008:入領
遊牧民と家畜の群れを後に、また歩き始める。
草原はだらだらと続くように見えたが、変化もあった。
短草から長草へ。だんだんと草が繁茂してくる。
そしてポツリポツリと樹が目立つ。樫とかかな? 枯れた木は見当たらない。生木は燃えないよなあ。
自然に出来たと思しき池。淀んでいるので、さすがに水は利用できそうには無いが、黄道を抜けるというのは大きいのだな。
急激に植物の種類が増え、小動物の姿もちらほら見える。
俺たちに驚いた小鳥の群れが、茂みからワッと飛び立ち、離れた木立へ集る。枝を走るネズミやリス。沼の中に悠然と立ち、優雅に魚を捕る水鳥。
もう航路を外れたら歩けない。
キャリーバッグを持ってくれたレアーナは、俺の隣を楽しげに歩く。ちょっと無理にはしゃいでる感有るけど。
『鳶が飛んでると、小さな動物がたくさん居るんだよ』とか『燕は太陽と一緒に夏を追って巡る』とか無駄知識を披露もしてくれる。
どうやらさっきの俺は様子がおかしく見えたのだろう。他の物に気を向けさせようという心遣いのようだ。
彼女からしてみたら、標識を見て違うと言い張って、むやみやたらに悩んでいたように見えたかも。どうしてそんな事に拘るのか判らないだろう。そしてケロッと立ち直る。どうしちゃったの、てなもんだ。
心配させてしまったな。妖精なのだから実際の所は判らないとしても、俺から見たら行動や考え方は見た目相応の小娘だ。考えが行動に直結するタイプ。
情けないな、俺。『常識外れ』に弱いんだな。もう『古い常識』は捨てないとな。
夕刻ごろ。辺りの景色が、がらりと変わった。
丸太の柵。整えられた下草。一定間隔で並んだ同じ種類の樹。丘の上の方まで整然と並んでいる。
果樹園だ。
その枝には緑の丸い果実。これなんだ?
梅の実に見えるけど、梅はこんな木じゃ無いな。
葉は細長い楕円形。すごく分厚くて硬い。枝は上に向かって伸びてる感じ。
「これ何の木?」
レアーナは枝に触れ、手元に引き寄せてじっくり観察。
「うーん、オリーブ……かな」
「へー、オリーブってこんな実なんだ。これを搾ると油が取れるのか?」
「うーん、里ではオリーブ無いんだよね。オリーブ油は調味料として買ってるの。妖精領は日差しが弱くてさ。上手く育たないんだよね」
「植物なら何でもあるわけじゃ無いのか」
「当たり前だよぅ」
領域外を利用した栽培の最外縁。
先にバナナかなと思ったけど、ずっと夏ってわけでなし、ちょっと無理なのかな。
赤道と熱帯雨林はないっぽいな
そこから進むと、品種が変わる。
その枝には特徴的な形の緑や黄色の果実。檸檬だ。結構大玉だな。
檸檬並木の次は蜜柑。これも整然と見渡す限り並んでいる。皮の厚い、丈夫な果実が選ばれているのだろうか。
蜜柑には、レアーナもふらふら寄っていきそうになったが、さすがに栽培している物という認識はあるようだ。
李下に冠を正さず、だぞ?
大きな丘を登り詰めると、道の先、地平線に何かある。人家かな?
まだいくつも丘を越えないとならないようだが、この場所は比較的高く、遠くが見渡せる。
時刻はもう16時36分。陽炎が消え、遠くまでよく見える。
日滅までには、まだ距離は稼げそう。
ひたすら歩き、薄暗くなってきた頃、果樹園の中を抜ける。
次に有ったのは……稲? 麦じゃない。ここ丘陵地だよな。
「これは?」
「え? 稲でしょ? どこか変かな」
当たり前らしい。うーん。なんだっけこれ。たしかどっかで……。
「……陸稲! これ陸稲か!」
まだ穂は垂れておらず、収穫にはまだ時間がかかりそうだが、稲があるとは。そうなると水稲はないのかな。
穀物は当然あると思っていたが、米があるとはな!
でも陸稲だから、洗練された味は期待できないな。多分『炊く』という用法ではなく、『蒸す』とかピラフとかパラパラした感じの炒め物しかなさそう。
でも煎餅とかなら焼けるかもな。砂糖醤油があればいいな。
わくわくしてきたぞ!
