第二十二段 祝賀会
翌朝——。
屋敷の一室。
柔らかな朝の光が差し込む中、アヤネとナミカはテーブルを挟んでコーヒーを飲んでいた。
アヤネは昔と変わらぬ風貌。
一方ナミカは、いつの間にか大人びた雰囲気を纏っている。
二人が並ぶと、まるで鏡写しのように似ており、誰が見ても親子だと分かるほどだった。
アヤネがカップを置き、穏やかに口を開く。
「……約束よ。
大学の代表を辞退する代わりに、私の代役として世界大会へ出てくれるという話」
「分かっているわ、お母さん。
約束は守るから、何度も言わないで」
「でも、突然どうしたのかしら?
以前は、私の代役なんて絶対に嫌だと言っていたじゃない」
「それが急に承諾してくれるなんて……
何か心境の変化でもあったの?」
アヤネは少しだけ微笑む。
「母さんとしては、嬉しいけれどね。ナミカがやっとその気になってくれて….」
ナミカは視線を逸らし、淡々と答えた。
「特に何もないわ。
世界大会は久しぶりでしょう?
この大舞台で自分の実力を示すのは、悪いことじゃないと思っただけよ」
「……そう。
でも母さんが知りたいのは、ナミカの“心”のほうなのだけど?」
そして、少し意地悪そうに微笑む。
「好きな人でもできたのかしら?」
「……どうしてそうなるのよ!」
「だって、昔のナミカなら
“自分から何かをやりたい”なんて発想すらしなかったもの」
「ナミカも、もう良い年頃ですものね」
「お母さん!
そんなんじゃないから!」
ナミカは頬をわずかに赤らめる。
「いないの?
それなら母さんが良い相手を探してあげましょうか?」
「もういい加減にして!
そんなことしたら、親子の縁を切るから!」
まるで親子の痴話喧嘩の素養を呈していた。
アヤネは楽しそうに笑った。
「ふふ……冗談よ」
そして、ふと思い出したように言う。
「でも、ナミカ。
最近少し練習を怠っているんじゃない?」
「久しぶりに母さんが訓練を見てあげてもいいわよ。
今日は時間が取れそうだから」
ナミカは一瞬考える。
(今日はナギちゃん、大学の祝賀会に出席する日。
訓練は無いはず……)
「……そうね。
それじゃあ、お母さん。お願いできるかしら」
アヤネは満足そうに微笑んだ。
その頃、ナギトは——
電脳メガネに一通のメッセージを受け取っていた。
⸻
ナギトさん
本日は大学の祝賀会ですね。
訓練は明日から再開しましょう。
ナミカ
⸻
ナギトは小さく息を吐き、メッセージを閉じた。
大学本館の大ホール。
天井には柔らかな光の照明が並び、壁際には簡素だが品のある料理が整えられていた。
世界大会出場選手の決定を祝う、学内祝賀会。
学生や教員、関係者が集まり、会場はほどよい賑わいに包まれている。
ナギトは会場の端に立ち、グラスに注がれた炭酸水を静かに見つめていた。
――自分がここにいていいのだろうか。
胸の奥に、まだ答えの出ない感情が渦を巻く。
嬉しさ。
申し訳なさ。
「よう、ナギト」
声をかけてきたのはコヤネだった。
スーツ姿のコヤネは、いつもより少し大人びて見える。
「改めて言うよ。おめでとう」
「……ありがとう」
「あんまり嬉しそうじゃないね…」
「あぁ….」
「でも正直、びっくりした。
ナミカさんが辞退するなんて、誰も想像してなかったからな」
ナギトは元気がなさそうに答えた。
「自分も、まだ信じられない」
「だろうな。
でもさ――」
コヤネはグラスを軽く揺らしながら続ける。
「ナミカさんが“ナギトなら大丈夫”って思ったからだろ。
それって、単なる温情じゃない。
実力を認められたってことだ」
「……そう、なのかな」
「そうだよ。
だから胸張れ。
世界大会に行くのは“選ばれた者”だけだ」
ナギトは、グラスを口に運ぶ。
冷たい炭酸が喉を通り、少しだけ頭が冴えた。
会場の中央では、教員が簡単な挨拶をしている。
拍手が起こり、笑顔が広がる。
――だが。
一人だけ、この場にいない存在があった。
ナミカ。
会場の誰もが、彼女がいない理由を知っている。
だからこそ、誰もその名前を軽々しく口にしない。
それが、逆に強い存在感を生んでいた。
ナギトは、無意識に天井を見上げた。
(ナミカさんは……今、何をしているんだろう)
そのとき。
電脳メガネが、静かに光った。
⸻
ナギトさん
祝賀会、楽しんでいますか?
