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一話



 普通って、何だろう。

 何を基準に人は「普通」と呼ぶのだろうか。

 ふわり、と鼻先をくすぐった雪を眺めながら、雪菜(ゆきな)は眉根を寄せた。

「普通って何だよ」

 今日もバイトの面接を断られてしまった。

 理由は雪菜の外見が、人のそれと少々異なるからであった。

 母譲りの銀髪に緑色の目。それから、日本人より少しだけ白い肌。

 ロシア人の母は、今年で五十歳を迎えるにも関わらず、若い頃と変わらぬ容姿を保っていた。

 美しい母は雪菜の自慢であったが、同時に義望の対象でもあった。

 自分にはない凛とした美しさと思ったことを何でも素直に言える強さ。日本で育ったこともあってか、性格は父親に似て卑屈になってしまった雪菜に母はごめんね、といつも悲しそうな顔をして謝るのだ。


(母さんに謝ってほしいわけじゃないんだけどな)


 外見は母にそっくりなのに、どうして自分はこうもネガティブなのだろうか。

 はあ、と吐き出した息が白い靄となって、灰色の分厚い雲に吸い込まれていく。

『君みたいな外見の子はちょっと……。申し訳ないけれど、うちでは雇えないね~』

 さっきまで面接を担当していた店の男の腹を思い出させる雲の形に、雪菜は苛立ったように舌を打った。

 それを言うなら、お前の下腹はどうなんだよ。何だ、その腹は。居酒屋にあるまじき腹の大きさだろ。制服のボタン、飛んでいきそうだったじゃねえか。

 ぶつぶつ、とお気に入りの赤いブーツをねめつけながら、歩いていると不意に視界が暗くなった。

 不思議に思って顔を上げると、横断歩道に差し掛かっていたらしく、背の高い男が真正面に立っていた。


(デカいな)


 そっと、男の姿を横目で盗み見ると、雪菜より頭一つ分ほど背が高いことが分かる。

 ヒールのないブーツを履いていてもその辺の男より高い自信がある雪菜にとって、自分より高い身長の男を見るのは母方の叔父たち以来のことである。

 まして、日本で背の高い男はスポーツ選手やモデル、と人種が決まっているのだ。それでも雪菜より低い身長の方が多いくらいなのに。

 最後に身長を測ったのは高校生の時だから、二年も前のことになるが、百八十三センチはあるはずだ。身振り手振りで男と自分の身長差を測っていると、男が肩を震わせながらにこちらを振り向いた。

「ふ、ふふ」

「な、何だよ」

「いや、ごめん。さっきからバレてないと思って、ちらちら見てくるのが可笑しくって」

 口元を抑えて笑う仕草がひどくセクシーな男だった。

 薄い色素のサングラスから覗く目が、スッと猫のように細められている。

「誰か知り合いの人に似ていたかな?」

 くすくす、と声を忍ばせて笑う男に、雪菜は顔を顰めた。

「どうしてそう思うわけ?」

 気が付けば、信号は青になっていた。ここで会話をやめて歩き出してしまえば、今すぐにでもこの男と別れることができる。けれど、男と会うことはもう二度とないかもしれないと思うと、男がなんと答えるのか雪菜は少しだけ興味を抱いた。

「あんなに熱く見つめられていたからね。余程、親しい人に似ていたか、あるいは単に俺に見惚れていたか。どっちかな?」

 いやに自信満々な顔をして男がそんなことを言うものだから、雪菜は瞬きを繰り返した後、盛大に噴き出した。

「あはははは!! ア、アンタ最高だな!」

 ひー、腹痛い、と雪菜が腹を抱えて笑い声を上げると、男も釣られて小さく笑い声を漏らした。

「ありゃ、どっちも外しちゃった? まあ、いいや」

「?」

「さっきまで暗い顔していたから、元気になったみたいで良かった」

 自然な動きで頬に手を添えられたかと思うと、額に柔らかい何かが押し付けられる。

それが唇だと気が付く頃には、男の身体は雪菜から離れていた。

「じゃあね、お姫様」

 そう言って走り去った男の後姿を雪菜は茫然とした様子で見送った。

 額に残る柔らかい感触を確かめるように、指を這わせると微かに男のぬくもりが残っているような気がした。

「あ!」

 点滅する信号を早足で渡りきると、大きなポスターが視界に飛び込んでくる。そこには、さっきの男がにやり、と不敵な笑みを浮かべて葉巻を片手に持つ姿が写っていた。

「俳優?」

 新しく始まるドラマの告知内容が書かれたポスターを食い入るように見つめる。

 男の――主演の名前を見て、雪菜は絶句した。

 陽希(はるき)。それはこの国の人間であれば、誰しも一度は見たことのある人気俳優の名前だったからだ。さっきまで自分と会話していた人間とポスターに写る男を重ね合わせて、雪菜は思わずその場に蹲る。口から漏れ出た深いため息と一緒に、さっきまで胸に巣くっていたもやもやが空に溶けて消えていく。

「ねえ、君。大丈夫?」

 柔らかい声に、ゆっくりと顔を上げると心配そうにこちらを見る女性と目が合った。

「あ、はい。大丈夫です」

「そう、なら良かったわ――って高いね!?」

「はあ」

「な、何センチ?」

「百八十三くらいです」

 女性は何か考えるように腕を組むと、スーツのポケットから携帯を取り出した。

 知り合いにでも掛けているのか、時折興奮気味に声が高くなる。

「失礼だけど、お仕事は?」

「……今まさに面接を断られたところですけど」

「なら、モデルとか興味ない?」

「え?」

 冷たい風が、銀色の髪を乱暴に撫でていく。

 ポスターの中にいる陽希がこちらに向かってウインクしたように見えた。


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