006:グレゴルー・トリエステ
目にチカッと痛み。急速に覚醒する意識。目を開くと、陽光が飛び込んできた。
「うっ……く」
身体を起こし、頭を振って意識のモヤモヤを振り払おうとする。
ズキン。思わず額を手で押さえた。
(寝不足だ)
今日はこの世界に飛ばされた日から数えて五日目。出発してからだと三日目の朝だ。
太陽はもう目覚めている。これは寝過ごしたな。
昨晩はずいぶん練習したが、一度しか上手くいかなかった。また手本を見せてもらわないとな。
まさしく『四十の手習い』って感じか。おっと、これじゃあオヤジギャグだぞ。
昼夜の寒暖の差は小さくなって、夜もずいぶん過ごしやすかった。
ツツジの様な腰丈の常緑樹の茂みも有り、トイレも楽ちん。
さて、レアーナを起こそうか。
ごろごろ、どっすーん。
これは毛布の端を掴んで引っ張り、包まっていた御嬢様を起こして差し上げた音だぞ。
やさしく声をかける、身体を揺さぶる、鼻をつまむ等の、涙ぐましい努力を空しく費やした果ての、男女平等的な優しさの発露である。
『目を覚ます』と『起きる』の同一性について意見の相違があり、レアーナは毛布への立てこもりを実行していたのだ。
「……っく。いたたた」
効果は覿面だ。
「おはよう」
にっこりと笑顔で御迎えする。
文字通り『衝撃』の目覚めに地面で呆然としていたレアーナは、目が合うとやっと理解したのか脹れっ面になった。
「……お、は、よ、うっ!」
潤沢に薪があるので、十分なお湯がある。かさばり、歩きながらは食べられないカップ麺を消費していく。今朝はカレー味。
「蓋を開けて中を見たときはどうしようコレって思ったけど、意外においしいのね」
体育座りでニコニコ食べるレアーナ。
中身を見た時は、これは食べ物なのかと言わんばかりの表情だったが、カレースープをフォークの先で恐る恐る味見して大納得。
手荒な目覚めで斜めになった機嫌もすぐに直り、気持ち良く方術の実演もしてくれた。
しかし出発前になると、俺は荷物棚を見て溜息をついていた。
昨日、航路に舗装がかかると、大型ゴムキャスターの制振性を上回る振動が加わるようになり、さらに共振による騒音が加わったのだ。
さらに引っ張り抵抗も大幅に増加してしまった。
直径の大きいゴムキャスターでもこうなのだから、一般的な直径5センチのプラスチックキャスターだったら進行に支障すら出ただろう。
歩きには全く支障が無く、むしろペースアップできそうな路面状態なので先を急ぎたいのだが、引いている棚が重荷になってきたのだ。
水と食料はまだ半分程度は残っている。
日中は水筒のスポーツ飲料を飲み、調理にはミネラル水を使う。
この状況があと何日続くかは、地図もGPSも無いので不明であり、これらを捨てていくという選択肢は無い。
しかし10㎏以上は確実にあるこの荷物を、手持ちで行くこともできない。
乾物だけなら行けるかも知れないが、安全な水を捨てて生水を飲むのか?
「荷物は減ってるのに、体感は重くなるとはなぁ。うるさいのは我慢できても、振動で荷物が落ちるのは困るな」
「私は自分の背嚢が有るからね?」
言外に私は持たないと釘を刺されたぞ。わかってますとも。
せめてもう一つ空の背嚢が有ればなぁ。
「水物がもう少し減るまでは、このまま騙し騙し進むしか無いな」
竈の始末をして航路に戻る。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ、ガガガガガガガガガ
堪らず立ち止まり、顔を見合わす。どちらからとも無く苦笑い。
結局、いつものペースで進むことになった。
進むに従い、灌木の群生が点在する植生は変化していき、地面は見えなくなった。
乾燥に強そうな灌木は次第に姿を消し、柔らかい葉の短草が大地を埋め尽くしていく。
「大草原だな」
「大草原ね」
他に何も言い様がない景色。モンゴルの草原を連想させる。暖かな風が草原を渡り、レアーナの髪がなびく。もう熱風は吹かない。
お昼のゼリーを飲みながら、辺りを見渡して歩く。
遠くの草原に動く物が見えた。初老の俺には、メガネが無いとはっきり見えないような距離だ。
レアーナに指で指し示す。
「うーん、何だろう。野生馬、かなぁ」
「馬か。乗せてくれないもんかな」
「裸馬なんて無理無理。馬具が有ってもケンは落っことされちゃうと思うよ?」
そう言って朗らかに笑う。
はるか彼方の空には野鳥の姿もちらほら見える。
確実に生活圏に近づいている。そんな実感がある。
そろそろ人に会えるんじゃ無いか。
そんな気がした。
「なんだろ」
最初にレアーナが気づいた。
「何か聞こえない?」
昼下がり、響き渡る雲雀の声を、騒音で掻き乱しながら歩いているときだった。
「ん? こんな状態で何か聞こえるのか?」
「なにか、すごく小さくて遠いんだけど……」
唇に人差し指を当て、思案顔で辺りを見回すレアーナ。
「ちょっと止まって」
そう言って、髪をかき上げ耳を澄ます。露わになる少し尖った耳。
ハッとした。
普段、あまりに普通なので意識しないが、以前見た『色の変わる髪』の様に、人間とは違うところを見せられると、人では無いと再認識させられる。
「やっぱり聞こえる」
俺も耳を澄ませてみるが……判らない。耳介の形がちょっと違うぐらいで、そんなに聴音に差が出るのか?
