007:街まであと何マイル?
コンコンコンコン。
コンコンコンコン。
コンコンコンコン。
なんだ?
コンコンコンコン。
正確に四回づつ繰り返されるノック音。
ぱっと意識がクリアになった。がばっと跳ね起きる。
そうだった。昨晩はベッドで眠ったんだ。余りに気持ちよくて寝過ごした。
スマホの時計を確認。8時47分!
ベッドから飛び出し扉を開ける。
「おはようございます」
パリスだ。
無表情。慇懃な態度。
「出発の準備に御時間が必要かと思いまして、失礼かと存じましたがノックをさせていただきました」
(ひぃぃぃぃ! いつから? いつからノックし続けてたの?!)
「朝食をお持ちしました。出発前に槽頭がお会いしたいそうです。出発は10時を予定しています」
どっと冷や汗。しまった。とんでもなく失礼なことをしてしまった。
ホテルなら7時頃から朝食を取れるはず。どれだけ待たせたやら。
「ありがとう」
それだけ言うのが精一杯。
パリスはトレイを丸いすの上に置くと、素早く出て行った。
俺は扉の前から流れるように移動し、眠るレアーナの所へ。
くるくる、どっすーん。
「きゃうっ!」
ああ、今朝もこうなったか。
しかし時間が無い。
「すぐに朝食食べて! それから着替えて! 出航が近い!」
トレイを手にとって、急いで食べ始める。今朝のメニューは……そんなヒマ無い!
考えてみれば、他の乗客は目的地までは降りることが無い。荷物のような物だ。だからモーニングコールで起こしてもらう必要も無い。好きなだけごろごろ出来る。
だが俺たちは違う。出航前に降りなければならないのだ。
レアーナが状況を理解し食べ始めたときには、俺は口の中の最後の一口を飲み下す。
俺は寝間着にもスウェットを着ていたから、マントと帽子を付けるだけだが、レアーナはワンピースに着替えてしまっている。旅装束に着替えてもらわないとならないから、その他の手続は俺がやらないと!
部屋を飛び出し、飛びつくように受付へ。
「援助物資についてご相談が。げほっ、げほっ」
もう体面ぼろぼろだよ。
出航直前、俺たちは露台の上にいた。
オルソの話は簡潔明瞭だった。
一通の書類。内容はグレゴルー・トリエステが遭難者を一晩保護したことと、援助物資を用立てたことの証明。
これがないと彼らは余分に消耗した物資の決済が降りないのだ。
これの写しが、搭乗券と引き換えにレアーナにも渡される。こちらは入領時に何故徒歩なのかを証明する。そうすると彼女の乗っていた定期便の遭難が確認され、捜索と賊の取り締まりが始まるのだ。
つまり、即時の遠距離通信技術は無い。遭難は『到着しない』というネガティブな情報の蓄積に寄ってしか判断できないから、『確定』する事は重要だ。
ポロスボロスまでは徒歩2日、強行軍なら1日。最悪一回の外泊で済む。
水も食料も足りる。しかし大草原で燃やせる木が無いため燃料が無い。そこでもらい受けたのが――
「なに? この黒いの」
だろうなあ。レアーナの里には薪が潤沢にあるだろうから使わないよな。俺も写真でしか見たことが無かった。
『練炭』
空気を通す穴が空いた円筒形。綺麗に整形されている。昔の粉ミルク缶ほどの大きさだ。
それに折りたたみ式の野外用『五徳』。5枚の金属板が蝶番で連結してあって、火を囲むように折り曲げて、その上に物を乗せる。上下には空気を通すパンチ穴も空いている。
この表面の特有の模様。これ亜鉛鉄板か? これは多分鍍金技術があるな。
そして――
ギギィ、ギッ、ギッ
起重機で吊り上げられるシェルビングラック。
引くのが大変になったので、引き取ってもらったのだ。もともと運搬用では無かったしな。
驚いたのは、天井のドームがガパッと開くこと。こうして荷物を積み降ろしするらしい。船倉が一番上なのに合点がいった。自分で移動する人間は下でも問題ないもんな。
代わりにもらったのが俺の背負っている背嚢と台車だ。台車は取っ手付で押していける。車輪は直径が大きく、弾力性がある。取っ手は折りたたむことは出来ないが、走行は問題にならないくらい快適になった。
載っていた荷物を積み替えて、2リットルペットボトルの段ボールケースの隙間に細々した物を押し込んだ。
「ギリギリになっちゃった。ごめんなさい」
レアーナの殊勝な言葉。
「ずっと黄道下を歩いていらっしゃったんだ。仕方も無し。盗賊には追っ手が掛かるでしょう。本槽はお送りすることが出来ませんが、お手伝いできたことを嬉しく思います」
舷梯を降りる。キャリーバッグは台車と一緒に降ろしてもらった。
「舷梯懸吊! 接地輪、固定解除急げ!」
舷梯が露台の上に上げられ、乗組員が車内に戻っていく。出入り口が閉まり、信号旗が降ろされた。
回転を続けていた起動輪が接地輪に触れ、ゴゴゴンと接触音。ぎしりと軋むと回り始めた。
地面からミシミシと石が砕ける音。速度がぐんぐん上がっていく。すごい回転力だ。
もしかして道が綺麗なのは、重量のある車両が走っているからで、舗装されているわけでは無いのかもな。あんな車輪で踏みしだかれたら大抵の石は砕けるか地面に潜るだろう。
走り去る『グレゴルー・トリエステ』を見送る俺たち。
「行っちゃった」
「仕方ない。あと2日だって言うし、急げば1日だ。燃料もある。食料もある。風呂も入った。いままでを考えれば遠足みたいなもんだ」
「そっか。そうだよね。じゃあいこう」
「……ちょっと待て。せめてバッグぐらい持ってくれ!」
素知らぬ風情で歩く速度を上げるレアーナ。
おれもあわてて追いかける。小走りになるレアーナ。こいつ!
