第三十九段 女王の決断
ヤマト暦2051年――
女王とナミカの訓練は、一年以上続いていた。
ナミカは確かに成長していた。
遠隔視認戦闘、空間把握、複数パターン想定。
以前の自分とは比べものにならない。
だが――
アヤネは、はるか高みにいた。
どれだけ追いすがっても、
その背中は遠く、届かない。
(このままでは……)
(いつまで経っても、ナギトと並べない)
(いつまで経っても、私は“資格”を得られない)
焦りは、静かに心を蝕んでいた。
ある日の訓練後。
「ナミカ」
アヤネが淡々と告げる。
「あなたはまだ、本質を見ていないようね」
「……」
「今日は、もう上がりなさい」
「……はい」
椅子から降り、ナミカは深く息を吐いた。
汗と疲労よりも、胸に溜まる重さの方が苦しい。
その時――
「そうだわ」
アヤネが、ふと思いついたように言った。
「今日はナギトさんと出かけていらっしゃい」
「……えっ」
「たまには気分転換も必要でしょう?」
「……お母さん?」
「安心しなさい。命令ではないわ。提案よ」
だがその声には、いつもの“女王の意志”があった。
拒めない優しさだった。
そしてアヤネは、何気ない調子で通信端末を開く。
「あ、ナギトさんですか?」
『……はい。ナギト少尉です』
「今日、ナミカの護衛をお願いしたいのですが。よろしいでしょうか?」
『……はい。承知いたしました』
「ありがとうございます。それでは後ほど」
通信はそこで切れた。
ナミカは呆然としていた。
「……お母さん」
「何かしら?」
「……どういうつもりですか」
アヤネは、どこか楽しげに微笑んだ。
「ただの気分転換よ」
「それとも……あなたは、行きたくないのかしら?」
「……」
ナミカは、答えなかった。
答えられなかった。
アヤネは窓の外、王都の空を見上げる。
王都の商業区。
人の流れに溶け込むように、ナミカとナギトは私服姿で歩いていた。
互いの正体に気づく者はいない。
ナミカは楽しげに店先を覗き込み、
ナギトはその三歩後ろを静かに歩く。
「ナミカさん……これはなんなんでしょうか?」
「何って、見れば分かるでしょ?お買い物よ」
「お買い物は分かりますが……」
「しっかり護衛を頼みますね」
ナミカは服のラックに手を伸ばした。
「これとかどう?ナギトさん」
「……良いと思いますよ」
「ふーん」
別の服を取り出す。
「それじゃ、これは?」
「……それも良いと思います」
「さっきから『良いと思います』しか言ってないですけど?」
「全部お似合いだと思っていますので……」
「ふふっ、何それ……」
小さく笑い、ナミカは一着を決める。
「じゃあ、これにしよっと」
「すいませーん、これください」
会計を終え、紙袋を手にする。
「ナギトさん、これ持ってください」
「はい……」
その後も、ナミカは気に入った服を次々と選んでいった。
ナギトの手にはいつの間にかいくつもの袋が下がっている。
そして二人は、街角の喫茶店へと入った。
窓際の席。
穏やかな午後の光がテーブルを照らす。
「ナミカさん。こんなに買い物をしてしまって、大丈夫ですか?」
「えぇ、大丈夫よ」
ナミカは紅茶を一口飲み、微笑む。
「気分転換をしたかっただけだし、服はいくらあっても困らないわ」
「それに――」
ナギトを見る。
「たまには、普通の女の子でいたい日もあるのよ」
その言葉は、誰にも聞かせない小さな本音だった。
「ナギトさんは、最近はどうなんですか?」
「はっ?」
「生体鎧の鍛錬は進んでいるんですか?」
「はい…最近は時々ですがカガセオさんに練習を付き合ってもらっています」
「えっ?カガセオさんが…..」
「私….カガセオさんが生体鎧を操縦しているの一度しか見たことがない….」
(ナギトさんが言わなかったら、思い出さなかったかも….)
「はい….なんでも昔凄腕の生体鎧の使い手だったとか….」
「そうだったの….」
「はい、驚くべき使い手です。なんというか殺気みたいなものが全くなくて….」
「時々何と対峙しているかわからなくなります」
「以前ナミカさんと練習している時と全く違う感覚です。異質で….私はかなり対戦相手として苦手な方です….」
「そうね….カガセオさんって時々考えがわからない…というか何を考えているかわからない時があるわよね…」
(以前私がカガセオさんが母と対戦しているのを見たことがある…..)
