107話 彼女を想う 直哉、森崎視点
直哉と森崎が病院に着いた時、夜の七時を過ぎていた。受付はとっくに終了していたが、岬の関係者で対策室の人間だと伝えて特別に通してもらった。案内された手術室の前には扉の近くの椅子に俯いて座っているアレクがいた。
いざ彼の目の前にするとどう声を掛ければいいかすぐに思い浮かばなかった。
「……アレク、岬さんの容態はどうだ?」
森崎が尋ねてもアレクからの返答はなかった。けれど、声は届いたようでゆっくりと顔を上げてこちらを見た。整った綺麗な顔は真っ青で今にも倒れてしまいそうで彼を見た瞬間に思わず息を呑んだ。
「森崎に直哉………どうしてここに?」
「戦闘も終わったから、岬さんの容態を見に来たんだ」
「戦闘? ………ああ、そういえばキメラが出たんだったな……」
思い出しても動揺せず、他人事みたいに呟くアレクに直哉は衝撃を受ける。
エドナに復讐するためにこの世界に来たはずなのに、キメラの存在が頭に入らないほど、彼は憔悴していた。
「だ、大丈夫か?」
「ここに来るまでにかなりの血を流していた。助かるかどうかは、分からない……」
「いや、岬さんもだけど、今はお前だよ! ちょっと休んだ方がよくね!?」
今のアレクを放っておくと倒れるまでここにいそうだ。おそらく、手術が始まってからずっといたのだろう。しかし、彼は弱々しく首を横に振る。
「岬さんの手術が終わるまで休む気になれない。ボクの事は気にしなくていい」
「いや、気にするって! 俺ら友達だろ!?」
「とも、だち?」
アレクはゆっくりと直哉に視線を向ける。冷たい目には生気が感じられない。けれど、その目を見て直哉は彼の事を放ってはおけないと強く思った。
「一緒に行動したり、相談したり、それってもう友達の関係だろ!」
「お前と、ボクが、友達? いや、ボクらはあくまでエドナを討伐するために手を組んで――」
「だったら何でいつも俺らと一緒にいんだよ! エドナと戦うためだけなら普段から関わる必要なんてないだろ?」
「それは、ヴァルカンの命令で――」
「あんなに頼りない神様の命令なんか、本当に嫌だったら従わないよな?」
これまで呆れたり、文句を言ったりしてもアレクは直哉たちと共にずっと行動してきた。クラスメイトたちとは極力関わらないようにしていたが、それも無関係な彼らを巻き込まないための配慮だと思っている。
「お前は一人でいると思ってんだろうけど、違うよ! 俺らがいる! だから、優理みたいに少しくらい不安とかぶち撒けてみろよ!」
溜め込んでいた不安を吐露して気持ちが落ち着いた例が身近にいる。アレクと優理が抱えているものは全く違うもので、直哉はそのどちらも正しく理解はできないだろう。
だが、それでも歩み寄る事くらいはできる。
「………言ったところで何になる? 何かが変わるわけでもないだろう」
「なっ!? お前っ……!」
拒絶の言葉に絶句する。アレクの力になりたい。そう思っているのに本人は頑なにそれを否定する姿勢に怒りが込み上げる。
「病院では静かに。周囲の迷惑になるだろ?」
重く、それでいて落ち着いた声が後ろから聞こえた。振り返ると石山が立っていた。他に物音がないため、彼の足音だけが響く。
「桐島君の容態は?」
「詳しく聞いたわけではないですが、かなり危険なようです」
「そうか」
森崎の言葉を聞いて石山は苦い表情になる。けれど、すぐに真面目な表情となってアレクの前に立つ。二人の間に会話はなく、沈黙がこの場の空気を重くしていく。
「β、何故戦闘に参加しなかった?」
怒りが含んでいるかのようにいつもより少し強い口調で尋ねる石山。アレクは俯き、沈黙を貫く。
答えはなんとなく想像できるが、自分が口を挟んではいけないと思って直哉は静かにアレクを見つめる。
