005:火花散らして
寒さに目が覚めた。辺りはまだ薄暗い。
変な時間に寝てしまったので、何時もより早く目が覚めたのか。
昨晩はあれこれ考えながらだったので、いつ頃眠ったのかは定かでは無い。
軽い頭痛がする。身体を起こすときに、少しあちこちが痛んだ。
辺りの空気はひんやりとしており、地面近くには霧が出ていた。
焚き火は既に燃え尽きかけ、炭になった枝の中で僅かな熾火が燃えている。
その向こうにはレアーナが、口元までマントを引き上げ、毛布を抱き込むように眠っている。
そういえば昨日の晩、レアーナは食事をしたのだろうかと見回すと、空のカップ麺が一つ。塩味だった。隣には底に少し煤の付いたマグカップ。
(直接乗っけたのか。たくましいねえ……)
自然に笑みがこぼれた。
たしかテレビで、キャンプの荷物に自分用のマグをぶら下げている人を見たな。液体を汲める容器は、アウトドアではコップサイズでも有用だな。
その時、辺りに光が差した。見上げると『あいつ』が目覚め始めていた。
全体が赤から橙、黄と、じわじわ明るくなっていき、周辺からはめらめらと捻れる光冠が立ち上り始める。
そして目がゆっくりと開いていく。
「あの目は何を見てるのかな……」
光冠は綺麗に全方位に吹き出している。大気圏の外にあり重力の影響を受けていないということだろうか。
しかし見た目は意外と近いようにも見えるのだが。
あの近くまで行けるのだろうか。判らないことだらけだ。
やがて目は開ききって、その姿は輝く光球になり、正視がつらくなって目を背けた。
「うぐゅぅぅぅぅ……」
その光に突き刺されて、レアーナが情けないうめき声を上げた。
光から逃げようとモソモソ動き、あちこち向きを変えるが逃げられるわけも無く、しぶしぶ起き上がる。
「おはよう」
「ぉ……ょ……ぅ」
口がもごもご動いたので返事をしたようだが、頭が傾いで目が閉じている。寝覚めが悪いタイプなのかな。
「昨日は迷惑を掛けた。ありがとう」
そういって頭を下げる。下げた後でこの動作は謝意を示す事になるだろうかと心配になった。
しかし寝惚け顔のまま、にへらと笑顔になるレアーナ。通じたようだ。
身振りは何時何処でも同じ意味を持つわけでは無いことを気にとめていないと、いつか致命的な失敗をするかも知れない。
俺は無言でドライバーとトレーを渡す。レアーナは機械的にそれを受け取り、それが何か理解するとどんよりとした目をした。
「じゃあ、俺は朝食の準備をしておくから、今のうちに用を足してこい。このマグ使わせてもらうぞ」
「起き抜けの情緒が吹っ飛んだよぅ」
涙目のレアーナを送り出し、朝食の準備をする。
といっても、薪も無くなったので、大量のお湯は作れない。今朝はカップ麺を諦めるしか無い。
水を入れたマグを熾火の上に乗せ、少しでも暖まるのを待ちながら、エナジーバーを棚から取り出す。チーズ味、今朝はこいつだ。
熾火の上のマグがほんのり温まってきた頃にはレアーナも戻り、二人でエナジーバーを囓る。
「ちょっとポソポソする」
熾火の上からマグを取り上げ、手拭いで包んでずいっと差し出す。
レアーナは火傷しないように注意深く口を付ける。
「ずずーっ……間食には良いと思うんだけど」
「栄養はあるぞ」
どうやら食事っぽく無かったらしい。水気が乏しい焼き菓子に感じてしまう、とレアーナ。
「こいつは、遭難したとき重宝するらしいぞ。いちいち調理しなくても歩きながら食える。水さえ有れば、最悪これだけでもしばらく生きられるぐらい栄養があるんだ」
「私には御菓子にしか思えないよ」
エナジーバーだけのあっさりした朝食はすぐ終わる。俺もトイレを済ませてから、熾火に砂を掛けて消化して竈をかたづける。