「お腹の底が揺さぶられる感じ。重たい音。ちょっと気持ち悪い」
腹に手を当てて浮かぬ顔のレアーナ。
うーむ、俺には何も……いや、聞こえるぞ。聞こえてきた!
ドドドとも、ゴゴゴとも聞こえる重低音。
「あそこ!」
レアーナが指さす航路の彼方に動く物が見える。もしかして……。
もう俺にもはっきり聞こえる。何か重たい物を転がす音だ。
少しづつ大きくなってくる。こっちに向かって進んでいる。
ギラリと光を反射するそれ。人工物!
「定期便だよ、あれ!」
レアーナがはしゃいだ声で言う。
俺は目を凝らす。
遠いのでディテールははっきりしないが、大きな車輪が付いている。泥よけはなく車体から飛び出している。
なるほど、定期便は装輪車のたぐいだったか。
「ちゃんと気づいてくれるかな?」
「何の障害物も無いんだ。見えないはずが無い。遭難者救助の義務があるなら尚のこと。しかし……」
レアーナは不安顔。俺は思案顔。
定期便はどんどん近づき大きくなってくる。走行音も大きくなり、地面には僅かな振動を感じる。
「ここに居ると危ないんじゃ無いか? ちゃんと止まれるのか?」
疾走する姿は重厚で圧迫感があり、前に立つと本能的な恐怖を感じる。
「ケン!これ貸して!」
「あ……」
レアーナは棚からタオルを一枚ひっつかみ、駆けだした。
とっさのことで呆気にとられる俺。
「知らせてくる!」
止めるまもなく走って行く。
タオルを頭上で振り回し、ぴょんぴょん跳んで「止まってー」と大声で叫び、また走り出す。
俺は仕方なく棚を引いて、端の方に寄っていく。
定期便はさらに近づき、細部が見えてきた。
大きいと思っていた車輪は、上下に二つの車輪が連なっているようだ。車体は前から見ると山型パンのような形。上が半円形。下が箱。
(でかいな。長距離トレーラーぐらいか?)
その時、変化が現れた。
上の車輪が持ち上がり下の車輪と離れ、下の車輪からは火花がほとばしる。
気がついたようだ。
続いて車上には棒が伸び、旗がいくつか掲揚された。
(? あ! 信号旗か!)
火花を散らす車輪を見て、レアーナが帰ってくる。やったと言わんばかりの得意顔で手を振る。俺も手を振り返す。
多分急制動を掛けているのであろう。車輪からは共振音。
もう前面の風防が判別できる。中で蠢く人影も。
しかしまだ到着しない。どんどん大きくなる。どんどん。どんどん。まだ大きくなる!
長距離トレーラーじゃない!もう二回りは大きい。超大型のダンプ並だ!
車輪の直径は俺の身長の二倍弱。それが二段に積み重なり、車体の高さは三階建ての住宅並み。横幅はさらにでかい。
グーンと制動音を響かせながら徐行し、上下の車輪を時々接触させて距離を伸ばす。
なるほど、上が起動輪で下が走行輪、接触させて連軸器にしてるのか。
間近まできてギギッと制動音を立てて停車した。全長は三十メートル以上ありそう!
