第2話
「勝てるかぁっ!!」
俺は思わず喚いてしまった。
だが、俺の主張を聞いて欲しい。君、イキナリ素手で熊の魔物と戦えと言われたら、どうする?
死ぬしかないだろう?
めちゃくちゃ強いんだぞ、熊。しかも、日本産のヒグマでも強いってのに、北米のグリズリーとか北極グマクラスをさらにモンスターかしたような熊を相手に素手で戦うなんて、ユージローぐらいだろ、勝てるとしたら。
「勝てるわよ」
ニルはどうでもよさげに言った。
カチンと来る言い方だ。
「お前・・・!」
俺はニルのそばにより、文句の一つでの言おうと思った。
思ったんだ。
しどけなくソファーに寝転がる姿に物凄い色気が漂う。女神のアンニュイな午睡といった感じだ。奇跡の筆致による名画でもここまで見事でもないだろう。
次の言葉が続かず、見惚れてしまった。
俺は何も言えず、ニルの向かいに座った。
「情けない顔」
ニルの言葉が心に突き刺さる。
「そうは言うが、いきなり普通の大学生が熊に勝てるわけないだろ」
「普通の大学生じゃないって教えたと思うけど」
ニルは体を起こして、座りなおした。
「『エノスの子』とかいってもな。なにかチート能力はないのかよ? 現実問題、愛と勇気だけじゃどうにもならないことあるんだぞ。なんかないのか? 魔法が使えるとか。熊を真っ二つにするスキルとか」
「あなた、勇気使ってないじゃない。熊を目の前にしてビビッてブルブル震えてただけじゃない。勇気があったなら、あんな一撃食らってないわよ。あれぐらい避けなさいよ。愛と勇気だけじゃどうにもならない? そんな言葉は愛と勇気を使ったことがある人が言えることよ」
「そんなことは・・・」
俺は俯いた。
確かにビビッてた。今でも怖い。
カッコつけて飛び出して、ビビッた挙句、何も出来ずに殺された。そして、今は情けない泣き言を喚いている。
情けない・・・。確かにその通りだ。怖さのあまり、チート能力がどうのと非現実的なことを頼りにしようとしいている。そんなのある訳ないよな。自分の力で、何とかするしかないんだよな。それに女の子が襲われてるんだ。放っておくのか? そこまで情けない人間になりたいのか?
俺は顔を上げた。
「ニルはさっきの場面に俺を戻せるか?」
さっきの場面・・・。俺が殺された瞬間。そのときの恐怖と絶望を思い出して、吐き気がしてきた。だが、無理矢理押さえ込む。
「出来るわよ」
ニルがこともなげに言う。
死んでも、ここに戻ってくるだけ。そして、ここからは死んだ場面に戻れる。言うなれば不死身か。チート能力としては十分だな。
「じゃあ、戻してくれ」
そのとき、ニルの美貌にようやっと微笑が浮かんだ。
「ホントにしょうがない子ね。いいわよ」
俺は外部接続ハッチの前に立った。
情けないことにすでに足が震えている。自嘲的な笑みで唇が歪んだ。
怖い。戻りたくない。無理だ。こんなことはやめてしまおう。
そんな言葉が次々と心に浮かんでくる。
俺はデイバッグをソファーに放り投げた。
「やってくれ」
俺が言うと、ニルは頷いて、外部接続ハッチを空けた。
漆黒の空間が目の前に広がる。
ニルは俺の襟を後ろから掴むと、ネコを持ち上げるように俺を持ち上げた。この女、どんだけ腕力があるんだ?
ニルは無造作に俺を狭間に放り投げた。
◆◆◆◆◆
俺は森の中で、大の字に横たわっていた。
殺された後の状態に復帰したんだ。
「きゃああああ!」
少女の悲鳴がすぐ近くで聞こえる。
俺は立ち上がった。
熊は俺を殺した後、少女のほうへ向かおうとしていたらしい。汚いケツを俺に向けていた。
「このクマ野郎! まだ俺はやられちゃいねーぞ!」
俺は熊に向って怒鳴りながら、構えを取った。足を肩幅に開き、左足を前にして、体を斜めにする。両肘をわき腹に、拳を軽く握り、左手は相手の胸、右手は相手の顔に向ける。一番の基本となる左前の構えだ。
これでも、中高と少林寺拳法をやってたんだ。2段だぞ。
熊がこちらを向く。
俺が立っているのを認めると、苛立ったような唸り声を上げた。
熊は後ろ足で立ち上がると、俺の恐怖心を煽る様にゆっくりこちらに歩いてくる。その足取りは4足歩行の動物とは思えないほどしっかりしていた。
足が震える。心臓がバクバクしてる。吐きそう。
でも、しっかりしろ! 何とかするんだろ!