毛布の土を払い、畳んで棚にしまおうとして、夜露を吸っていることに気がつく。まったく水気が無いわけじゃ無いのか。棚の上に並べて乾かしておこう。
肌寒かった空気は、もう暖まって熱気の前兆を感じる。それに急き立てられるように歩き始めた。
辺りは相変わらずの沙漠。しばらく歩くと、もうさっきの竈が有ったところは見分けが付かなかった。
「そういえば」
「うん?」
「昨日は何が有ったの? 暴れて叫ぶばっかりですぐに気を失ったから判らなかったよ」
何処まで話すべきか。ここに部屋ごと運ばれてどこか判らない。結局の所それしか告げていない。
彼女が本物の遭難者であり、ここが地球では無く、俺はドッキリの被害者ではないことはもう判った。
ここからは異境の地で生きるつもりで行かないと。
「アレを初めて見て驚いたんだ」
そう言って人差し指で空を指す。レアーナは呆れた口調で返した。
「お日様? どうして? 歩いている間もずっと空にあったよ。もしかして太陽の無いところから来たの?」
「太陽はあったよ、もちろん。でも俺の知ってる太陽には顔が無いんだ。夜になったら沈んで、朝になったら登る。夜になっても火が消えたりしないんだよ」
しかし、レアーナはおもわぬところに食いついた。
「沈む? 太陽が? どこへ?」
「地平線の向こうさ」
顎をしゃくって、行く先の彼方を示す。
レアーナは理解できないとばかりに、勿怪顔で肩をすくめた。
「ずいぶん変わったところなのね。里を出ると物珍しいことばっかり」
「じゃあ俺も聞きたいな。太陽の顔はどうしてあるの?」
「はあぁ? ケンの顔はどうしてあるのよ」
あれっ? 俺は変なことを聞いたのか?
「ま、いいわ。顔は自分の照らす場所を見守る為だと思うよ。太陽は領域の中心を向いてるの。その周りを回りながら中を照らして恵みの光を毎日一杯くれるのよ。そして夜は安らかな暗闇を作る。太陽が近づくと夏、反対側に行くと冬。一年経つと戻ってくる。みんなその中で住みやすいところを探して落ち着くのよ」
何か引っかかるな。なんだろう。
「じゃあ領域の外側は?」
「黄道の下辺りは、どこもこんな感じじゃ無いかな。その外はどんどん暗くなるよ。寒いし何も育たないからちょっと住めないかな」
「ん? じゃあもっと外は?」
「方向にも寄るけど他の領域があるよ」
「妖精領とか?」
「それ以外にもたくさんあるよ。他の太陽が照らす、他の領域。もう、聞いてばっかりで話多すぎ。喉が乾いちゃうからおしまい!」
ちょっとしつこかったか。イライラさせてしまったようだ。
だが、驚くべき情報を得たぞ。
太陽が 『複 数』 ある。
ケーブルを引きながら無言で思案する。
さっきレアーナは『太陽が沈む』に食いついた。
そして俺自身も夜に炎が消えていた太陽が、朝になって再び燃え上がるのを見ている。
ここでは太陽は沈まないのが当然なのだ。
これはとんでもないことになった。
沈まないだけならば、地軸が公転面に対して水平に近く恒星に向いているケースが考えられる。
惑星が横自転をしながら公転するので、北半球はずっと昼になり、南半球はずっと夜になる。
そして恒星が一日周期の極端な変光星であるか、何らかの天体が間に入って一日単位の周期的な皆既日食を起こすなら説明が……。
考えるのがばかばかしくなった。
水平自転で昼と夜だけの面がある惑星? 寒暖差で常時暴風が吹き荒れる。
一日周期の変光? 核融合舐めてるの?
夜間ずっと続く日食? そんな巨大な天体が見えないわけ無いだろ。
そしてダメ押し、複数の太陽。
整理してみよう。
・顔がある。
・沈まず、炎が出たり消えたりして昼夜を作っている。
・黄道を通り、領域の周囲を1年で公転する。
・絶えず領域中央を向いているので、年に一回の自転をする。
・領域毎に太陽がある。←New!
