弘がキーボードから手を離したパソコンの画面はリモートの通話前の画面になっていた。あとは顔を洗いに行った夏鈴たちが戻ってくるのを待つだけだ。
『そういえば、森崎君や日高君はどうしたの? アレクは病院に行ってるのは知ってるけど……』
「二人なら引っ越しの準備でホームにいるはずよ」
『え? どうして?』
「どうしてって、もしかしたら直哉とアレクも敦司に目を付けられたかもしれないから、このマンションの別の部屋に移る事になったのよ」
撃退したとはいえ、あの宮原が二人を放っておくとは思えない。護衛する関係上、森崎慎吾もこのマンションに住む事になるが、そうなったらホームに残るのは夏鈴が一人だけになってしまう。
まだ幼い彼女を一人にするわけにもいかないので、全員ホームから一度離れる事になった。
「今朝、司令から連絡あったでしょ?」
『あ~そういえば、そんな事言ってたような~』
「もう、話はしっかり聞いてよね」
人と神ではものの考え方が違うのかもしれないが、仲間の事なのに少し関心が薄いヴァルカンの態度に溜息を吐く。
今では神というよりもただの幽霊なのではと疑うほど、彼の神としての威厳が感じられなくなっている。
「仕方あるまい。神秘を欠いた凡神には人の声に耳を傾ける心など持ち合わせていないのだろうよ」
「それもそうね。私が間違ってたかも」
『キミたちさぁ! 最近、ボクの事を神として見ていないよね!? 敬ってないよねぇ!?』
「うん。あ、気のせい気のせい」
涙目のヴァルカンを無視して優理はソファーに座る。今はヴァルカンの相手をするよりも岬の顔を見る事が大事だ。それは和弘も同じのようで彼もヴァルカンの事を一切見ていない。
ヴァルカンがまた騒ごうとした時、夏鈴とクロトも戻ってきた。
「何騒いでんだよ。洗面所まで響いてたぞ」
『聞いてよ、クロ――』
「お、もう向こうと繋がってんのか?」
「うん。二人待ちだったの」
「では。彼方の同胞よ、我が呼び掛けに応えよ!」
和弘が大袈裟な文言と共にキーボードを強く叩く。スピーカーから呼び出し音が鳴り、ヴァルカン以外の全員が早く繋がらないかと画面を注視する。
『キミたちヒドくない!?』
「「うっさい!」」
思わず怒鳴り返す優理とクロトにヴァルカンは怯んで口を噤む。口を出さなかった和弘と夏鈴は呆れた表情で彼を見る。
「近所迷惑だろうが!」
「うわぁ、クロちゃんに注意されるなんて……だめだよ、ヴァルくん~」
『う、うわあぁぁんん!』
夏鈴の一言にヴァルカンは泣き出して部屋の隅で蹲ってしまった。その背中を見てしまうとさすがに言い過ぎたかもしれないと、反省していると、ドス黒い空気がクロトから流れる。
「おい、夏鈴~。お前、オレの事どう思ってんだよ?」
「んぎゃ!?」
「これはオシオキが必要だな~」
「いたいいだい~!」
「ハッ、泣いたってやめねぇからなぁ?」
凶悪な笑みを浮かべたクロトに頭を鷲掴みされる夏鈴。涙目になって藻掻くが、力でクロトに勝てるわけがない。優理は高笑いしているクロトの背後にそっと立って耳元に顔を近付ける。
「ねぇ、なに夏鈴ちゃんをいじめてんの?」
「のわっ!?」
自分でも驚くくらい低く、ドスの効いた優理の声にクロトは思わず手を離した。解放された夏鈴は頭を抑えながら優理の後ろへ避難する。
「優ちゃん、クロちゃんがイジメる~」
「おーよしよし、痛かったよねー。全く、こんなに可愛いくて癒やされる天使をイジメるとかあんた頭におかしいんじゃないの?」
「いや、オイタをしたガキにはオシオキが――」
「言い訳すんな! サンドバッグがほしいなら和弘とかヴァルカンで我慢しなさい!」
普段ならクロトに対して強気になれないが、大切な夏鈴が傷付いているなら話は別だ。恐怖を払い除けてクロトを睨み付ける。
「いや、無関係なヤツに八つ当たりとかはさすがにしねぇよ」
「優ちゃん、それってだめなんじゃない?」
「あれ? 夏鈴ちゃん!?」
優理の発言にあっという間に冷静になったクロトと涙が引っ込んだ夏鈴のドン引きした表情で優理を見る。和弘やヴァルカンも同じような目で優理を見ていて、この場には優理の味方をする者はいなかった。
『騒ぎ声がこっちまで響いているわよ』
パソコンから聞き慣れた声に全員が画面を見た。そこには呆れた表情をしている岬が映っている。彼女の顔を見た途端、優理、夏鈴、和弘は画面に向かって顔を近付ける。
「岬さん! よかった~。心配したんですよ?」
「みさちゃん、大丈夫?」
「ふむ、凡人の枠を越えた我でもやはりこの目で同胞の顔を確かめると心のざわめきが鎮まるな」
「………元気そうでよかったっす」
優理と夏鈴は泣きそうな声で、和弘とクロトは安堵したような声でそれぞれの想いを吐露する。心配を掛けた事に申し訳なく思ったのか岬は気不味そうに笑う。
『心配掛けてごめんね? でも、今は大丈夫だから怪我を治したらまた帰ってくるから』
「絶対ですよ?」
『ええ』
『まったく、相変わらず騒がしいヤツらだ。落ち着く事を知らないのか?』
画面外から呆れたアレクの声が流れる。岬がアングルを微かに動かすと腕組みをしているアレクが映る。彼もいつも変わらない様子なので内心ホッとする。
「アレクも大丈夫?」
岬が病院へ運ばれてからアレクと顔を合わせた者はこの場にはいない。森崎からはかなり憔悴しきっていたと聞いていたので少し心配していた。
『問題ない。だが、しばらくは岬さんに付くつもりだ。そっちの護衛はクロトに任せる』
「はぁ!? コイツらの面倒をオレ一人で見ろってのか?」
『そうなるな。その代わり、宮原とやらの捜索はボクがやる』
アレクの言葉はいつもより冷たく、最後の一言には別の意味も含めたようなニュアンスがある。岬が傷付いた事に誰よりも責任を感じているのだろう。
「……無理はしないでね?」
『善処する』
そう言い放つとアレクは立ち上がって画面から外れる。岬が呼び止めようとしているが、遅れて扉の閉まる音がしたので彼は退室したのだと分かった。
『あー、ごめんね。ずっと私の側にいてくれてたから疲れてるの』
「いえ、全然気にしてないですよ」
優理は空気を変えようと笑って誤魔化すが、アレクの行動にどこか不安を覚えながらも夏鈴たちと一緒に岬との会話を楽しむ。