熊が俺の目の前に立つ。左手を振り上げた。
しっかり見ろ!
そして、熊の左手が振り下ろされる。
動け! 俺の体!
熊の一撃、ムシでも払うかのような左手の振り下ろしを、右に体を動かすことで何とかかわした。
やった! 動いた! かわせた!
と思ったのもつかの間、コンビネーションブローの要領で、熊は右手の一撃を放ってきたのだ。
フニャフニャと頼りない足を踏ん張って、右に傾いでいた体を左に動かして避ける。俺の頭があった位置を、凄まじい風切音と風圧を巻き起こしながら熊の手が通り過ぎる。
ここだ! 脇腹だ!
熊の攻撃後の隙に、俺は左拳を固め、打ち込んだ。
ポフ。
返しの右だ。
ポフ。
「うりゃああああ!」
ポフポフポフポフ。
俺は手を止めて、熊を見上げた。熊と目が合う。『なにしとんねん。きかへんなぁ~』という感じ。
「ガアアアアッ!!」
熊が怒りの咆哮を上げる。
体がビクッと竦み上がるが、無理矢理後ろに飛び退いた。
その瞬間。熊が覆いかぶさるように飛び掛ってくる。
「うわあああああ!」
俺は横に飛んで転がりながら必死で避けた。あわてて、立ち上がろうとする。しかし、飛び掛りから素早い方向転換で熊がこちらを向く。
次の刹那に俺の体に衝撃が襲い掛かった。熊の突進を食らった上に、全体重で圧し掛かられたのだ。
ベキベキと体中の骨が砕ける。
「ぐ・・・ぶ・・・」
口や鼻から大量の血があふれ出し、息が出来ない。
くそグマが! 重ぇーんだよ!
俺の目に映ったのは熊の大きく開けた口と鋭い牙だった。
俺は頭を齧られて死んだ。
◆◆◆◆◆
ポーンと音がして、エレベーターの扉が開く。
俺は這い出るようにほうほうの態でエレベーターから出た。
「おかえりなさい。早かったわね」
ニルの声が俺を迎える。
「男に向って早いって言うな」
俺はニルの向かい側のソファーに腰を下ろした。
ニルは色っぽくソファーに横たわり、果物を食べていた。開けた口から覗く白い歯が果物に食い込み、赤い唇が果物に押し付けられる。どうしてこの女は動作が一々色っぽいんだ? 同じような存在として作られたハズなのに、俺とこうも違うのは不公平じゃないか?
「お前、ニル、何食ってんだ! それ、俺のだぞ!」
ニルが食べていた果物はビワレンジだった。
「なかなか美味しいわね、これ」
「勝手に食うなよ。俺の非常食だぞ」
よく見るとテーブルの上に皿があり、ビワレンジの種を含んだ芯が数個乗っかっていた。俺がデイバッグを覗くと残り2個しかない。俺は一つ取り出し、齧り付いた。甘酸っぱい果汁が口いっぱいに広がる。ガジガジと勢いよく齧ってビワレンジを食べ切ると、人心地付いた。
「もう1個しかねぇ。なにをボリボリ食ってんだよ。食いすぎだろ」
「私、食べても太らない体質だから」
「そういう意味で言ってない」
「なに、カリカリしてるのよ? もうしょうがないわねぇ。ほら、チュッ☆」
そう言って、ウインクしながら投げキッスしてきた。
「なんだよ、今の?」
「美味しいもの食べさせてくれた、お☆れ☆い☆」
イラッと来た。
俺はハアっとため息をつく。さっきまで文字通りの死闘(ホントに死んでるからな)をして来たのに、なんだこの気の抜ける状況は。
「『エノスの子』って親近感が湧くと言うけど、慣れてくると遠慮がなくなって来るからいかんな」
「まあ、そこは難点かもね」
「お前が言うな。ダメ姉弟の会話だぞ、これ」
「そういうのが好きなくせに」
この女・・・!
「今回は少しマシだったわね」
「まあな」
ガチガチのヘロヘロだったとは言え、体は動いた。攻撃は避けられたし、こちらも攻撃できた。効かなかったけど。最初のときのあの情けなさは払拭できた。次はもっと動きが良くなるだろう。
しかし・・・。
「決め手が欲しいな・・・」
俺は呟いた。攻撃は当てられても、効かないんじゃ、倒せない。周りの物を利用するしかないのか?
「攻撃系のチート能力があればいいんだが」
ないものねだりか。
「ないこともないけどね」
この女はそういうことをあっさり言うんだよな!