その日の夜は、路上で泊まることになった。もう路上でないと火が使えない。
灯りもない夜、路上で寝っ転がる事に危機感を覚えたが、レアーナの「だから夜間は走らないんだよ」の言葉に、なるほどと納得した。
もちろん定期便にも灯火はあるのだろうが、無人の荒野ならともかく、人里近くを安全にかっ飛ばせるわけではないからな。
五徳を広げ、真ん中に石を組み、その上に練炭を置く。傾かないように石を並べてっと。
そして点火。
ぱん、ぱん、ぱんっ。きゅっ、きゅっ。とん、とん。
ぱん、ぱん、ぱんっ。きゅっ、きゅっ。とん、とん。
ニヤニヤ見つめるレアーナ。
くっ……しばらくお待ちください。
19回目でようやく成功。
ばっと炎が上がり、すぐに小さくなって安定する。じわじわと時間を掛けて赤熱していく。
一つ6時間ぐらいは持つらしいから、夜中に一回替えれば大丈夫だな。
鍋に水を入れ、五徳に掛ける。
五徳が周りをさえぎるから、火力は上がるんだが、温かさは偏る。
レアーナと肩を寄せ合って座る。
「あとちょっとだなあ」
「そうねぇ」
丘の向こうの空が少し明るい。ポロスボロスの灯りだ。
あんな大きな定期便が発着するのだから、人も物も集まる。かなり大きな街だろう。積み降ろしは夜の内に行うだろうから、夜のない街かもな。
「ニブルハウルはどんな感じなんだ」
「他の街を見たことないからなあ。慌ただしい所だったよ。誰も彼もが急いでる感じだった」
「へえ」
「出入りするのは人間ばっかりで、妖精はあんまり。たまに招聘されて歌とか踊りとか披露しに行く人もいたけどね」
「レアーナはどうなの」
「だったら貧乏旅行なんかしてると思う?」
「ちがいない」
レアーナは苦笑い。俺も釣られて苦笑い。
寄せ合う肩。暖かな炎。立ち上る湯気。
夕食のカップ麺をおいしく頂き、眠りについた。
明日は、街に着く。何が待っているのか。
翌朝。
囂しく囀る雀の声。生存競争の歌だ。
昨晩は寒さで一回目を覚まし、練炭をもう一つ焚いた。
火に近い側に居たレアーナはしっかり安眠だったようだ。
仕方ない。仕方ないんだ。
時間はまだ早朝。6時50分。
日照(日出とはいわない)は既に始まり、辺りは明るくなっている。
真っ白にクズクズになった練炭をくずし、消火して土に埋める。五徳はちょっと焦げてるがまだまだ使えそうだ。しまっておこう。
これだけ外泊すると、さすがに手際も良くなる。順応してきたなあ。
ごろごろ、どっすーん。
「うきゃあ!……痛ったあ」
ほんと、順応してきたなあ。
彼女のために弁護しておくが、決して寝ぼすけというわけではない。いくら田舎育ちといえど、旅慣れていなければ、都会もんと変わらないということだ。
複数の雀の群れが、お互いを追い合って、円を描くように廻る。
稲に集り、追い散らされ、今度は攻守を入れ替えて、同じ事をする。
鳥害も馬鹿にならないと思うのだが、案山子のような対策は見当たらない。
面積が大きいから、手が回らないのかもしれない。
稲が終わると、今度は棚が組んである。葡萄棚だ。
乾燥に強かったり、温かいところ向きの作物が、やはり選ばれているようだ。
そして人影が!
見回りに来た農夫だろうか。ハイになったレアーナが手を振ると、大きな麦わら帽を、わざわざ振ってくれる。
距離的にはたいしたことは無いのかも知れないが、徒歩だから結構大変な旅だったな。
だんだんポロスボロスが近づいてきた。
人間の視点では全景はとても見えないが、差し渡し2㎞ぐらいの大きさだろうか。
なんかバスターミナルのような施設が見える。あれが定期便の発着場だろうか。意外にちっちゃいな。
だんだん陽炎が立ち初め、街区の姿は揺らめく。
どんどん街が大きくなる。
あれ? まだつかないな。
あれれ?
