第三十七段 親衛隊の仕事
ナギトは研修期間を終えた。
女王直属親衛隊の入隊式が執り行われた。
今年度の採用者は、ただ一人。
――ナギトのみであった。
ナギトは女王直属の親衛隊の軍服を着ている。
この軍服は、通常の軍服とは違い、白色を基調として、
見た目は少し煌びやかだが、それでいて格式があるものだった。
親衛隊は総勢およそ一千名の少数精鋭部隊。
通常、新規採用は行われず、軍で功績を挙げた者や、高位貴族出身の実力者が中途選抜で加わるのが通例である。
高い戦闘能力はもちろん、
厳格な身辺調査と忠誠審査を突破できる者でなければならない。
新人での直接採用は、極めて異例。
大学卒業直後の者が選ばれることなど、前例すらほとんどなかった。
女王の間。
静寂の中、儀式は簡素ながら厳かに進む。
参列しているのは、必要最小限の重臣のみ。
そして、新人は一人。
ナギトが玉座の前に膝をつく。
ナミカが、摂政として一歩前へ出た。
「ナギト少尉……
よく来てくださいましたね」
澄んだ声が、広い間に響く。
「これからの務め、励んでください」
ナギトはまっすぐに顔を上げる。
「はい。
女王陛下のため、全力を尽くします!」
短いやり取り。
しかし、その場にいる全員が理解していた。
――この青年は、特別な存在であると。
儀式が終わり、ナギトは女王の間を後にした。
重い扉が閉じる。
その先の回廊。
そこに――ナミカが立っていた。
「ナミ……摂政様……」
ナギトが声をかける。
ナミカは足を止め、ゆっくりと振り向いた。
「お久しぶりです。ナギトさん….」
「……軍に入られたのですね」
ナギトの服装をじっと見ている。
「はい……」
「それも、女王直属の親衛隊に……
どうして?」
「えっ……」
「ねぇ。どうして?」
ナギトは一瞬迷い、そして――
「ナミカさんに……会いたくて……」
次の瞬間。
パァンッ。
乾いた音が回廊に響いた。
ナギトの頬が熱を帯びる。
「あなた……
どういう気持ちで、私は今ここにいると思うの?」
ナミカの声は震えていた。
「私は、自分の気持ちを抑えて……
二年以上も耐えて……
今、こうして摂政をしているのよ……」
「それなのに――」
「あなたは
“会いたいから親衛隊に入りました” ですって?」
「そんな理由で……
女王直属の親衛隊が務まると思っているの?」
「ねぇ……
ふざけないでよ、ナギトさん……」
最後の言葉は、怒りではなく、
泣きそうな声だった。
そう言い残すと、
ナミカは踵を返し、その場から駆け去っていった。
ナギトは、ただ立ち尽くしていた。
頬の熱も、言葉も、行き場を失ったまま。
少し離れた柱の影。
アヤネとカガセオは、その一部始終を静かに見届けていた。
「……ふふ」
アヤネが小さく笑う。
「まるで痴話喧嘩を見ているようね」
ナギトは、最初こそ親衛隊の指導員から厳しい教育を受けていた。
礼法、警護動線、対人距離、緊急時の対応――
すべてが宮殿という特殊な環境に即したものだった。
日が経つにつれ、
ナギトは少しずつその空気に馴染んでいった。
午前から午後にかけては、宮殿内の巡回と警護。
回廊を歩き、門を確認し、人の流れを読む。
任務を終えると、生体鎧の訓練場へ向かう。
汗を流し、身体に感覚を刻み込む日々。
規則正しく、静かで、張り詰めた毎日だった。
時折、宮中の回廊でナミカとすれ違うことがあった。
ナミカは必ず背筋を正し、
摂政としての歩き方で通り過ぎる。
ナギトと視線が合いそうになると、ツンとして決して目を合わせない。
ある日。
高い回廊の上から、ナミカは庭を見下ろしていた。
そこには、巡回中のナギトの姿。
「摂政様……何をご覧になっているのですか?」
側仕えの侍女が声をかける。
「……あ、あれはナギト少尉ですね」
「いえ……何でもありません」
「遠くから見ているだけで、よろしいのですか?」
「……私は、何も見ていません」
少し語気が強くなる。
「少しくらい、話しかけて差し上げてもよろしいのでは?」
「そんなんじゃありませんから!」
ナミカは、逃げるように回廊を離れた。
来る日も来る日も――
ナミカは遠くからナギトの姿を追っていた。
すれ違う時も、
わざと背筋を伸ばし、