「あるのか! どんな!?」
「私たち『エノスの子』の力は、アキの言うところのチートとはちょっと違うのよね。もっと広範囲に広がると言うか」
ニルは人差し指をアゴに当てて思案顔をする。言葉を選んでいるというか、的確な言葉が見つからないのだろう。
「今回はマシだったご褒美に、私たちの力について、少し教えてあげるわ」
そういうと、ニルは勢い良く体を起こして、座りなおした。ドレスの開いた胸元で、大きく突き出た美乳がボルンと揺れる。こぼれやしないか期た・・・心配してしまう。
「アキの運命を見届けるために言葉を勉強したんだけど、説明するのに適当な言葉を知らなくて。悪いんだけど、検索させてちょうだい?」
そう言って、ニルは胸の谷間からスマホを取り出した。
「言葉って、やっぱりニルのほうが日本語しゃべってくれてたんだな」
「私は原文で愉しむ派なの、小説でも、劇でも」
スマホを弄りながら言う。
勉強した理由には引っかかるが、言葉が通じるのはありがたい。だが、逆に言えば、ニルが日本語を知らなければ言葉が通じないということになる。
「いい単語があったわ」
ニルはスマホから俺に目を移した。
「私たちの力は正確にはチートじゃない。CKよ。それもスクリプトドラゴンやSKSE付きの」
「CKって、ベセスダのCKか?」
「ええ、そうよ」
「CKって・・・マジかよ・・・そんなの、チートどころじゃないじゃないか」
予想外の答えだ。強大すぎるだろ、そんな力。しかも、スクリプトドラゴンやSKSE付きって。CKだけでもしゃれにならないのに。
「でも、俺、全く自覚ないんだけど」
「前に言ったでしょう。自覚はないが劇的な変化があるって。『望めば』『創世神エノスによって』『恣意的に操作された結果が』『観測される』のよ」
それって・・・
「神の力じゃないか!!」
「そうよ。その代わり、感覚的で、使いづらいけどね。マニュアルなしで、CK使える? しかも、アキはアキの感覚でCKを使わないといけないのよ」
今だってぜんぜん使えてないのに。感覚的で、使いづらいって。
俺は瞑想するように目を閉じ、自分の中に意識を向ける。
しかし、ダメだ。今まで生きてきたときと同じような感覚しかない。何かに目覚めたような感覚もない。今瞑想してみてくれ。その感覚とほとんど変わらないだろう。
どうやったら、使えるのか、全然わからない。
「うそだろ。こんな、何も感じないんじゃ・・・」
「意志よ。強靭で不屈の意志が結果を生み出すの」
「そう言われても、わかんねえ」
ニルはじっと俺を見て、これまでとはうって変わった真剣な口調で言った。
「レッスン1よ。あの熊を殺しなさい。逃げてはダメ。周りの物を使ってもダメ。あなたの手で、確実に、あの熊を殺すこと。逃げて熊をやり過ごしたりなど、他の方法で今回の件を解決した場合、これから先、私はあなたの手助けをしない」
俺は頷くしかなかった。
◆◆◆◆◆
それから、5回ぐらい死んだ。
生き返って、殴りかかって、ポフっと受け止められて、殺されて。
と言うのを5回繰り返した。
確かに、回を重ねる毎に、怖さは無くなっていき、動きは良くなっている。熊の攻撃は見えるようになったし、避けられるようになった。しかし、こちらの攻撃は全く効かない。攻撃したところを反撃でやられるパターンだ
力を全く使えてる気がしない。
外部接続ハッチの前に立ち、俺は右拳を見た。
「なあ、ホントに俺には力があるのか?」
「使えているわよ。『エノスの子』としてここに居るということは、大前提として力が使えると言うことよ」
「使えている? しかし、全く手ごたえが・・・」
「『効かないパンチ』を打ってるのは、あなたでしょう? 心のどこかで、パンチが効かないと思ってる。CKを使ったって『0ダメージパンチMOD』作ってたら、カニにも勝てないのは当たり前でしょう」
「効かないと思ってる? 0ダメージパンチMOD?」
確かに思い当たる節がある。殴る瞬間、あのポフっという感触を思い出してる。心の中でどうせ「ポフ」だろうなぁと思ってた。
「そういうことなのか」
「そうよ」
ニルは俺の拳を両手で包み込んだ。
「行きなさい、アキミチ。あなたの拳は熊を殺すわ」
ホント、この女、たまーに女神だから性質が悪い。
「やってやんよ」
◆◆◆◆◆
俺は熊の前に立った。
第8ラウンド目だ。
熊が苛立ちのあまり、激怒しているのがわかる。殺しても殺しても、しつこく生き返ってきて殴りかかってくるんだから、相当うざったいだろう。
だが、頭にキてんのは、こっちもだ。
何度も殺しやがって。
いや、もう忘れよう。今までの戦いは全て忘れるんだ。切り替えよう。
ここからがスタートだ。
俺は左前に構える。
熊が立ち上がる。
俺たちは対峙し、睨み合った。
「きゃああああ!」
少女の悲鳴がゴングになった。
熊が覆いかぶさるように飛び掛ってくる。この攻撃の破壊力はハンパない。俺は左にステップしてギリギリかわせた。隙ができるので、左拳を熊の頭に叩き込む。
ポフ。
違う。気にするな。もっと力を込めなければいけなかっただけだ。次はいける。もっと集中するんだ!