ポロスボロス間近まで近づいてみると、街は意外なほどの大きさになった。
ちょっとした田舎町を想定していた俺は、大きく予想を裏切られた。
(また、このパターンか……)
どうもこの世界は地球とは距離感が違うな。この理由ははっきりさせておきたい所だ。
建物もちがう。
もっと素朴な木造、石造を想像していた。
遠くから見ていたときは平屋だと思っていた住宅街は、みな2階建て以上だ。
材質は赤っぽい小片。焼成煉瓦だろうか。
バス発着場だと思っていた施設は近づくにつれどんどん大きくなり、駅になり、そして港湾施設になった。
完全に尺度を見誤った。
街の広場のような、大きめのバス始発駅に入って、そのまま町中に入っていく。そんな感じだと思っていたのに。
空港の滑走路を歩いたことがあるだろうか。空港バスに乗るまでとかでなく、ど真ん中を。
もしくは国際港の岸壁や貨物作業場を。
歩いてもちっとも進んだ気がしない。
見える物の尺度全てが日常と異なり、自分が小人になったような錯覚を起こす。
航路の終端。俺達は地を這う虫だった。
俺たちは航路という河底を歩いてきて、今は港の海底を歩いているのだ。
地面は踏みならされた土だが、辺りは大きな岸壁が並んでいる。高さは2階の窓から屋上程度。
中央の大きな広場は、巨大な槽を取り回すのに十分な広さがあり、そこへ何本もの岸壁が櫛の歯のように飛び出している。
水のない港という表現がぴったりだ。
「こんなにでかいとは」
「ニブルハウルはこんなに広くなかったよ。さすが本場だねぇ」
「本場?」
「こういうのを使って他の領と行き来するのを始めたのは、人間領からだからね」
「ほう」
「他のとこにも似てるのがあるのかも知れないけど、妖精領との間は人間が探検で来たのが始まりだよ」
「探検だったのか」
「当時は妖精領も人間領もどっちも大騒ぎだったらしいよ」
「でもなんで探検なんだろう」
「人間って、領外に何が有るのか知りたくて仕方が無かったんだって」
「わからんな。住めない様な世界の端っこを知ったって何の意味も無いだろう。無駄骨に終わるかも知れないのに」
「見ないで、知らずに居るのが怖かったんじゃないかな。何も無いかも知れない。世界の終わりが有るかも知れない。見たら帰れないかもしれない。でも見ずには居られないって感じ? まあ妖精達には理解できなかったみたいだけど」
「ん? レアーナにはできるのか?」
「まあ、ちょっぴりね」
広大な港内(?)を渡りきり、岸壁の側まで来た。
高さは4から5mほど。下の方は石造り。上の方は煉瓦造りだ。上下で古さが違うな。これは嵩上げを繰り返してるのかな。
「登れそうに無いな」
「うん」
振り向いても広場があるだけ。その向こうは航路に続く。
広場はたくさんの槽が方向を変えるために廻った跡であろう、自然の交通島ができている。
必然的に出来る轍は丁寧に砂や砂利で埋め戻されているようだ。
「でも、落っこちる人も居るだろうし、定期便を直す人は下に降りると思うよ。どっかに階段があると思う」
注意して見回すと……あった!
岸壁の突端。切り通しのようにへこんだ箇所。階段が掘り込んであるようだ。
「あったぞ。あそこ」
ロータリーに再度出て、階段を目指す。
バスターミナルの中を直接渡るような不安感。
巨大な装置のみが通る所を歩いて渡るのは、落ち着かないな。
突端の階段は幅が狭く、1人づつしか上れないが、車輪を上手く抉って、台車を一段づつ上げていく。取っ手様々だ。
上り詰めると、一気に視界が広がった。
岸壁の上は舗装されている。これはコンクリート? いやモルタルか。
辺りは水のない港といった風情。並ぶ岸壁。
下からは判らなかったが、何台かの槽が停まっている。
トリエステ式の他にも形が全く違う物がある。やはり型式は複数有ったか!
