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「おはようございます」
声の主は、警戒を解ききらないまま挨拶を重ねてきた。
「……ええ、おはようございます」
京太郎は顔に出さず、穏やかなトーンを作って応じた。
「轟さんのところ、何かご用ですか」
と、男は問いを継ぐ。
「失礼しました。彼とは古い友人でして。小宮と申します」
京太郎は適当な嘘を滑らせながら、軽く頭を下げた。視線だけは下げきらず、
相手の立ち位置と素性を探る。
「ああ、自分はここの大家です」
男の警戒がわずかに緩んだ。洗いざらしのシャツに、丈の短いズボンという出で立ちだ。
むき出しのふくらはぎから足首にかけて、細かな水滴が散っている。
階段を上がる前に下から聞こえていた、ホースで水を撒くような音の正体は彼だったのだと、
京太郎は理解した。
大家は、少し目を細めて京太郎の顔をまじまじと見た。
「にしてもあの人ぉ、友達なんていたんだ」
そして、ぽつりと付け加える。
「……には、見えないけどね」
その『見えない』という言葉の矛先を、京太郎は冷静に引き受けた。それは、この部屋の住人が孤独な人間であるという人物評ではなく、先ほどの自分の振る舞い――友人を訪ねてきたにしてはあまりに陰を帯びた、身辺を嗅ぎ回るような態度――を指して言われたのだと解釈したからだ。
「ええ、おっしゃる通りです。すみません、疑われるような真似をしてしまって……以後、気を付けます」
京太郎は小さく頭を下げて、人の良さそうな苦笑を作ってみせた。
苦笑を作ってみせた京太郎と大家の間に、けたたましい音が割り込んだ。
ドアと薄い壁を隔てた、部屋の奥からだった。電話の着信音だ。男二人の会話は中途半端に断ち切られ、
どちらからともなくその音の連なりに耳を傾ける形になった。
五回、十回。当然、誰も出る気配はない。家主の不在を証明するように鳴り続ける音を、
二人は無言のまま見届けていた。
やがて、カチャリと短い音がしてベルが止む。留守番電話に切り替わったのだ。
自動応答の音声のすぐ後、くぐもった男の声がスピーカーから通路へと漏れ聞こえてきた。
『あー、こちら潮崎警察署ですが。轟伊住馬さんのお宅でよろしいでしょうか』
その単語に、京太郎と大家の体が同時にこわばった。
『実は先ほど、伊住馬さんを本署の方で保護いたしました。お伝えしたい件がありますので、確認次第、至急折り返しのご連絡をお願いします』
一方的な用件だけが告げられ、通話の切れる乾いた音が部屋の中に響いた。
通路に、先ほどよりもずっと気詰まりな間が落ちる。
「……ええと」
大家が、探るような目で京太郎を見た。その顔つきは先ほどとは打って変わり、明らかな面倒事を嫌悪するような、露骨な及び腰になっていた。
「あなた、ご友人……でしたよね」
「あっ、はい。そうです」
京太郎が即答すると、大家は少しホッとしたように、しかし押し付けるような早口でまくしたてた。
「それなら、ご家族の連絡先とかご存知ないですか?もしくは、あなたの方で警察に連絡して対応してもらえませんかね。こういうのは、身内の方や近しい人じゃないとちょっと……」
大家は後ずさるように身を引きながら、言葉を継ぐ。
「必要なら、今すぐ合鍵を取ってきますんで。中に入って、部屋からかけ直してもらって構いませんから」
促されるままに、京太郎は頷くしかなかった。