(あの戦い….まだ小さい頃であまり深く考えずに見ていた気がする)
(でもなんだろう母とカガセオさんはとても楽しんでいたように思える….)
(今の状況から母が戦いを楽しむなんて想像ができない…..)
(でも母が楽しむことができるってことは、それはそれで良い戦いをしていたってこと?)
(カガセオさん…..)
その後近況を色々話し合って二人で喫茶店を後にした…..
そしてまたしばらく時が流れた。
ヤマト暦2052年――
いつも通り、アヤネと訓練しているナミカ。
巨体が交錯し、音が訓練場に響く。
だが、ナミカの意識は戦闘の外側へと滑り落ちていた。
ナミカはずっと思考を巡らせていた。
以前、母に言われた言葉が繰り返し脳裏をよぎる。
『あなたは目を閉じる必要はない。
まず、頭の中で見えない部分を補い、想像力の精度を高めなさい。』
『状況を一つに絞れない場合は、
必ず複数のパターンを想定すること。』
『パターン生成が困難だと感じたら、
攻めるのではなく、距離を取ることに集中しなさい。』
(今の自分は……確かにこれに近づいている)
以前は闇だった空間が、今は輪郭を持つ。
敵の動きが、未来の枝として見える。
(だからこそ、わかる……)
(これを完全にできたとしても……
果たして、母から“一本取る”ことはできるのか)
答えは、すでに出ていた。
――否。
ナミカの生体鎧が弾き飛ばされ、地に沈む。
アメノコトタチは、まるで風景の一部のように静かに立っていた。
「どうしたの? ナミカ」
母の声は、いつも通り穏やかだった。
だが、その穏やかさこそが、
埋めがたい深淵を物語っていた。
(……私は、まだ入口にも立っていない)
ナミカは、静かに拳を握りしめた。
(そもそも……実力に大きな開きがある)
(でも、それ以前に――
母が“目を閉じている”のは、なぜ?)
(閉じなくても戦えるはずなのに、
わざわざ閉じている……?)
(私に何かを示している?
「気づきなさい」と言っている?)
(……何に?)
(――――)
(えっ)
(もしかして……
母は“私が考えていること”を感じ取っている?)
(まさか……人の心を読む?)
(不可能……そんなこと……ありえない!)
(でも……もし仮にそうだとしたら……
この状況は、すべて説明がつく)
(本当に……そういうことなの?)
記憶が呼び起こされる。
(昔、仮想シミュレーターで対戦した時――
三回、母に勝てたことがあった)
(いつもは一回勝てるだけで精一杯だったのに)
(あの時……私は戦いの最中、
ナギトさんのことを考えていた……)
(余計な感情。余計な想い)
さらに思い出す。
(カガセオさん……
「ナギトは読みにくい」と言っていた)
(もしかして心を“殺す”ことができる人だから?)
(だから母と互角に近い勝負ができる)
(だから……母は“楽しかった”)
(……)
すべてが一本の線で繋がる。
(お母さん……あなたは……
人のを読むのね)
ナミカの胸に、震えるほどの感動が広がった。
(なんて……なんて凄い人なの……)
(私は……まだ入口にすら立っていなかった)
(でも……)
(そうだ……それしかない)
(そして、よく考えれば……
母はいつも“答えが分かるような示唆”を与えてくれていた)
(私が自分で気づけるように……)
(……ありがとう)
その瞬間。
訓練場の高い通路の影から、
カガセオが静かにその光景を見守っていた――
まるで、
“その答えに辿り着く時を、ずっと待っていた”
かのように。
突如、ナミカは
目の前のアメノコトタチへ“集中すること”をやめた。
敵を見ない。
勝利を求めない。
戦いを考えない。
ただ――
思いを一点に集める。
(私にならできる!)