車輪はまるでロードローラだ。上下で8の字型のそれが片側四組。起動輪は回転を続けている。
「でっかいでしょ!私が乗ってきたのとちょっと形が違うけど、これが定期便」
レアーナは両手を広げ、我が物顔の解説。
「でかいな」
対する俺は憮然とした顔。
レアーナはそんな俺を見て、当てが外れたらしい。
「あれっ、なにその反応。驚かない?」
「驚いてる」
「じゃあなんでそんな顔してるの?」
「だってこれ前から来たんだぞ……逆方向行きじゃん」
歩かなくて良いかと思いきや、これだ。まあ切り替えていこう。
(さあ、この世界に来て最初の人工物だ。情報収集だぞ)
素早く、視線を車体に走らせる。
車体から受ける印象は装甲トラック。車輪の形状のせいか、マカダム式ロードローラーの印象もある。
車体は基本、木製。構造的には方舟っぽい。つまり、車台と車体が別れていない単体構造ってことだ。
鉄っぽい材質の金具でしっかり補強があり、金具には出っ張りがある。鋲か捻子で固定されていると思われる。
車体は横から見ると一応流線型。先頭部分は真鍮製と思しき光沢を放つ球状格子構造。前面の風防にはどうやらガラスがはまっている。
車輪の上には車体を取り巻くように露台。ここからでは上面は見えない。
上下に連なった車輪はいずれも鋼製。上の車輪はいまも回っている。動作音は『ゴゴゴ』ではなく『ゴーー』。軸のゆがみや車輪重心の偏心が少ない加工精度があるということ。エンジンの弾み車みたいな部分なのかも。
全ての起動輪は同じ方向に同期して廻っている。ベルトで伝達しているか回転軸が有るのかは判らない。
下の車輪は直接地面と触れるので表面に凹みや傷がたくさんあるが、肉厚の接地面は走行に支障はなさそうだ。定期的に下は交換しているのかもな。
一見して読み取れるのは、これぐらいが限度だった。
操縦室……いや、船橋と言った方が良いかな。そこから露台に出る出入り口が、内側から押し開けられた。分厚いな。5㎝はありそうだ。
そこからどやどやと数人の人影が露台の上に現れる。さあ、どうなるか。
上から野太い声が降ってきた。
「定期便運行条約に基づき、停止を行った!貴殿達の現状を把握したい!貴殿達の目的を告げよ!」
おおっと。思っても居なかった形式張った照会だ。もっとトラックの運ちゃんっぽい感じだと思ったのに。
素早く打算。ここはレアーナに答えさせるべきだ。レアーナに目配せする。
「?」
レアーナは自分に御鉢が回ってくるとは思っていなかったらしい。おいおい、一番の当事者じゃ無いか。小声で促す。
「俺は話を聞いただけで実際に見たわけじゃ無いからな」
「そっかぁ……そうだよね」
レアーナは声を張り上げる。
「私ぃ! 妖精領から人間領の定期便にのっててぇ! 7日ぐらい前に盗賊に襲われて逃げてきましたぁ! 人間領に行きたいのぉ!」
乗組員のシルエットがざわつく。
「搭乗していた槽名はなにか!」
「えーっ? ちょっとまって……」
レアーナはあわてて背嚢を降ろし、中をごそごそ探って見つけ出した搭乗券らしきレターサイズの紙片をかざす。
「デルベンタ・ザグレブぅ!」
伝令役らしき1人が、車内と会話。
「しばし待たれよ!」
ほっと一息。さてこの定期便は、見たところポロスボロスから他の領域へ出立したものと推察される。これに乗せてもらってポロスボロスに行くことは難しいと思うが……。
結果はすぐに出た。
「本槽は運行服務規程により、運行予定の変更ができない! よって二つの選択肢を提示する! 一つ! 本槽の保護を受け目的地へ同行する! 一つ! 必要な援助を受け独自に出立地へ向かう! 選択されたし!」
(うん、こうなるわな)
俺はレアーナの判断を待つ。
「私ぃ!人間領に行きたいのぉ!戻ったら困るぅ!援助でぇ!」
「了解した! これより旅客運送規約に従い、遭難救助を開始するっ! 旗旒信号上げろ!」
伝令役が伝えると、車中がばたばたし始めた。旗が差し替わる。救難旗なのかな。
「本槽は現地に翌朝まで停泊する! 停泊準備完了後、搭乗を許可する! その後必要な援助を申告せよ!」
さすが公営。なんとも杓子定規。
「起重機回せ! 舷梯懸吊準備! 接地輪、固定作業開始!」
つりさげられた梯子が降りてきて、露台と地面をつないだ。
レアーナは喜気として登っていく。俺は棚をどうしようか迷ったが、持って上がれないのは判っているのでキャリーバッグのみでそれに続く。
露台に登ると2人の男が待っていた。船員のようなぱりっとした制服かと思いきや、シャツにズボンにサッシュと、海賊風のラフな格好。その立ち位置から上下関係がうかがえる。
「トリエステ式貨客槽「グレゴルー・トリエステ」へようこそ。私は槽頭のオルソ・リンデン。こちらは槽次のパリス」
(? あ!)
