第四十段 アシハラへの夢
夜。
柔らかな灯りだけが部屋を満たしていた。
外界の喧騒は遠く、ここには二人だけの時間が流れている。
一人はアヤネ。
そして、もう一人――オモダルことカガセオ。
アヤネは、胸元に頬を寄せたまま、小さく問いかけた。
「ねぇ、オモダル」
「ナギトの方は……どうなの?」
オモダルは天井を見つめたまま、静かに答える。
「戦い方は、君に似ている」
「……感覚を読むということ?」
「あぁ。そうだね」
アヤネは少しだけ微笑む。
「才能があるのね……ナギト」
「彼も天然遺伝子の家系だ。
君と同じ性質を持っていても不思議ではない」
「本人は“直感が鋭いだけ”と思っているようだが……」
「……戦力にはなる」
「ちょっとぉ。
彼はナミカの夫になる人よ?」
「わかっている」
だがオモダルは、わずかに笑った。
「それでも惜しいと思うのは、戦士としての評価だよ」
「まったく……あなたらしいわね」
アヤネは小さく息をついた。
「それで……ナミカの件だけど」
「女王内定を、明日一族へ伝えようと思っているの」
「……いいかしら?」
「あぁ。問題ないと思う」
「わかったわ。明日伝える」
しばし沈黙。
やがてアヤネが、どこか懐かしそうに言った。
「それにしても……ナミカは感情が豊かね」
「そうだね」
「……私に似たのかしら。
あなたではないことは確かね」
「それは否定しない」
二人は、静かに笑った。
そしてアヤネは、再び声を落とす。
「それはそうと……
ターマハラの民は、いずれアシハラへの移住を検討すべきだと思うの」
「そのためには――
ヨモツクニ同盟を滅ぼさなければならない」
「色々と手は打っているけれど……
向こうが、なかなか動かないのよ」
「慎重なのだろう」
オモダルは目を閉じた。
「……まぁ、気長に待てばいい」
静かな夜。
世界の未来を決める会話は、
まるで子守歌のように穏やかに続いていた。
翌日――
王都ヘイアン、地下深層。
太古の石柱が並ぶ円形議場。
そこに集うのは、ターマハラを支えてきた「特別な一族」の長たち。
誰一人として私語はない。
ここは国家の未来を決める場。
中央に、女王アヤネが立つ。
「――次に、摂政ナミカの女王内定についての件です」
低く澄んだ声が議場に響く。
「まず、ナミカの評価を
女王として、率直に述べさせていただきます」
「学業について。
アスカ高等学院およびアスカ大学を主席で卒業」
「次に、生体鎧戦闘評価。
先の世界大会において、私の代理として出場」
「――結果は、優勝」
議場に小さなどよめきが走る。
「次に、遠隔生体鎧訓練」
「つい先日、ナミカは――
この私から一本を取った」
今度は、はっきりとざわめきが広がった。
「――静粛に」
一言で場は凍りつく。
アヤネは淡々と続ける。
「私に一度でも勝利できる能力を有している以上、
世界模擬器および生体鎧艦の習得は
問題なく達成可能 と判断します」
「摂政としての政務遂行能力。
これまで一切の滞りなし」
「各国会議・軍事会議・経済会議。
すでに十分な実務経験を積ませてまいりました」
「――以上を踏まえ」
アヤネは一族をゆっくりと見渡す。
「私、ヤマト国女王アヤカシコネは」
「現・第七世代において、ナミカに並ぶ後継者は存在しない」
「よって――」
「ナミカを次期女王内定者とすることを提案いたします」
空気が張り詰める。
「皆様のご意見を頂戴したく存じます。
忌憚なきご発言を」
沈黙。
長老の一人が、ゆっくりと口を開いた。
「……異論なし」
別の長が続く。
「女王陛下のご判断に同意する」
「血筋・実力・精神。
いずれも申し分なし」
次々と頷きが広がっていく。
そして――
「第七世代女王内定者――ナミカ」
「これを一族総意として承認する」
(ナミカ…よくやったわね)
アヤネは微笑んでいた。
その後――
御所内、摂政の執務室。
ナミカの端末に、一通の公式通知が届いていた。
「ナミカ。
無事、女王内定は一族総意により承認されました。
おめでとう。
――母より」
その文字を見た瞬間、
ナミカの胸の奥で、長く張り詰めていた糸がほどけた。
「……やっと……」
声にならない吐息。
これで。
ようやく。
ナギトと並ぶ道が、現実のものとなった。
ナミカは立ち上がる。
「ナギトさん……」
彼は今も、何も知らず巡回しているはずだった。
一方、御所の回廊。
磨かれた床に靴音を響かせながら、
ナギトはいつも通り警護巡回を行っていた。
そこへ――
「ナギト少尉。こちらへ」
振り向くと、
柱の影から現れたのはナミカだった。
「摂政様」
「……今日、これから
私に付き合っていただけない?」
「えっ……
ですが私はまだ巡回任務が――」
「終わってからでは、いけませんか?」
「……」
ナミカは一歩、距離を詰める。
「今からです」
そして少し小さな声で付け加える。
「……もう、いいの」
「私から親衛隊司令部へは、
“本日は摂政専属警護任務” として通達します」
「ですから――」
ナギトは一瞬だけ目を見開き、
やがて静かに頭を下げた。
「……承知しました、摂政様」
ナミカは微かに笑った。