溜息しかでない。
最低でも人間領と妖精領の二連星。全部で何連星になるのか判らない。
そんな複合連星、既知宇宙には存在しないだろう。もしかしたらここは同じ宇宙ですら無いのかも知れない。
俺の思考は行き詰まり、立ち戻り、また行き詰まりを繰り返し、途方に暮れながら歩き続けた。
そして昼過ぎ。俺たちはとりあえずの目標とも言うべき所にたどり着いた。
人の痕跡の無い沙漠の中で、明確に判る往来の跡。これがレアーナの言う航路なのだろう。
元々固い地面で有ることも手伝ってか、目立つ様な轍も無く、大きな礫も退けられているようで、砂まみれの舗装道路程度の歩きやすさだ。
「でかいな……」
道幅はおおよそ40mは有りそうだ。戦艦大和でも通れるんじゃないだろうか。
「どこかの航路にぶつかると思ってたけど、以外と早かったね。ここを通っていけば、安全に人間領まで行けると思うんだ。もしかしたら定期便に拾ってもらえるかもしれないし。それにほら!」
レアーナが指さす彼方には、緑が見えた。
「そろそろ黄道の下を抜けるんだよ。だんだん涼しくなって緑が増えるよ」
もう見かけほど近いとは思わなくなったが、それでもあと十数kmだろう。
燃料が容易に手に入るし、水があれば顔が洗える。
さすがに生水を飲まない知恵ぐらい有るぞ。
「夜までにあそこまで行けるといいな。焚き火の燃料が集めやすい」
「今度は手伝ってよ?」
「もちろん。頑張るよ」
大きな岩や窪みを避けて小刻みに方向を変える必要が無くなったので、荷物を引くのも格段に楽になった。
「定期便が通りかかったとして、拾ってもらえるんだろうか」
「私は里を出たのが初めてだから経験は無いんだけど、壊れて動けなくなることだって有ると思うよ。だから通る場所を決めて、後からきた便が助けるんじゃ無いのかな」
「遭難者を見つけたら救出の義務があるって事か。歩きの旅人が遭難を装って只乗りしたらどうするんだ?」
「んー、領域の間を歩きで越えようなんて人は居ないんじゃ無いかな。遠すぎるし。お日様の恵みの無い領域外じゃあ樹精なんてイチコロだよ」
「そんなに? 定期便で何日ぐらいの旅だったんだ?」
レアーナは指を折って数え始めた。こういった仕草は妙に子供っぽい。
「たしか17日の予定だったよ。でも遅れが出るのが普通みたいで……妖精領を出るのに5日……暗闇の時は日数が判らなかったし……あと1日かそこらで着くってぐらいだったんじゃ無いかな。乗るときに料金を払ったら後はお任せだったよ? 寝台と食事が付くから、あとは邪魔にならないように乗ってるだけでブラブラしてた」
「寄港地とかは……」
「ないない!」
信じられないという顔で、両手を振って否定された。
「黄道を越えたらホントになんにも無いの! カチカチに凍り付きそうな寒さの中、真っ暗な航路を何日も進むんだよ? 止まったら凍って動かなくなるからって、一気に走り抜けるの。その間、出入り口は全部閉められちゃって、うっかり甲板に出ようとしたらすっごい怒られた」
両方の領域の太陽が見えない暗闇の中を数日走るというなら、その前後の区間も入れたらかなりの長さだ。ずいぶん過酷らしいな。
定期便という奴を見た事が無いので、どれぐらいの速度で進むかは判らないが概算してみよう。
領域内の光が届く区間を5日、薄明が1日、中5日を暗闇の区間と仮定すると、全行程が17日となる。
光がある内は日中12時間進み、暗闇の期間は止まらないとすると、12日×12h+5日×24h=264hの走行時間となる。
歩く速度を時速5㎞として、それより早くないと利点が無い。
時速10㎞とすると2640㎞
時速15㎞とすると3960㎞
時速20㎞とすると5280㎞
おいおい。寝台列車の旅程度と思っていたが、途中下車もないし感覚的には船旅に例えた方が相応しいんじゃ無いか?