そしてちょっと振り返る。小さくなっていく『グレゴルー・トリエステ』。排気煙は無い。どんなエンジン積んでるんだろう。
ああいうのがあったら、帰り道を探すのも楽なんだろうな。トリエステ『式』というからには、そうでない物もあるのだろう。小型の物もあるかも知れない。
機械類は大きくすると、加速度的に制作費も維持費も上がる。小さすぎてもやはり同じだ。2次関数的なグラフの最も低いところ。普及価格帯なら手が届くだろうか。
型式でも等級でも値段は変わるだろうが、選択の余地はあるだろうか。
夢が広がるな!
そこからの旅路は拍子抜けするぐらい楽になった。
ごろごろごろごろ。台車は引っかかることも無く順調に転がる。
緩やかな丘が連なる草原。
「あそこに見える白っぽいのは?」
「ああ、山羊の群れね」
「じゃあ、あの茶色いのは?」
「近づかないと判らないけど、きっと牛。どっちも群れで動いてるから、近くに牧畜犬がいるね」
「遠いのに良く分かるな」
「うちの里だって山羊や牛は居るもの。下草を食べてくれて、森の手入れが楽だし、糞で土も肥えるし、大きくなったら商人が引き取ってくれるしね。妖精領には貴重な現金収入だよ」
「ああ、それで定期便が……」
「もちろんそれだけじゃないよ。木綿とか麻の糸、生地とか織ってるよ。お茶の葉も売るし、樹液を買ってく商人もいる。間伐した材木や枝打ちした薪。あとは楽器とか彫刻とか」
「かわりに何を買ってるんだ?」
「日差しが強くないと育たない乾燥果物とか魚の干物とかの乾物。それに金属製品。調味料もそうだね」
「ほー」
妖精が現金とか生臭い話だなと思ったら意外に取引が成り立ってるんだな。
丘を越えると遠くの高台に斑の建物が見えた。
レアーナは納得とばかりに言う。
「あーそれでか。この辺にもいるんだね」
「あれはなんなんだ?」
「遊牧民の天幕。さっきの山羊や牛の飼い主だよ。妖精領にも居るよ。ああやって御日様を追いかけて一年掛けて領外をグルリと廻って暮らすの。このへんは領域外だから誰の土地でも無い。畑を作るにも放牧するにも街から遠いからああやって草原に天幕を張って暮らすの」
なるほど! 『太陽をおっかける』という荒技が、ここでは有りなのか!
テント暮らしさえできれば、ずっと夏で条件の良い牧畜が出来る。定住しないというのが、ここでは絶大な利点に変わるんだ。
道ばたに倒木を利用した長椅子を見つけた。いままで棚という椅子があったのだが、今の台車には座るスペースが無い。座るところを探していたらしいレアーナは、昼食のエナジーバーを持って走って行く。
(くそう、田舎育ちめ)
遅れて俺が着いたときには、レアーナは4本入りエナジーバーの2本目をぱくついていた。今回はココア味を選んだようだ。
「おっそーい」
「なにいってんだ。荷物があるんだよ」
そういって台車からエナジーバーを取り出す。おっ、俺はフルーツ味が当たったようだ。
どかっとレアーナの隣に腰を降ろす。
この6日間で、こいつとも随分打ち解けた。女を避けてきた俺が、こうも普通につきあえるのは、レアーナのサッパリした気風にあると思う。
なんというか、田舎の遊び友達って感じ。良い意味での浮世離れした行動は、人では無い別の生活様式を持った存在ってのもあるんだろうな。
そんな事を考えながら足を組み直すと、かかとにコツッと何かが当たった。
草をかき分けて見ると、石の柱のような物が顔を出した。
(なんだ?)