「戦えない理由があったのか?」
石山の問いにアレクは俯いたままだったが、少し間が空いてから首を横に振る。
直哉が見ていた限り、岬が刺される直前までアレクはキメラの相手をしていた。その時に負傷したようには思えなかったから、石山の問いにはノーとしか答えはないだろう。
「……なら桐島君の救助が君にとって戦闘よりも優先だった、という事でいいのか?」
沈黙を貫くアレク。
おそらく、その問いの答えはイエスのはずだ。あの時、直哉は動転しながらもキメラが出た事をアレクに伝えた。それなのにアレクはキメラに一切意識が向かず、岬を助けようとする事だけを考えていた。
だが、それを自分の口から言うのは違うと思って黙っていると、石山がため息を吐いて口を開く。
「日高君の連絡でこちらも桐島君の状態は少しだけ把握していた。取り乱しても仕方がない状況だったのは理解していた」
言葉を続ける石山にアレクは俯いたまま何の反応も示さない。静寂に包まれる中で石山が拳を握り締める姿に彼の怒りが爆発してしまうと直哉は息を呑む。
「あの時、君は何を考えて行動したんだ? 言葉にしてくれなければ何も分からないだろう」
「……………怖かった」
ようやく言葉が出たアレクの声は静寂の中にいても聞き逃してしまいそうなほどとても小さく、微かに肩が震えていた。
「あのまま離れてしまったら、岬さんは助からないかもしれない。そう思うと彼女の事しか考えられなくなった。ボクは………もう、何も失いたくはない……」
「アレク……」
頭を抱えた手が微かに震えている。彼にとって、キメラと戦う事よりも岬を失う事の方が恐ろしいのだろう。
エドナの復讐という目的で忘れていたが、アレクは元の世界で大切なものを奪われている。復讐は大切なものを奪われて初めて芽生えるものだ。
やっと零した彼の本音に直哉たちは言葉が出なかった。石山はそんな彼に一歩歩み寄る。
「その気持ちは分かる。だからこそ、他の誰かに同じ苦しみをさせないためにも力の貸してくれ。君たちにしかできない事を我々は全力で支援する。我々を、信用してもらえないだろうか?」
顔を上げたアレクに石山は手を差し出す。僅かに戸惑いを見せるアレクだったが、ゆっくりと石山へ手を伸ばす。
その時、手術中という電灯の光が消えて扉が開く。
「成功なのか!? 岬さんは!?」
「わっ!? 君は彼女の家族ですか?」
「アレク、落ち着け。我々は彼女の身内と職場の者です。その、彼女の容態は?」
中から医師が出てきた瞬間に詰め寄るアレクを森崎は引き離す。その場にいた全員の視線が医師に集まる。医師はマスクを外し、疲れた表情が露わになる。
「なんとか一命は取り留めました。これから病室へ移すところです」
「――よかった……」
医師の言葉を聞いてアレクは安堵と息が漏れ、その場に座り込む。直哉も頬が緩み、小さくよかったと何度も呟くアレクの肩に手を置く。
「とりあえず、一安心だな」
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森崎は岬が病室に移るのを見送ってから優理たちに報告の電話をしていた。彼女たちも岬の事を心配しているだろう。
「しばらく入院する事になったが、岬さんはなんとか一命を取り留めた」
『ほんとですか!? よかったぁ~』
『肝を冷やしたが、まだ現世を去るには早過ぎるからな』
『……生きてんなら、よかった……』
優理、和弘、クロトはそれぞれの声に安堵の色が混じって聞こえて森崎も少しだけ不安が和らぐ。三人共、通話が繋がった瞬間に切迫した声で岬の様子を尋ねてきた。
『んじゃ、オレは寝るわ』
『うん。夏鈴ちゃんには明日伝えますね! あの子も心配してたんで』
「ああ、そうだな。そっちに異常はないな?」