「すっごく大っきいよ! ニブルハウルで見た時は感心したよ。これぐらい無いと領域間は渡れないのかなって思った」
大きな身振り手振り付での力説。
駅馬車の大きいのを想像していたが、環境的にも馬などの動物を動力には出来ないな。
どんな物でどんな動力で動くやら。
足取りも軽く、俺たちは歩き続ける。
航路は決して最短距離では無いが、大きな障害物や涸れ川のような自然の障害物を避け、急カーブや隘路は一切無い広いものだった。
だんじりの山車や、ねぶたの灯籠のような、よほど巨大な物がすれ違ったりするのだろうか。
終日、そんな話を続けて、日滅(日没とは言わないそうだ)間近、俺たちは沙漠を抜けた。
地平線の緑地は、近づいてみると灌木やヒースの茂みの集合体だった。ぽつぽつと茂みが増え始め、どんどんと増えていく。ボコンと出っ張ったコブのような茂みは、直径5センチのキャスターでは乗り越えられない。
辺りはアフリカの草原のようで、地面を覆い隠すほどではない。遠くからだと一面緑に見えたんだが、さすがにそう急激には変わらないか。
航路は、単なる往来の跡から、盛り土で嵩上げして細かな砂利で舗装した、道路と呼べる物になった。
舗装面は5㎜ほどの細かい礫を薄く敷いて均し、重いローラーのような物で丁寧に圧し固められている。石畳ほど原始的ではないが、アスファルトやコンクリートまでは届かない。技術レベルが図りにくいな。
間近には繁茂しすぎないよう、薮を焼いた跡すら有った。定期的な保守がなされているようだ。
靴底で感じる路面の感触は、日本のアスファルト舗装と変わらない。しかし荷物棚のキャスターにとっては……。
ゴゴゴゴゴゴ、ゴゴゴゴゴゴ、ゴゴゴゴゴゴ
棚板も、がなり立てる。
ガガガガガガ、ガガガガガガ、ガガガガガガ
これは滅入る、精神に来る。もう早々に泊まろうと意見が一致した。
「こっちこっち!」
レアーナが道の脇にある薮の近くに俺を誘う。もう辺りは薄暗い。黄昏時だ。真っ暗になるまでもう幾許も無い。
「これ、全部刈って燃しちゃおう」
立ち枯れた灌木の群生だ。枝は細いが総量は多い。今晩の焚き付けには十分な量だ。
「じゃあ、ザクザクっといっちゃうか」
そういって電工ナイフを振るう。
レアーナも、里には愛用の山刀が有るそうだが、まさかの遭難では持ってきているはずも無い。
細い枝などは手でもポキポキ折れるほどで、手を傷つけないよう留意しながらでも小一時間ほどで全てを刈りつくすことができた。こんもりと、まさしく柴の山だ。
レアーナが作ってくれた石造りの簡素な竈に、抱え上げた薪を運ぶ。
子供の頃、林間学校ではどうやったっけ? おぼろげな記憶を頼りに薪を三角の塔に組み上げる。
そこまできて、手が止まった。
(どうやって着火するんだ?)
マッチもライターも無い。おおよそ火種になりそうな物など持っていない。
(あれ? じゃあ昨日レアーナはどうやったんだ?)
棚に腰掛けて頬杖を突きながらニコニコ眺めていたレアーナを、俺は見返した。
「どうしたの?」
「火を付ける物が無いんだ」
「へっ? その組んだ薪に付けるつもりなんでしょ?」
「いや、そうじゃなくって……」
(困ったな。棒と板で錐揉みやるしか無いのか?)
錐揉みで単純に擦り合わせて付くんだろうか。あれってコツが要るのかな。
竈を前に、固まってぼそぼそ言いながら悩む俺を見かねたのか、レアーナが立ち上がる。
「んもうっ、器用なのか不器用なのか判んないよ」
そういって竈の反対側にしゃがみ込む。
その姿は、もう黒い影にしか見えなくなっていた。
ぱん、ぱん、ぱんっ。きゅっ、きゅっ。とん、とん。
手を使って何かをする音。
ピチッ、パチパチパチ。
暗がりに僅かな光が灯り、レアーナの掌が照らし出される。
風から守るかのように緩く広げられた手。その中央に生まれた小さな火球が、線香花火の玉の様に細かな火花を飛ばす。
橙の穏やかな光を放つ火球が、それをやさしい眼差しで見つめるレアーナと、驚きの表情で見つめる俺の顔を浮かび上がらせる。
火球は両手の間の『空中に浮かんで』いた。
「もうちょっと大きく……」
そういってレアーナが両手を広げると、それにあわせるように火球が大きくなり、散る火花の量が比例して増える。
両手の幅で火球の大きさを調整し、そのまま両手を降ろしていくと、火球も薪に向かって降りていき、その中に『潜り込む』!