朝ごはんを作ってくれた母の背中。
公園で手を繋いだ記憶。
皆で訪れた海の匂い。
優しく笑う母の声。
それらすべてを胸の奥に燃やし、
ナミカは“戦いではない思考”へ切り替えた。
次の瞬間。
純白の生体鎧が、
風を裂くようにアメノコトタチへ向かう。
倒すためではない。
斬るためでもない。
――抱きしめに行く。
(お母さん!!)
アメノコトタチは、一歩も動かなかった。
そして――
ナミカの一撃は、正確にその中心を捉えた。
「……嘘……捉えられた……」
遠くでその光景を見ていたカガセオが、
ほんの一瞬、微笑む。
ナミカは恐る恐る母を見た。
「……お母さん……」
アヤネは――泣いていた。
「この感覚を忘れないで……」
「勝負とは、実力が高い者が必ず勝つものではない……」
「不確実性が常に付きまとう……」
「人間の深い部分は、一つの信念に固定されない。
信念は炎のように揺らぎ、形を変える……」
「それが、機械との決定的な違い……」
「あなたは今、“人間である私”の弱点を突いた」
「戦いの最中、私はずっと幼いあなたを思い出していた……
公園で手を引いた日々を……」
「ご明察の通り…..私は生体鎧だけを見ていない。
隣にいる“あなたの心”を感じていたの」
「”人間以上”には色々な性質のものがいる。
ナミカ….あなたは記憶力そして驚異的な学習能力」
「私は、人の感覚を読むことに長けているの。
人の発する微弱な電波を捉えて感じることができる….」
「そんな人間….いないと思ったかしら?」
「つまり私は行動の先読みに長けているの……」
「かつてそこに目をつけた私の一族は私を”人間以上”ともてはやし、対人間特化型兵器として戦争に駆り出された….」
「生体鎧によって増幅されたその超感覚を使って多くの人間を殺したわ」
アヤネの瞳に、遠い戦場で巨大な鳥のような生体鎧を外部から操っている姿の記憶が映る。
「私は多くの命を奪い、勝利をもたらし、女王となった」
「当然、敵は私への対策として人間ではないものを作り出そうと傾倒しだす…..」
「それが今のヨモツクニ同盟が人工知能に傾倒する根本的な原因だとしたらどう思う?」
「いい?
ナミカ….あなたは目の前のことしか頭に入っていないようだけど、
その背後の真実を見ることが最も大事なの」
「目の前にあるわかりやすいことだけを目にするのではなくて、
本当の裏に潜んでいることに目を向けてちょうだい」
「わかったわね?」
「はい….」
沈黙の後、
アヤネは小さく笑った。
そして、少し落ち着いた表情になった。
「でも…..そっかぁ〜….」
「….あなたは戦いの最中….
私を一人の人間として認識できた….
殺戮兵器の私ではなく….」
「嬉しいわ」
ナミカの瞳にまた涙が浮かぶ。
「お母さんは、殺戮兵器なんかじゃありません。
世界でたった一人の……私のお母さんです」
「そうね……ナミちゃん」
その声と表情は、幼い頃にナミカに向けた優しさだった。
「なんだか娘にそう思われるのは素直に嬉しいわね」
「これまでのあなたは、
戦っている最中、
ずっとアメノコトタチばかり気にしていた….」
「私という個人を意識していなかった….」
「実力で勝ていないのは当然なんです。
私は千年以上生きていて、
多くの死地を乗り越えているのですから….」
「でも….ナギちゃんもそうだけど…..あなたも私の想像を超えることができましたね」
「ここまでよく頑張りました……おめでとう」
「ありがとうございます。お母さん」
「女王内定の件は、私が一族へ伝える」
「ナギトとの婚儀は血筋の問題もある。
慎重に進める必要がある」
「一年後――それでいいわね?」
「はい!」
ナミカの胸に、確かな光が灯る。
(やったよ、ナギトさん……
お母さんに認めてもらえた……
私、やったよ……)
遠くでカガセオが、
静かに頷いていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
アヤネの本心が、ついに姿を現しました。
アヤネは本来、とても心優しい人物です。
しかし、その才能はあまりにも超越しており、
その力ゆえに生体鎧を操り、数え切れないほどの人間を殺してきました。
長い年月を生き続ける中で、彼女の内にはいくつもの人格が形作られ、
状況に応じてそれらを使い分けるようになったのです。
――本当に、悲しい人なのだと思います。
引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。




