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「ちょっと、痛いってば!」
裏返った悲鳴が、階段の踊り場から一階のロビーまで筒抜けに響き渡った。
「お願い、誰か!この人おかしいの、捕まえてよォ!」
伊住馬の身体を借りた少女の霊は、掴まれた手首をひねり、肘を突っ張り、
靴底を床に引きずらせて全力で抵抗していた。
男の骨格が繰り出す力そのものは相応に強いはずだが、抵抗の質が根本的に噛み合っていない。
手首を返す角度も、身をよじる重心の預け方も、その肉体に本来備わっている筋肉の使い方をまるで理解していない者の動きだった。力任せに引き剥がそうとしては崩れ、足を踏ん張っては滑り、それでもなお懸命にもがき続けている。
京太郎は、その一切に表情を動かさなかった。右手で青年の手首を固く握ったまま、
視線だけを真っ直ぐ前方に据え、一定の歩幅で廊下を進んでいく。
何の弁解も、なだめの言葉もない。応じれば余計に騒ぎが膨れるということを、
経験から知っている顔だった。
だが、その冷徹な判断が功を奏しているかといえばまるで逆だった。
泣き叫ぶ若い男を、無言で引きずり歩く長身の男。その構図は、
ロビーを行き交う人間たちの目に、同種の感想を抱く光景としてしか映りようがなかった。
受付カウンターの向こうで書類を捌いていた事務員が、手を止めた。
書類を受け取りに来ていた市民が、露骨に距離を取った。廊下の奥から歩いてきた制服の警官が二人、
三人と足を止め、互いに目を見合わせている。ロビー全体の空気が、じわじわと凝固し始めていた。
「助けて……!」
涙声が、天井の低いコンクリートの空間にべったりと貼りついて、消えない。
一人の巡査部長が、ついに動いた。
壁際の通路から太い腕を振って大股に歩み出てきたその男は、京太郎と伊住馬の行く手を塞ぐように正面に立ちはだかった。現場の修羅場をいくつもくぐってきたことが一目でわかる、日に焼けた肉厚の顔。
その目が、明確な敵意をもって京太郎を捉えている。
「おいあんた」
低い声だった。署内の秩序を己の身体で体現するような、腹から押し出す響きだった。
「さっきから見てたぞ。何をしてる?その人は同行を拒否してるように見えるが」
右手が自然に腰の装備品へ滑り落ちている。制圧の訓練を積んだ人間に特有の、力みのない構えだった。