俺はレアーナの脇を肘で突く。自己紹介だよ。
「ひゃっ! レ、レアーナ・シェルザーです。助けてくれてありがとう。こちらはケン。同行者です。遭難してるところを介抱してもらって一緒に旅をしてきました」
オルソは頷く。
フルネームは俺も初耳だ。
「では、先程の搭乗券を見せてもらえるかな?」
レアーナが手渡した搭乗券を確認するオルソとパリス。
「なるほど、確かに。これはいったんお返しする。堅苦しいのはここまで。おつかれさん。今夜はゆっくり眠ってくれ。用事はパリスが承る」
そういってオルソは船橋へ。パリスは俺たちを車内にいざなう。
ドームの様な上面の端にある出入り口が跳ね上がり、明るく照らされた床が見えた。急な階段が付いている。ほんとに船っぽいな。
この世界では、こういった乗り物を槽と呼ぶらしい。どういう謂われがあるのか、知りたいところだ。
降りたところは船倉らしきところ。広い空間に大量の荷物が固定されていた。
床に規則正しくボルト穴が並び、荷物の近くには輪つきボルトが差し込まれていて、フック付きロープが掛けられている。
あのドームのような天井は透光性があるようで明るい。
入ってきた出入り口が閉まる。別の乗組員が閉めたのだろう。数人が露台を歩き回る音が聞こえる。
そこからさらにもう一層降りる。スペースを節約するためか、階段はどれも狭く急で、キャリーバッグを降ろすのに苦労した。
通路も狭く、せいぜい70から80㎝ほど。壁には燭台が掛かっている。光源は蝋燭じゃ無い。石油ランプ?
「停泊中は係のものが照明をともします。運行中は安全のために消灯です」
パリスが説明する。俺は何も言ってないぞ。前に居るのに勘良すぎ。
左の壁は外壁だった方だ。密に継ぎ合わされた木板。鉋が掛かってるな。指先で触れても、継ぎ目はほとんど判らない。
右の壁は上下に大きく湾曲している。前後にも少ししてるな。半円形?
材質も違う。白っぽい無地。継ぎ目が無いぞ?触れてみるとつやの無いさらっとした質感。何だろう。一番近いのは和太鼓に張られた皮だろうか。
通路は車体の最後尾まで続いていた。突き当たって右へ。
すると右の壁は木板になった。同時に形状も判明。巨大な半円筒形のようだ。もしかしたらさらに下の階層まで続いた円筒形かも知れない。
中央には回しハンドルの付いた細身の出入り口。横幅がかなりタイトだな。
パリスがハンドルを回すと、扉の内部で機械音。気密式だ。厚みは4センチほどで、周囲にはゴムパッキンらしき物。天然ゴムかなと触れると、硬い手触り。硫黄が配合されてるな。
中は二メートル四方程度の狭い部屋。金属製の内張がされたトンネルのような感じ。気密室のように見える。
押し込められてから、内側を開けるのかと思ったが、パリスはあっさり内扉を開けた。同時解放できるのならエアロックじゃ無いか。
しかし、扉のサイズといい、二重であることといい、レアーナの言っていた領域外の極寒と、可能な限り隔絶しようとする工夫なのだろう。
「どうぞ中へ」
促されて中に入ると、照明が多い明るい廊下だった。左右に扉が並び、廊下の反対側は壁に横長の穴。作り付けの帳場だろうか。
「ここが客室フロアとなっています。手前右と左の水密扉は、右がトイレ、左がシャワーとなっております。ではこちらへ」
扉を閉めたパリスは、先導して歩き始めた。
トイレとシャワーを越えると、扉の種類が変わる。横目で観察。
こじゃれた感じの装飾つき。丸い取っ手。客室の扉か。部屋番号と思しき銘板。俺は驚きの声を必死に抑えた。
『七』! 漢数字!?