おなじ型式の物にも微妙な差異があり、建造の時期が違うことをうかがわせる。
ちらほらと港湾労働者(でいいのか?)が働いているのが見える。
岸壁間には陸橋が渡してあるところもある。
たくさんの備え付けの起重機。屋根のみの作業場と積み上げられた木箱達。
門型起重機もあるな。
その向こうには、煉瓦造りのしゃれた建物。
あれが港湾事務所かな。
「彼処へ行けば良いのか?」
「他にそれっぽいところ無いし。あとはみんな荷物置き場みたいだね」
ごろごろごろ。
モルタルにはひびが入っているが、しっかり補修をして塗り直してあり、大きくめくれ上がって、段になっている所はない。
なによりここには海水がない。設備の持ちが違うだろうな。
何も停泊していない岸壁から、てくてく歩いてくる俺たちを見て、労働者達はギョッとする。
いきなり沸いて出たように感じたのだろうな。
わざわざ歩いて港に入ってくる人はいないらしい。
「あんたら歩いてここまで来たのか?」
「そうだよ。すっごく遠かった」
当然のようにレアーナが答える。
労働者達がざわつき始めた。
「おい……どこのだ?」
「ほら、遅れてる奴があったろ。あれじゃ……」
あー、なんか噂にはなってたっぽいな。
時刻は13時半すぎ。良い感じの昼下がり。
歓迎されるわけでも無く、拒絶されるわけでもない。遠巻きの微妙な雰囲気の中、素知らぬ顔で進む俺たち。
この時間で停まってる槽は、今日は出立しないって事だろうな。ドームを大きく開いている奴もある。
作業場の横を通り過ぎる。全てが木箱では無く、荒縄で縛った布包み、樽、積み上げた麻袋もある。
驚いたのは、荷役台に載っている荷物があることだ。荷役台の規格は統一されていないようだが、リフトを使っているのかもな。
広いとはいえ整えられた施設。真っ直ぐに事務所に到着する。
一階は柱が多い、開放的な構造。大きく開いた間口をくぐると、大きなホールになっていた。
待合室にありがちな、安っぽいなりに凝った作りの長椅子が並ぶ。
案内のためかガイドポール(ロープで繋がったあれだ)があちこちに並んでいる。厳重そうな鉄柵も。
豪華さを演出するための観葉植物。そして大きな『柱時計』。
俺はさりげない動きでスマホを取り出す。まずは一枚。パシャッ!
自動でフラッシュが焚かれ、辺りが一瞬明るくなる!しまった、自動だった!
視線を集めてしまった。慌てずに。内心焦りながらも優雅な(俺はそう思う)動作で一礼。何気ない顔で歩き出す。
レアーナは突然どうしたのと言う顔で見ていたが、スマホ自体は初見ではないので騒ぎはしなかった。
俺たちが変わらぬ様子で歩き出したことで、一瞬眉をしかめた人々の関心も、なんとなく薄れていく。同調圧力バンザイ……。
磨かれた石造りの床。その奥へと進む。係員らしき制服の女性。
「入領はこちらです。並んで1人づつお進みください」
(は?)
フェリーの発着場を抜ける程度の感覚でいた俺は、一瞬動きが止まる。
レアーナはうきうき鼻歌を歌いながら、促されるままに進む。
(そうだよ!なんで俺は想定しなかった?!迂闊すぎた!)
進む先の頭上に掲げられた看板。
《入領審査入り口》
レアーナは背嚢を降ろし、グレゴルー・トリエステでオルソにもらった書類を取り出す。そして一冊の手帳も。鮮やかな青に新緑色の箔押しで葉を広げる樹の意匠と飾り文字。
『妖精領 旅券』
俺の左右はガイドロープで仕切られ、間近に係員。
冷や汗が出た。
ここは無政府状態ではない。当然出入り自由なはずはなかったのだ。
ライトノベルでありがちな誰でも入ってオッケーな街などあり得ない。昔であればあるほど、街に住むのは特権中の特権なのだ。
もちろん俺も、部屋を出るときに使えそうな物は全部持ってきた。
財布、保険証、運転免許証、キャッシュ&クレジットカード、そして『日本国 旅券』。
汗ばむ手で、キャリーケースから取りだした。
小豆色に金で菊の意匠と『日本国 旅券』の文字。
表紙を開く。
『日本国民である本旅券の所持者を通路故障なく旅行させ、かつ、同人に必要な保護扶助を与えられるよう、関係の諸官に要請する。 日本国外務大臣』
ははは。乾いた笑いが出た。
前ではレアーナが審査官と話している。あの書類が物を言ったのか、上手く合格した。
俺の世界では、日本国の旅券は絶大な効力があった。ほぼ全ての国で殆ど顔パスといっていいほど。途上国の旅券ではこうはいかない。すぐ別室行きだ。
外交は相互主義。俺でも知ってる。
外交関係を結んでいる国では、相互に相手国民の安全を守る義務を負う。『おれもやるから、おまえもやれよ?』ってことだ。
じゃあ、外交関係のない国では?