(え!? これ……なに?)
俺は驚きで声も出ない。
ポッ! と発火し、めらめらと燃え上がる薪。
それを確認したレアーナは両手を上げて、掌を近づけていく。
すると、火球は比例して小さくなり、点のようになった所で掌を下に向けると、支えを失ったように落ち、チュンと音を立てて消えた。
組んだ薪全体に火が移っていき、真っ暗な中に二人の姿が浮かび上がる。
俺は炎に向けていた視線をレアーナの顔に向けた。
「はい、付いた。二人だから早いと思ったらギリギリになっちゃった。……なに? その顔」
俺の顔は驚きで固まったまま。それに気がついたレアーナは怪訝顔だ。
「どうしちゃったの? みんな子供の頃に習うでしょ?」
「……魔法、なのか?」
「えっ……」
心外だと言わんばかりの傷ついた表情。みるみる渋面になるレアーナ。
「それ、他の人の前では絶対、口にしない方が良いよ?」
初めて見る硬い表情と口調。
自分の漏らした言葉がもたらした思いがけない結果に、俺は狼狽えた。
「え、あ……す、済まない。俺は何か悪いことを言ったのか?」
「魔の法だよ? そんなの魔しか使わないよ。魔法使いなんか妖精領じゃあ殺されちゃう。人間領でも昔、隠れ住んでいた魔女達が焼かれたって聞くよ? 危ないから、その言葉、絶対言わないでね」
すっ、と身体が冷えた。
やばい。こんな言葉、気を抜いたらうっかり口から出かねない。
早速やらかしたぞ。気をつけるのは身振りだけじゃ無い。言葉もだ。
内心、臍を噛む。
「知らなかったんだ。気をつける」
「こんなことも知らないって、ケンはよほど遠くから来たんだね。……じゃ、いろいろ教えてあげなくちゃ。話をもどすね」
むむ。気合いが入ったようだ。災い転じて、か?
「さっき私がやったのは方術。決まった所作を行うと、決まった結果が得られるから、練習で誰でも使えるよ。その中でも役に立つ割に簡単な、妖精領では子供が最初に教わる『火花』の術。火は使い方を誤るとケガをするから、扱いに気をつけるようにって言い添えて、ね」
「初めて見た」
それを聞いたレアーナの、気の毒そうな顔!
「見せてくれる人も居なかったのね。もしかして、ケンは孤児だったの?」
なんと!? そんなレベルの常識だったのか。どうしよう。出来ないと不利とかでなく、不審者になりそうだ。
しかし俺の内心とは無関係に、レアーナの中では、勝手に『可哀想なケンの物語』が作り上げられたようだ。
打って変わって涙目になるレアーナ。
「大丈夫だよ、ケン。私が教えてあげる。型をなぞって、早さを合わせれば、誰でもできるからね?」
小さな子に諭すような口調。……初老の男に。
ぐわあぁぁぁ。のたうち回る俺の自尊心。
安定して燃える焚き火。揺らめく火影が創る、暖かな空間。
夕食のカップ麺のお湯を沸かす傍ら、レアーナ先生の方術授業が始まった。
「まず、形を教えるね。ゆっくりやれば絶対燃えないから安心して」
俺はレアーナの手元を注視する。
最初に掌で2回拍手、3回目で手根部のみ打ち合わせて止める。
手根部をくっつけたまま、そこを軸に右、左に1回づつ捻って擦り合わせ。
手根部をくっつけたまま戻した掌の指を熊手にし、指先を2回突き合わせ。
「そして掌を離していくと、火が付くわ。これを実際の早さですると――」
ぱん、ぱん、ぱんっ。きゅっ、きゅっ。とん、とん。
ピチッ、パチパチパチ。
掌を結ぶ直線上の中点に、火球が生まれた。さっきの音はこれか!