『はい。私たちは大丈夫です』
あの後、クロトには優理と和弘の護衛してもらう関係でクロトと夏鈴には隠れ家の方へ来てもらった。夜遅いので、夏鈴だけは先に寝かせて、三人は連絡を待っていてくれた。
「今は日高君とアレクが事情聴取を受けている」
『キメラを従えてたのって、やっぱりあいつですか?』
「話を聞く限りその可能性は高いと考えてる」
『そう、ですか……』
沈んだ優理の声に森崎はどんな言葉を掛ければいいか分からなかった。
自分の知り合いがキメラの協力者でしかもから仲間を殺し掛けたのだ。嫌っている相手とはいえ、彼女の心境は複雑だろう。
迷っていると電話越しに何かを叩く音がした。
『じゃあ、明日は今日の戦闘で何か情報が掴めないかチェックしてみますね!』
「あ、ああ。分かった。対策室には俺から伝えておく」
『お願いします。もう遅いですし、森崎さんもゆっくり休んで下さいね。それじゃ』
「小山さん!」
通話を切ろうとする優理を呼び止めたはいいが、咄嗟に言葉が出てこない。今の彼女の心境から掛けようとする言葉はあるが、それを口にしてもいいのか。そう考えてしまい、沈黙が続く。
『どうしました?』
「………無理はしてないか?」
いつもの明るい彼女の声に意を決して言葉にする。
優理は一人で抱え込む事が多く、それを限界まで溜め込んでしまう傾向がある。今回も自身の個人情報が晒され、仲間が傷付いている状況に心を痛めているはずだ。
『………してないと言えば嘘になりますね』
少し間が空いて答えた声は少しだけトーンが下がり、元気がない。当たり前だ、と思いながらどう言葉を掛けようか考えていると『でも』と電話越しにまた明るい声に戻った優理の声が届く。
『弱いままのでいるのは嫌ですし、今は一人じゃないから平気です!』
「………そうか」
それが優理の言葉を聞いて零れた言葉だった。
初めて会った時はいつ心が折れてもおかしくないほど心が弱っていた少女が今は傷付いても立ち上がる強さを持った。安心する一方で良かったのかと迷う自分がいる。
「しつこいようだが、無理はするなよ」
迷いを出さないように注意を払って掛けた声は自分でも驚くほど優しい声音が出た。声につられて表情も柔らかくなり、微笑んでいる事に気付く。
『はい。心配してくれてありがとうございます』
「引き留めて悪かった。じゃあ、おやすみ」
『はい、おやすみなさい』
『ふん、愛しき者への惜別の声に乙女の心が混ざるとは。貴様も随分凡人の女の感性を取り戻しつつあるようだな』
『はぁ!? ちょっと和弘、あんた何言って――』
投下された爆弾発言に反応するよりも早く、うっかり終了ボタンを押してしまった。掛け直して言葉の真意を尋ねるのも気が引けるので、モヤモヤが残るが、一旦胸の内に留める事にした。
通話を切って静かになり、森崎はそっとスマホをしまう。少し間が空いてから無意識にため息が零れた。
見守っていた少女がいつの間にか立ち上がって前へ進んでいく強さを持った事に対して素直に喜べないでいた。
「いつまでも見守るだけでは駄目だな」
今の彼女は能力を使ってクロトたちの支援もできるようになってきた。その姿に頼もしさを感じながらもこのままでいいのかと迷う事が増えた。
しかし、彼女の意志は固く、はっきりとしてきた。それは贖罪のためではなく、できる事を精一杯したいと前向きに捉えている。ならば、彼女を止めるのではなく、支えるのが自分がやるべき事だろう。
「俺もいつまでも迷ってばかりではいられないな」
支えると決めたのならそれを貫くだけだ。優理の笑顔が失われないために。
大人としてというよりも、優理の笑顔でいられるようにと想うその気持ちがどういうものなのか、考えないように森崎は静かに決意する。