熊が四つんばいの状態から右手で裏拳のように払ってくる。それを後ろに下がって避ける。俺がそうするのを見計らったように、熊が立ち上がり様に左手で掬い上げるようなパンチを放ってきた。
マズイ。避けろ!
死亡確実の一撃。俺はしゃがみ込んで熊の一撃を潜り抜けるように左に動く。頭の上を轟音が掠める。生死の狭間の一瞬。時が止まったかのような気がした。がら空きの脇腹が目に付く。
左拳を力一杯握り込んで、突きこんだ。
ドスッ
打ち込んだ後、すぐさま脇を抜けるように横へ移動する。
今の感触は・・・いける! いけるぞ!
沸き立つ気持ちを抑えて、集中する。
「ガアアアアッ!!」
大して効いてないが、今までと違いダメージが通った。そのことが熊の怒りに油を注いだようだ。こちらを睨む眼には狂気が浮かんでいる。
熊は立ち上がり、左右の手で連打してくる。
俺はダッキングしながら熊のパンチを潜り抜けるように左右に体を揺らしながら、全ての攻撃をかわした。熊の攻撃が遅く感じる。
連打では埒が明かないと踏んだのか、飛び掛ってきた。
それを左に動いて避ける。
ここだ!
「うわあああああ!」
あらん限りの力を込めて、右拳を熊の顔面に叩き付けた。
熊の頭が跡形もなく吹き飛んだ。
右手には軽い感触だけがあった。それなのに、あまりにも強い衝撃を受けたときのように熊の頭がなくなる。
熊の体は、首から大量の血を噴出しながら、どうっと地面に倒れこんだ。
勝ったのか?
俺は自分の勝利が信じられず、じっと熊を見守る。しかし、熊の体はピクリとも動かなかった。
勝った。と思った瞬間、全身から力が抜けて、へたり込んだ。
「はあ・・・はあ・・・はあ・・・」
500メートルを全力疾走したような消耗が全身を襲う。
立てない。息が整わない。心臓が痛い。吐きそう。全身から汗が噴出してる。
しばらく、座り込んだまま動けなかった。
勝てた。あまりの安堵感に、気を失いそうになった。
◆◆◆◆◆
「きゃああああ!」
少女の悲鳴で、意識がはっきりした。
見ると、少女はまだ蹲ったまま動かない。
俺は何とか力の入らない体を動かして立ち上がり、少女のほうへ歩いていく。この子のせいでとんだ目にあった。
しかし、何でこの子は逃げなかったんだ? 俺が何度も熊の注意をそらしたというのに。まあ、いい。この世界での初めての人間だ。色々考え方の違いがあるのかもしれない。
「きゃああああ!」
少女が悲鳴を上げる。
なんか、おかしくないか? 熊はもう殺したのに。
少女に向って歩きながら、疑念が沸き起こってきた。
ひょっとして俺が怖がられてるとか?
「もう大丈夫だ。熊は倒したよ」
笑顔だ。人を安心させるには笑顔が重要。これは異世界でも同じだろう。
安心させるように笑顔で語りかけた。
だが、少女は顔を両手で押さえて蹲っている。
「もう大丈夫だよ~」
俺は少女の下により、笑顔で少女を覗き込んだ。
そのとき、少女がこちら向いた
少女には顔がなかった。
のっぺりした平面に目と口の位置にポッカリと穴が開いているだけ。
え? なに?
その瞬間、俺の足元に巨大な口が出現し、俺は下半身を食われた。
熊さえ飲み込みそうな口が俺の腹部を挟み込んでいる。
それは巨大なアンコウのようなモンスターだった。少女は疑似餌なのだ。俺やさっきの熊を釣るための!
アゴの力が強く、抜け出せそうにない。それどころが、のこぎりのような歯が俺の腹を食い破っている。
俺は抵抗するが、さっきの戦いの疲労が酷くて、力が入らない。
とうとう俺は飲み込まれてしまった。
アンコウに食われて、死亡。