今日は練習がない分、少し羽を伸ばしてくださいね。
世界大会までは、まだ時間があります。
一緒に、もっと強くなりましょう。
ナミカ
⸻
ナギトは、思わず微笑んだ。
(……本当に、どこまでも人の心を見透かす人だ)
胸の奥に、静かな決意が灯る。
――この期待には、必ず応えよう。
光と音に満ちた祝賀会の中で、
ナギトは一人、確かに前を見据えていた。
一方その頃――
アヤネとナミカは、屋敷の一室で椅子に腰掛け、仮想シミュレーター内で対戦していた。
高密度の戦闘が繰り返され、室内には静かな緊張だけが満ちている。
高速モードを使ってシミュレーター内で何度も対戦を行なっていた。
そしてやがて試合は終了した。
「はぁ……はぁ……。
お母さんとやるの、本当にしんどい……」
ナミカは息を荒げていた。
相当な思考処理と神経接続を酷使したのだろう。
一方、アヤネは涼しい表情のままだった。
「この私が、千回対戦して三回も負けるなんて……」
「以前は、私から一勝するだけで精一杯だったのに……」
アヤネは、意味深に微笑む。
「――やはり、何かが変わったようね。ナミカ?」
「以前はこんなに熱心に取り組まなかったし….」
「単に私が強くなっただけでしょ!」
ナミカは少し強い口調で言った。
普段の彼女からは、珍しい語気だった。
アヤネは楽しそうに肩をすくめる。
「私の杞憂だったようね。
これなら世界大会も、まず問題はなさそうね……」
そして、ふと視線を細める。
「それで?
何か……私に言っておくことはないかしら?」
ナミカの脳裏に、一瞬ナギトの姿がよぎる。
だが、彼女は静かに首を振った。
「何もないわ。
心配しないで」
「そう……なら、いいわ」
アヤネは少しだけ考え込むように沈黙した。
部屋には、再び静寂が戻った。
だが――
その沈黙は、次に訪れる嵐の前触れのようでもあった。
翌日。
訓練を終えた後、ナミカはナギトを近くの店へ夕食に誘った。
それは、ナミカからナギトへのささやかなお祝いだった。
店に入ると、二人は二人席へ案内される。
ほどなく店員が祝い酒を運んできた。
ナミカは杯を持ち、微笑んだ。
「ナギトさん、改めて出場おめでとうございます。
私は、自分のことのように嬉しいです」
「ありがとうございます……」
そう答えたものの、ナギトの声にはどこか元気がなかった。
二人は静かに杯を合わせ、祝い酒を口にする。
ナミカは、ナギトの表情をそっと見つめた。
「ナギトさん。今回の出場が不本意であることは分かっています。
でも、出場する以上は真剣に向き合ってほしいのです。
いつまでも落ち込まないでください」
「はい……分かっています」
しかし、その返事にも力は入っていなかった。
(また、しょんぼりしてしまってる……)
ナミカは少しだけ口元を緩める。
「ナギトさん。出場できたのですから、少しは喜んでもいいんじゃありませんか?」
「それに、何か言いたいことがあるなら、はっきり言ったほうがスッキリしますよ?」
ナギトは少し考え込み――
やがて意を決したように口を開いた。
「……自分の力不足で、ナミカさんにご迷惑をおかけしたこと……」
「迷惑ではありません。
その件については、ナギトさん、何度も言ったはずですよ」
ナギトは少し声を大きくして続けた。
「それに……ナミカさんが世界大会に出場して、活躍する姿を見られないのも残念なんです!」
「自分の練習ばかりに付き合わせてしまって……」
「世界大会には、ナミカさんにとって良い対戦相手がたくさんいるはずです」
「周りのみんなも、きっとそう思っていると思います……」
「その代わりを自分が務められるはずがない……そう思ってしまうんです」
ナミカは一瞬、目を丸くした。
そして――
「……そんなことで……」
くすり、と笑みがこぼれる。
「ウフフ……アハハ……」
「な、何がおかしいんですか?」
ナミカは笑いをこらえながら言った。
「だって、私のことで……本当に気にしすぎなんですもの」
「そんな理由で落ち込んでいたなんて、可愛らしいじゃないですか」
ナギトは言葉を失った。
ナミカは一度、息を整え、優しい声で続ける。
「ナギトさん。心配しないでください」
「……どうしてですか?」
「今回の世界大会には、前回大会の世界王者が出場します。
その戦いを、ぜひ自分の目で見てください」
「きっと――
ナギトさんが今考えていることは、“杞憂だった”と分かるはずです」
「はっ?」
ナギトは、まだ意味が理解できていないようだった。
ナミカは少しだけ声を強める。
「はい。この話は、もうおしまいです」
そして、いつもの柔らかな微笑みを向けた。
「せっかくの夕食です。楽しく食べましょう」
「ね、ナギちゃん?」
その笑顔を見た瞬間、
ナギトの胸に溜まっていた重さが、すっとほどけていく。
なぜ、こんなにも安心できるのだろう。
雰囲気なのか。
言葉の力なのか。
それとも――彼女自身が持つ何かなのか。
「はい……。何だか、少し心が楽になった気がします」
(前回の世界王者の戦い……
それは、一体どういう意味なのだろう?)
ナギトは、まだ見ぬ未来へと思いを巡らせていた。