「なにか?」
パリスが振り返る。
しまった、驚きで足が止まっていた。内心冷や汗。
「いえ、それが……」
何気ないそぶりで後を見る。
するとレアーナが遅れて立ち止まっていた。その視線はシャワー室に注がれている。
(いいぞ、ナイスだ!利用させてもらおう)
「……彼女が遅れていたので」
「そうでしたか」
どうやら納得してくれたようだ。不審に思われなかっただろうか。
「レアーナ、先に部屋へ行こう。荷物を置かないとシャワーに入れないだろう」
「やっぱりきになっちゃって」
舌をだして苦笑いし、駆け寄ってくるレアーナ。
彼女を疑う気持ちは、俺にはもう無い。
ここが地球ではないことで実験台やドッキリの可能性は無い。そうなると遭難を演出する必要も無い。
意図的に転移をさせる力や方法があるのなら、わざわざ部屋と住人ごと転移させなくても物資だけで良い。
水と食料を惜しんでの口減らしなら、害するチャンスはいくらでもあった。
これらの情報から、『遭難中の彼女の所に、偶発的に転移した』という暫定的な結論を出したのだ。
なによりけっこう間が抜け……いやいや。素朴で裏表の無い人格のようだ。
だが、他の人物については警戒を解いては居ない。
この世界の政治形態と身分制度について、ある程度の情報を得るまでは、意図せず禁忌に触れてしまったり、特異な法令に違反したり、不注意から無用な敵意を向けられる可能性がある。
俺はそれを昨晩やらかしている。幸いなことにレアーナは指摘するだけで、忠告すらしてくれた。
もし、町中で『魔法使いとかいないのか?』とか口を滑らせていたら……。
とても『厄介』な事になっていたかも知れない。
もしかしたら地球とは根本的な善悪観念が異なっていて……。
パリスの後を歩きながら、扉を見ていく。
八、七、六……客室は8つ。すべて閉じている。
しかし貨客便であり、聞いた話ではあるが旅の過酷さからして、空気を運ぶようなことはしないだろう。
せいぜい駆け込み客か非常用に一つ空きがあるぐらいだろうか。
パリスは突き当たりまで進み振り返る。
「ここは受付窓口となっています。係の者が常駐しています。ご用の向きにはこちらにお越しください」
位置的にはこのむこうが操縦室なのだろう。
見ると張り出しの上には金色の呼び鈴。上のボタンを押すと鳴る奴だ。
壁の向こうからルームキーが差し出される。係員の姿は手元しか見えない。ハイジャック防止のためかな。
鍵の形状を素早く見る。復古調な棒鍵。古典的なレバータンブラー錠のようだ。
「レアーナ、鍵は君が持つべきだ」
そういって前を譲る。パリスは何も言わない。
「もう、しかたないな~」
そういいながらも顔はニヤニヤ。鍵を受け取ると、パリスは左の扉を開ける。
「お部屋はこちらの一番になります」
レアーナに続いて中に入ると……相部屋なんだけど?
パリスを振り返ると、「あいにく空室が他にございません」とつれない返事。何も言ってないのに本当に勘が良いな。
レアーナの意見を聞こうと向き直ると、既にベッドにダイブしていた。
あー、もう替えてもらえないな。二人部屋でなくて良かったと思おう。
「お食事はこちらにお持ちいたします。シャワーを御利用の際は、シャワー室入り口の旗を起こし、施錠をお願いいたします。ではごゆっくり」
流れるようにスラスラと口上を述べると、あっさり扉を閉める。
俺は諦めてキャリーバッグを壁際に置き、丸いすに腰掛けて壁にもたれかかった。
部屋の壁は湾曲しており、奥側の天井が低くなっている。横から見ると扇形。左右に二つのシングルベッド。その上には水平に金属の梁が通っている。ハンガーが引っかかっているから、そういう用途もあるんだろう。
入り口の右には書き物机、左には化粧台。どちらも作り付けのチープなもので、丸いすが一つづつ。六畳間程度の広さだが、車両の中であることを考えると広いと言える。
レアーナは左のベッドを既に占領して、背嚢の中を探っている。中から数枚の衣服を取りだして胸元に抱え込むと、「先にシャワーしてくる!」といって、部屋を飛び出していった。
さあて、一晩の宿を得た。この乗り物の構造にも興味はあるが、銘板の漢数――
ばーん!