「この火は動かせるから付けたいところに動かして、付いた後は掌を近づけて小さくして」
向かい合った掌を近づけると、火球が小さくなる。
「掌を下に」
チュンッ
火球が消えた。
「ふーむ」
「付かないときは形と早さに気をつけてやり直して。一回で出来る子もいるし、練習した子もいるよ。大丈夫。素質とか関係ないよ」
「これ、大きいままいきなり消したりできないのか?」
「そう、それ!」
待ってましたといわんばかりの大きな声。レアーナのいたずらっぽい顔。
「やっぱり、みんな同じ事考えるのよねぇ」
したり顔で頷く。さてはレアーナも同じ事を言われたな。
「この方術は、点けるときは手がくっついてるから、必然的に小さい炎から大きくするよね?」
「そうなるな」
「でも消すときは下に向けるだけだから、いきなり消せる。そう思っちゃう」
「違うのか?」
「いきなり消えるんじゃ無いの。術が切れても火球は残ってるの。落っこちても小さかったらすぐ消えちゃうけど、大きかったら? もし下に足とかあったらどうなると思う?」
あー、そういうことか!
子供の頃に聞いた、線香花火を素足の上に落とした話を思い出した。これは危ない。
妖精領の子供は、簡単に物を燃やす火球を見せられ、それが自分の身体をどうするかを想像させられるのだ。
「まとめると、両手の平を結んだ線の中間に、広げた幅に比例した大きさの火球を作る。こういうこと。だから『どれぐらい大きくなるのかな』なんてうっかり手を広げすぎると……」
掌を結ぶ線は身体に近づき、同時に火球は大きくなる。大きくなった火球は身体を……。
イメージして、ぞっと寒気がした。
「昔、この方術が広まる過程で、たくさん『事故』があったの。だから便利で簡単な術だけど、子供には危険もしっかり教えるのよ?」
なんで俺の顔、覗き込みながら言うの? その子供って、俺?
ぱん、ぱん、ぱんっ。きゅっ、きゅっ。とん、とん。
ぱん、ぱん、ぱんっ。きゅっ、きゅっ。とん、とん。
薪を継ぎ足しながら、黙々と練習。どうやら俺は要領の悪い方の子供らしい。
俺を散々子供扱いしたレアーナは、それによって心のいろいろな何かを充足したらしく、カップ麺をおいしくいただいた後、練習を勧めておいて、そのまま眠ってしまった。
ぱかっと、気持ちよく開かれた大口。どっちが子供やら。
ぱん、ぱん、ぱんっ。きゅっ、きゅっ。とん、とん。
ピチッ、パチパチパチ。
(おおっ! やった、やったぞ!)
手を動かすと、ちゃんと着いてくる。慎重に広げるとムクムク大きくなる。
なるほど。子供ならはしゃいでいきなり大きくしそうだ。そして眼前に近づいてくる火球の大きさに驚いて、手を引っ込めてしまい……。
眼前まで持ってきて、観察してみる。
燃焼炎なのかとおもったら違うな。高温の銑鉄の玉に見える。
火花も線香花火ってよりは、鉄を叩いた時のような散り方だ。
微妙にウネウネ動いているな。実体のある液体なのか?
手近にあった土塊を足で引き寄せ、火球を近づけていく。
すると火球は抵抗なく土塊に潜り込んでいく。
浸透した? それとも、やはり実体は無い?
土塊の中心あたりで静止させる。光は漏れてこない。
ボコン!
うわっ。土塊がはじけ、土が飛び散った。
中からは変わらず燃え続ける火球が現れる。勢いは変わらない。
(なんだ……これ)
酸素は必要ないのか? このエネルギーはどこから来るんだ?
この現象は興味深い。
掌を近づけて、小さくする。ちょっと考えて、片手のみ下に。
チュン
消えた。
なるほど。掌を向かい合わせている間、保持されるっぽいな。
詰めていた息を吐き、肩を回してほぐす。意外に緊張した。同時にすこし浮き浮きした。
子供の頃、初めてマッチを使ったときのどきどきを、すこし思い出した。
レアーナも子供の頃、そんな気分を味わったのだろうか。
そしてふと思った。
(レアーナの子供時代って何年前?)
彼女は妖精。実際の所、見た目通りの年齢なのだろうか。