ツンとした表情のまま目を合わせない。
けれど、
ナギトが視界から消えるまで、
必ず一度だけ足を止めていた。
(どうしよう……)
(ちゃんと謝らないと……)
ナギトは巡回の合間、
胸の奥に溜まる言葉を何度も反芻していた。
だが、
話しかける機会は訪れないまま、
時間だけが過ぎていく。
そんなある日。
女王から親衛隊へ直々の呼び出しが入った。
「ナギト少尉。
今晩の祝宴会ですが、
護衛として摂政と共に出席してもらえないかしら?」
「……は?」
思わず声が漏れる。
女王は微笑んだまま、
ゆっくりと言い直す。
「よろしいか?」
逃げ道はない問いだった。
「……はい。承知いたしました」
祝宴会の会場へは、御所の専用車で向かった。
後部座席には、ナミカとナギトの二人。
車内には、柔らかな走行音だけが流れていた。
「ナミカさん……」
ナギトが、静かに声をかける。
「……」
ナミカは窓の外を見たまま、返事をしない。
「どうしても……何も答えてくれないんですか?」
「……」
しばらく沈黙が続き、
やがてナミカは小さく息を吐いた。
「……ナギトさん。
今は……祝宴会のことに集中したいの」
「……そうでしたか。すみません……」
それ以上、ナギトは何も言わなかった。
やがて車は会場へ到着する。
煌びやかな灯り。
音楽。
華やかな人々の声。
公の世界が、二人を包み込む。
「ナギトさん。
ここは安全ですから、自由にしていてください」
「私はあちらへ挨拶に行ってきますので……」
「はい。承知しました、摂政様」
ナミカは背筋を正し、
“摂政”の顔へと切り替えて歩き出す。
ナギトはその背を見送りながら、
一定の距離を保って会場内を巡回した。
彼女の姿を視界に入れ続けながら――
護衛として。
そして、それ以上の想いを胸に隠したまま。
若い、可愛らしい女性がナギトの前に立った。
淡い色のドレス。上品にまとめられた髪。
貴族の娘であることは一目で分かる。
「軍人の方ですか?」
「あ……はい」
「軍服、とてもお似合いですね。
もしかして――親衛隊の方でいらっしゃいますか?」
「はい。本日は摂政様の警護任務で同席しております」
「へぇ……見ないお顔ですね」
「先月配属されたばかりでして……」
「お名前は?」
「ナギトと申します」
「ナギト……!
あの世界大会で第五回戦まで進んだ、天然遺伝子の選手?」
「あ……はい」
女性の瞳が輝く。
「こんなところでお会いできるなんて……素敵ですわ」
そして、少し身を寄せる。
「ねぇ、あちらで少しお話ししませんか?」
その光景を――
遠くから、ナミカが見ていた。
(ナギトさん…..!)
「大臣、少し失礼致します」
大臣との話を途中で打ち切り慌ててナギトの方に向かった。
「摂政様、以下がなされた?」
「すぐに戻りしますから」
次の瞬間。
「あっ……失礼します」
女性の前に、すっと立ちふさがる影。
「どうなされました、摂政様?」
ナミカは息を整えることもなく言った。
「ナギト少尉。
あなたは任務中です」
「大変申し訳ございません。少しナギト少尉をお借りします」
ナギトはナミカに祝宴会の外に連れて行かれた。
「ナギトさん、あれはどういうことですか?」
「ですが摂政様。
自由にしていて良いとおっしゃったのは……」
「言い訳は結構です」
声は静か。
しかし、鋭い。
「もし私が突然襲われたら、あなたはどうするの?」
「……この会場は安全と伺っていましたが……」
「あなたの言い訳は聞いていません」
ナギトは一瞬言葉を失い、やがて静かに問う。
「それでは……
私はどうすればよろしかったのでしょうか?」
ナミカは、ほんのわずか視線を逸らし――
「……私から離れないでください」
小さな声だった。
だが、確かにそう言った。
「……はい。承知しました、摂政様」
二人は並んで会場中央へ戻る。
「大臣、先ほどは突然失礼いたしました……」
「いえいえ。おや、そちらの方は?」
「こちらはナギト少尉と申しまして、本日わたくしの護衛を務めております」
「親衛隊の方ですか。若いですね。
……ん?どこかでお見かけしたような……」
「世界大会で活躍された選手です。
おそらく、それでご記憶にあるのかと」
「ああ!