突然、扉が開いた。
「シャワー、タオルが無かった!棚のタオル貸してね!ケンのも持ってくるからぁー」
レアーナの声。気を抜いていた俺がドアの方を見る前に、彼女はまた飛び出していった。言葉の最後など遠ざかりながらだった。
まあ、7日ぶりの入浴ならしかたない。いくら御俠な彼女でも気持――
ばーん!
また、扉が開いた。おいおい。
「扉、締められちゃってるから、係の人に聞いてくる」
(えっ? 締められてる?)
気になった俺が外をうかがうと、レアーナが受付で訴えていた。
「私たちが引っ張っていた棚に、タオルが積んであるの。取りに行きたい」
「これも規則でして。誰もが外をうろつくと、何かあったとき責任が取れません。周りに何も無く、行くところもする事も無いので、保温の為に閉めているんですよ」
「でも無いとシャワーが」
「ええ、今、他の者に取りに行かせました。もう少々お待ちください」
みると扉が閉まっていた。あちゃー。夜にでも車内を見物に行こうと思ってたのに。
「もしかして領域外定期便は初めてで?発着場から出立後は何の施設もないので、普通皆さんは客室フロアから出たりしません。辺境は領域最外縁なのです」
ふむふむ。国際港で、出たら外洋って感じか。
これはどうしようも無いな。あきらめて扉を閉める。
商人と商品を詰め込んで無人の荒野を進む。それを運ぶ専門性の高い乗組員。盗賊が積み荷を狙って襲ってくる。全額先払いで乗り合い、じっと船内で耐えるしかない。
一発当たれば大もうけ。投資で船を建造し、乗組員を集めて航海へ。成功すれば乗組員も栄誉と分け前にあずかれ、失敗すれば全てを失う。
定期便であり、大航海時代のような毎回精算する一大事業では無いが、これは大航海時代の貿易に似ているな。
この貨客槽をみてもわかるが、若干の機械力を使う技術もある。だいたい18世紀ごろの技術レベルと推察できる。
もちろん全ての人が同じ生活水準とは思えない。これはここでの最先端なのだろう。
立ち上がってベッドの間を歩き、白い外壁の側へ行く。
手で触れると、微妙に熱を感じる。ここにも全く継ぎ目も縫い目も無い。
指で軽くはじいてみると、カツン、カツンと硬い音。
拳を固めて軽くノック。ドン、ドン。かなり厚みがありそうだ
今度は力を込めて。ドゥーーーン。響いたぞ。
どんどん。隣との内壁が叩かれた。しまった。他の部屋まで響いたか。これ以上は止めとこう。
物書き台の前に座って考える。高張力ではられた単一素材の一体成形? それとも脳の硬膜のように薄膜間に何か充填されている?
所々オーパーツっぽい技術があるな。
机の上のルームキーを見る。黒檀のような素材のホルダーに使い古され美しく輝く鍵。こういった古い物もある。
スマホを取り出す。型遅れではあるが、俺はこのサイズが気に入っていて、長いこと愛用している。
電話としての用途から来る、使いやすい大きさという物が有り、人間の平均的な顔の大きさ、口と耳の位置関係、手と指の大きさから必然的に決まると考えている。
そこから外れる物は、大きくても小さくても薄くても厚くても『道具』として不適である。
アウトラインプロセッサを起動する。VT100のラインエディタとダイヤモンドキーから経験のある俺には、テキストエディタが何時も筆記具だった。
初めて触ったのは忘れもしない『ISIS-Ⅱ』というDOS。ディスクは8インチ1S。DIRコマンドすらビルドインじゃない。カーソルキーも無く、エコーバックのみの端末から比べたら今は本当に便利になった。
太陽、方術、貨客槽の構造――いまのところの知りたいことはこんなもんかな。さらに細部を列挙。
天体運行、方術の細則、魔法との違い、エンジンの実在性――
ああ、知りたいことが多い! ネットに繋がらないのが残念だ。
ばーん!
うん、もう慣れたぞ。
「気持ちよかったぁ」
時間を見ると、もう7時過ぎ。こいつ1時間以上入ってやがった!