見ると、数字が彫り込んである。
『32.187』
アラビア数字?!
「ああ、それたぶん距離標じゃないかな。街の近くの航路にはあるって聞いてる。私も見るのは初めてだけど。草に隠れちゃってるから、この木は目印においてあったのかも」
呑気に答えるレアーナ。
「俺もそうかなとは思ったんだが」
「どれどれ? 20ってかいてあるから街まで20マイルって事じゃ無いかな」
「は?」
あわてて見直す。
『20』
おれは今、何を見ている? さっきは確かに32.某と……。
「おれがさっき見た時は32.いくつって数字だったんだが……」
「えー、標識だよ? ここになにか施設とか有るならまだしも、そんな半端なところに標識なんか作るわけ無いよ。どう見ても20マイルって事だと思うけど?」
もう一度見る。
『20』
手を伸ばし、指でなぞる。
『20』
なんだ……これ。
震える手でスマホを取り出し、標識を写真に撮る。震えのせいで、うまくフリック出来ない。今取った写真を開く。
『20』
遠くで聞こえる家畜の鳴き声。吠える犬。
隣でエナジーバーをモグモグ頬張るレアーナ。
暖かな風が渡る真昼の草原。
しかし俺は、この世界の深淵を覗き込んだ気がしていた。
エナジーバーを食べ終わったレアーナは、遠くの家畜の群れを眺めながら辺りをぶらついている。
俺は混乱する頭を抱えながら、モソモソと機械的にエナジーバーを囓る。
(最初に写真を取っておけば)
悔やんだがもう遅かった。『何か』のしっぽを掴みかけたのに。
あの後、何度試みても『20』以外の数字が見えることは無かった。
根拠は俺の記憶だけ。それすらもう確かめる方法は無い。
20が30に見えたとかなら諦めもしよう。しかし、いくらなんでも『0』を見間違えるとは思えない。20が32に化けるとも思えないし、そもそも桁数がもっと多かった。
太陽の顔を見た時。方術を見た時。俺は決心したのでは無かったか。探求する覚悟をしたのでは無かったか。
甘かった。意識が低かった。備えを怠った。
だから見落とした。
最初の日、俺は暗くなる空を見ながら、影の異常さに気がつかなかった。結果、無様を晒した。
四日目の夜、うっかり失言した。唯一の協力者を敵に回すかも知れなかった。
ここは俺の居たところとは違う世界。違う法則、違う常識が有るのは当たり前だ。
俺はそれを学習しなければならない。我が世界、我が家へ帰り着くのも、『この世界での手段』を講じる必要があるのだ。
健一郎。切り替えていけ。
今回のチャンスは逸した。しかし次は逃さない。
解析に失敗はつきもの。
うっかりCMOSにTTLレベルの信号を印加して壊したことがあったじゃないか。
パッケージを削りすぎでダイを吹っ飛ばしたこともある。ダイのボンディングが外れて全部パーになった。
プローブのインピーダンスで波形が乱れて誤動作させたこともある。
寒い朝だけ動かなくなる回路、浮遊容量で周波数が不安定になる回路を組んでしまったことも。
ビット落ち、ページループ、タイミング不足でブラックホールメモリ。
ソフト以前の不良も楽しく解析してきた。
30年物のハッカーを舐めるなよ。
逃したチャンスのことを思い悩むのを止め、次のチャンスを掴むことにする。
エナジーバーの残りを一息に頬張り、スポーツ飲料で流し込んだ。苦い後悔も一緒に飲み下した。
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ケンがおかしい。
20マイルが気に入らなかったのか、さっきから距離標をいじったり睨んだり。
すっごくイライラしてる。
食も進んでないし、大丈夫かな。
あ、なんか急に食べ始めた。様子が変だな。
今度はバッグぐらい持ってあげようかな。
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「ねえ、なんだか疲れてるんじゃ無い? バッグぐらいなら持ってあげようか?」
なにやらこっちをちらちら見ていたレアーナが、俺が食い終わるのを待って、突然妙な事を言い始めた。
そりゃ、願ったり叶ったりだが、どんな心境の変化だろう。
意外そうな俺の顔を、何か気遣わしげな表情で見つめてくる。
「大丈夫。これくらい大丈夫だからね」
そういってキャリーバックを持つ。
あれっ? 俺って気遣われてる?
まあいいか。助かるしな。