天然遺伝子で第五回戦まで進んだあの青年か!」
「それはそれは、なかなかの好青年だ。
ナギト少尉――うちに娘がおりましてね、一度会ってみてはどうかと」
「大臣。
現在ナギト少尉は任務中ですので、そのようなお話は――」
「そうでしたな、失礼を。
では後ほど改めて――」
「大臣、それも不要でございます。
ナギト少尉は、そのようなことにご興味がないようですので」
「……」
「えっ……」
大臣が目を細める。
「摂政様、なぜナギト少尉のお気持ちを代弁なさるのですか?」
「……そ、そうでしたわね。
わたくしとしたことが……。
ナギト少尉、いかがいたしますか?」
「……いえ、大臣。
申し訳ございません。
私には、すでに心に決めている方がおります」
ナミカは、きょとんと目を見開いた。
「そうでしたか……。
それは失礼を。
ナギト少尉が想う方は、さぞ素敵な方なのでしょうな」
「摂政様?」
「……お顔が少し赤いようですが、大丈夫ですか?」
「はい……大丈夫です……」
「大臣、それでは失礼いたします……」
『なんだか、さっきから摂政様の様子がおかしくない?』
『いつもはあんなに冷静なのに……』
『珍しく取り乱していらっしゃるわね』
「……少し気分が優れません」
ナミカは小さく息を吐いた。
「ナギト少尉。
もう戻りましょう。今日は……仕事になりません」
「はい。承知しました、摂政様」
車は静かに御所へ向かっていた。
窓の外には王都の夜景が流れていく。
沈黙を破るように、ナミカが口を開いた。
「……言っておきますけど。
私は、まだナギトさんのことを許していませんから」
「その件ですが……
私が何か失礼なことをいたしましたでしょうか?」
「もし差し支えなければ、
なぜ摂政様が私に対してご立腹なのか、お聞かせ願えませんか?」
「確かに私は、ナミカさんに会いたい一心でこの道を選びました。
ですが、私を採用したのは軍であり、
女王直属親衛隊への配属は女王陛下のご判断です」
「そのことで、摂政様が私に怒りを向けられるのは……
少々筋が違うのではないでしょうか?」
ナミカの瞳が鋭くなる。
「……軍や女王様が悪いと、そう仰りたいの?」
「いえ……そのような意味ではありません。
人には、それぞれの理由がある、というだけです」
ナミカは小さく息を吸った。
「さっきも……
女性の方と、楽しそうに話していましたね?」
ジッとナギトとの方を見つめる。
「それが、ナギトさんの“仕事”なのですかぁ?」
「話しかけられただけです。
話しかけられて無視するわけにはいかないでしょう」
「……では、大臣の縁談話はどうですか?
すぐに断ってください。
なぜ私が、あなたの気持ちを代弁しなければならないのですか?」
「……」
車内に沈黙が落ちた。
やがてナギトは、真っ直ぐ前を見たまま言った。
「……ナミカさん。
私は、あなた以外を想うつもりはありません」
「えっ……」
「ナミカさんを好きでいては……
まだ、いけないのでしょうか?」
その言葉を聞いてナミカはあの海での情景を思い浮かべていた。
頭は一瞬真っ白になってしまっていた。
ナミカは唇を噛みしめ、かすかに震える声で答えた。
「……ダメ……」
「……ダメ……」
「……ダメ……」
「……じゃない……」
「……それは、私が決めることではないですから……」
「…….」
「はい…….」
ナギトはその言葉を聞いて少し安心した。
再び車内には、柔らかな走行音だけが流れていた。