髪をタオルでつつみ、淡いスカイブルーのワンピース。両手に旅装束を抱えて、靴紐は緩めたままだ。桜色に上気した肌。後れ毛から滴る水滴。
ああ、若い娘なのだなと納得した。俺に娘が居たらこれぐらいの年かもな。
ベッドにドスンと腰を降ろして、背嚢の上に脱いだ服を置く。
「はいタオル。ケンも早くいってきて」
ばふっとタオルが投げ渡された。
俺はスマホを置いてキャリーバッグを開け、スエットと肌着を取り出す。
レアーナはタオルを解いて髪を丹念に拭き始めた。自然に漏れる鼻歌。聞いたことの無いメロディ。なんだかやさしい気分になる。
部屋をでて後ろ手に扉を閉め、シャワーに向かう。入り口の脇に金属製の旗。きゅっと立てる。これでバッティングを防ぐのだな。水密扉を閉め鍵を掛ける。
中は狭い脱衣場。籐籠があり、ハンガーもある。服を脱いで篭に押し込み、内扉を開ける。
空気の流れを感じた。換気されているな。
中には足つきのバスタブとシャワーカーテン。何だろう。良い香りがする。
バスタブは綺麗な白い素材。継ぎ目が無い。中に入り軽く叩いてみる。ゴゥン、ゴゥン。うーん、何だろう。プラスチックなわけはないし。琺瑯かな?シャワーカーテンは麻っぽい。防水の為だろうから黴びる前に取り替えるのだろう。
シャワーは壁に直づけ。蛇口とは別だ。大きく広がったひまわりのような形。うーんレトロ。その下には並んだ2本の槓杆。片方が水で片方がお湯だな。両方を同時に引き、温度を調整する。
身体の垢を流しながら、周りを観察。シャンプーや石鹸のたぐいは無い。
じゃあ何の香りだろう。サッパリした甘い香り。
直前に入ったのは……。ぽんっとレアーナの顔が浮かぶ。まさか……。
男の入浴は女ほど長くない。あっさり終わって水を切り、脱衣場へ。
タオルでワシワシ拭き、新しいスウェットを身につける。靴は……いいや。旗を倒し、ぺたぺたと廊下を歩き部屋へ。
レアーナはタオルを首に掛け、ベッドで足をぱたぱたさせて鼻歌を歌っていた。見るからに御機嫌だ。
「レアーナは石鹸を持ってるのか?」
「えー、なんでぇ?」
「シャワーですごく良い香りがしてさ。石鹸かなって」
「え?!」
ぴたっと動きが止まるレアーナ。ぎぎっとこちらを向く。驚愕の表情。
「まさか……嗅いだの?」
「え……あれ? どうした?」
「匂いなんて……変態?」
やばい物を見た、とばかりの渋い顔。
えええええええ! なんでそうなる!
「ストップ! そんなわけ無いだろ! 俺の国じゃあ入浴には石鹸があるのが当たり前だったんだ! 無いとすっきりしないんだよ!」
レアーナは渋い顔からジト目に。
めんどくせえええ!
「……ぷっ! ぷははははは!」
そして吹き出し、破顔した。
「ははははは。ごめんね。それこんな匂いじゃ無かった?」
そういって投げてきたのは一葉の葉。楕円形で硬い。嗅いでみると、シャワー室で嗅いだあの香り。
「それ、私の葉っぱだよ。良い匂いでしょ。私、月桂樹の樹精なんだ。香りでこれにしたんだよ。肉桂と迷ったんだけどね。長いから身体に染みついちゃったんだね」
からかわれた?!
「私たち樹精は、自分の樹の葉を持ち歩いてるの。お互いの自己紹介に使うんだよ」
名刺みたいなもんか。私はこういうものです、てな感じで葉っぱを見せるのか。THE異文化!
「ケンは全然着替えたように見えないね」
俺は肩をすくめた。
ノックの音。シャワーから出たのを見計らったのだろう。
開けるとパリスとは別の乗務員。
「お食事をお持ちしました」
そういってトレイに載った夕食をベッドの上に置き、すぐに出て行った。
自分のために給仕された食事。沙漠を放浪する経験の後では実に嬉しい。
メニューはバターがたっぷり載った山型パンのトースト2枚に切り身の焼き魚ソースがけ。チーズの薫り高いポタージュ。ドレッシングのかかったサラダ。そして蓋付きの茶色い飲み物。発酵茶葉のお茶かな。
さすが出発直後。これが終盤だと味気ないメニューになるんだろうな。
2人でささやかな晩餐。レアーナは終始ニコニコ。
柔らかなベッドで満足な就寝。
その晩は、夢も見なかった。