「ふふ……相変わらず堅いのね」
一時間後――
二人は王都中央広場、
大時計塔の下で待ち合わせていた。
互いに軍服でも礼装でもない。
ただの私服姿。
先に到着していたナギトは、
人波を見つめながら静かに待っていた。
やがて――
「お待たせしました」
振り向くと、
淡い色のワンピースに身を包んだナミカが立っていた。
「今日はすみません。突然で……」
「いえ。大丈夫です」
「それで……」
ナミカは少しだけ微笑む。
「以前から、王都を普通に歩いてみたかったんです」
「お付き合いいただけますか?」
「はい……」
「では、あちらから行きましょう?」
二人は並んで歩き出す。
街の喧騒。
行き交う人々。
しかし、二人の周囲だけ時間がゆっくり流れていた。
「あの……ナミカさん……」
「ふふ」
ナミカは歩いたまま、ちらりと横目で見る。
「二人の時は“ナミカ”でいいわ」
「私も……“ナギト”と呼びたいし」
「えっ……どうしてですか、突然……」
「ナギト」
名前を呼ばれただけで、胸が震えた。
「もう――
私たちの間を邪魔する障壁は、なくなったの」
「……どういう意味ですか?」
ナミカは足を止めた。
人通りの少ない細い路地へ、
ナギトの袖をそっと引く。
「ナギト……」
「私のこと……愛している?」
「……はい」
ナギトは迷いなく答えた。
「愛しています。
ここまで来たことが、その証です」
「そう……」
ナミカの瞳が柔らかく細まる。
「あなたはずっと、行動で示してくれた……」
「だから今度は――私の番」
「私も……愛しているわ」
距離が消える。
「もう……十分待ったのよ。
長すぎるほどに……」
「あなたは――もう私のもの」
ナミカはそっと背伸びをして、
ナギトの唇に深く口づけた。
一瞬、息が止まる。
世界が静止する。
やがて、唇が離れる。
「……ぷはっ」
ナギトは呆然としたまま、息を整えた。
「本当に……どうしたんですか……
こんなに突然……」
ナミカは少し頬を染めて笑う。
「どうしたの?」
「私を欲しかったんじゃないの?」
「……頭が混乱しています」
「ふふ……まぁ…いいわ」
「時間は、たっぷりあるもの。
ゆっくり育みましょう」
「行きましょう。ナギト」
ナミカは再び手を伸ばす。
街の喧騒。
行き交う人々。
しかし、二人の周囲だけ、時間がゆっくりと流れていた。
手を繋ぎ、
恋人のように歩く。
急勾配の階段を登り、
王都の大神宮へ参拝する。
さらに坂を上り、
いくつかの店を横切り――
王都を一望できる高台へ辿り着いた。
(……ここは、以前女王様に会った場所だ)
ナギトが心の中で呟く。
「あの喫茶店……
ナギトと一緒に来たかったんです」
そこには、
拘束された世界から解き放たれた二人がいた。
天然遺伝子が多いアスカでは、
男女が寄り添って歩く光景は珍しくない。
だが王都ヘイアンでは、非天然遺伝子がほとんどである。
恋人同士が手を繋いで歩く姿は、
まだ特別なものだった。
二人は、
王都を見下ろすテラス席に腰を下ろす。
まるで――
この世界でただ一組の恋人のように。
「ナギト……」
ナミカが小さく息を吸う。
「私ね……
あなたのために、一生懸命頑張ったのよ。
本当に……」
「今まで私は、自分のために生きてきた。
でも誰かのために、こんなに必死になったのは……初めて」
ナギトは黙って聞いていた。
「ねぇ……
“アシハラ”って惑星のこと、知ってる?」
「昔、母から聞いたの。
まだ誰の手にも染まっていない、未開の星」
「緑に満ちて、
巨大な海があって、
水が溢れる惑星……」
ナミカは遠くの空を見つめる。
「いつか……いつの日か……
今度はナギトと一緒に、その海を眺めたい」
「そして……
そこでナギトとの子供を育てたい」
「それが、私の夢……」
「ナミカさん……」
「やだ……
まだ“さん”をつけるのね」
ナミカは小さく笑う。
ナギトは頬を赤くした。
「ふふっ……可愛い」
風が吹き抜ける。
「でも良いわ……
私はいつまでもあなたを待つわ….
だってもう”壁”はないのだから….」
二人の髪を揺らし、
王都の空へ溶けていく。
しかし、二人の平穏はすぐには訪れなかった。
この後、ターマハラは激動の時代へと突き進んでいく….
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
アシハラという惑星が新たに登場しました。
どうやら移住計画が進められているようですが、
それが物語にどのような影響を与えていくのか――
ぜひ楽しみにお待ちいただければと思います。
そしてオモダル。
彼はカガセオとして生きていました。
アヤネの夫であり、ナミカの父親でもあります。
彼は物語のキーパーソンの一人であり、
今後、物語の核心に深く関わっていく存在となります。
また、ナミカは“壁”がなくなったことで、
心置きなくナギトへ想いを向け、積極的にアプローチしていくようになります。
恋愛要素の面でも、今後さらに比重が増していく予定です。
引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。




