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第二十段 石の記憶

神社の階段を登った。


境内には人の気配がなかった。

静寂が、古い木々の間に満ちている。


遠くでは花火の音が響いていた。

夜の風は冷たく、しかし心地よい。


ナミカが、懐かしそうに微笑む。


「ここで……ナギトさんと初めてお会いしたんでしたよね」


「シロが突然走り出して、勢いよくナギトさんに飛びついたんです……」


「はい。あの時は、本当に驚きました」


「不思議でした……。

シロが見ず知らずの人に、あんなふうに懐くなんて……」


「この神社はね、ナギトさん。

本当に私にとって思い出深い場所なんです」


「シロの散歩でもよく来るんですが、なんというか……落ち着くんですよね……」


ナギトはナミカが話しているのを、ただ聞いていた……


「いつか誰かと一緒に来てみたいと思っていました。

でも、ナギトさんと来ることができました……最初を入れれば二回目ですが」


「ただ私……誰かと以前ここに何度も来ていたんじゃないかと、ふと思うんです……」


(ナミカさんは、何を言っているんだ!?)


「人の記憶って不思議ですよね……正確には残らない。曖昧なんですよね……」


「どうして正確に記憶されないように進化したんでしょうね?」


「この絶妙に均衡のとれた曖昧さこそが、人間の凄さなんだと思います」


そしてナミカは、少しだけ表情を曇らせた。


「ナギトさん。

これから少し……おかしな話をするかもしれません。

それでも、聞いてくれますか?」


突然、ナギトに問いかけてきた。


「はい……」


(おかしな話……一体、何だろう?)


ナミカは、静かに息を吸う。


「実を言うと……

私はずっと以前から、“ナギト”という名前の人物を探していたんです……」


ナミカはどこか遠くを見つめていた。


「えっ……」


ナギトは呆然とした。

突然の言葉に、どう反応すればよいのか分からない。


沈黙が流れる。

花火の音が遠くで響いている。


「以前から……どういうことですか?」


「それに、“ナギト”という名前の人は他にもいるかもしれませんし……」


動揺が声に滲んだ。


しかしナミカは、はっきりと言った。


「いいえ。あなたです。

私が探していた“ナギト”は、あなたです」


ナギトの方を見つめて言った。


「……すみません。

やはり話がよく分かりません」


「そうですよね……意味が分かりませんよね」


ナミカは少し悲しそうな顔をしている。


「では……こちらへ来てください」


ナミカは歩き出し、本殿の横に立つ巨大な木の前へナギトを導いた。

樹齢千年とも言われる、古い御神木。


ナミカは木の根元の土を指差す。


「ここを、少し掘ってみてください」


「……分かりました」


ナギトは手で静かに土を掘る。

ほどなく、硬い感触が指先に触れた。


「これは……?」


土の中から、少し大きめの石が現れた。


「よく見てください」


ナミカがそう言うと、ナギトは石を拭い、目を凝らす。


――そこには、幼い文字で刻まれた傷。


「……ナミカ……それに……ナギト!?」


「ナミカさん……これは……?」


ナギトが顔を上げる。


ナミカは、静かに語り始めた。


「私が九歳の頃……

シロを連れてこの神社へ散歩に来たんです」


「その時、シロが突然動き出して、この木の前へ私を引っ張ってきました」


「そしてシロが土を掘り出し、この石を見つけたんです」


「刻まれていた文字は、“ナミカ”と“ナギト”」


「ナミカの文字は、確かに私の筆跡でした」


「でも――

“ナギト”の文字は、私の字ではありません」


「それなのに……

私は、これを書いた記憶が一切ないんです」


ナミカの声が、わずかに震えた。


「この石を見た時……とても怖くなりました」


「何のことなのか、まったく分からない。

ただ、胸の奥がひどく悲しくなったんです」


「ナギトという名……」


「その時、私は八歳の頃に“記憶障害”を起こしていたことを思い出しました」


「その時期の記憶は、今も曖昧です」


「でも……その頃、私はずっと泣いていました」


「理由も分からないまま、

まるで“大切な誰かを失った”ような悲しみだけが、心に残っていたんです……」


ナミカは、そっとナギトを見る。


「ナギトさんは……

六歳以前の記憶がないと、言っていましたよね」


「私の記憶障害が起きた年齢と……一致しますね」


「……ただの偶然かもしれませんが」


「でも――」


「なぜシロは、ナギトさんにあれほど懐いたのでしょう?」


「犬の嗅覚は、人よりもはるかに確かです」


「シロは……

ナギトさんを“知っていた”のではないでしょうか?」


「そう考えれば……

説明がつくんです」


ナギトは、息を呑む。


「でも……

匂いが似ていただけ、という可能性も……」


とナギトが言ったが、


「犬の嗅覚ですよ?

間違いはしないと思います」


沈黙。


夜風が、木々を揺らす。

遠くで花火が「ドーン」と音を鳴らしている。


ナギトは、ふと呟いた。


「……でも、自分は両親が飛行機事故で亡くなったと聞いています」


ナミカは、静かに首を振った。


「……改ざんされている可能性がありますね」


「……!?」


「それでは……

自分は、一体何者なんでしょうか……?」


ナミカは、ゆっくりと答えた。


「それができるのは政府……

ただ、私にも確かなことは分かりません」


「何か、そうしなければならない理由があったのではないかと思います」


二人の間に、深い静寂が落ちた。


遠くで、花火が夜空を裂く。

白い光が、御神木と二人の影を一瞬だけ照らし出した。


ナミカは静かに続ける。


「ただ……私の予想を少し話させてください」


「ナギトさんは幼い頃、私と一緒に育った可能性が高いと思っています」


「もしかしたら……

姉と弟として育てられていたのかもしれません」


ナギトは目を見開き、ただ聞くことしかできなかった。


ナミカは、震える声で言った。


「ナギトさんと初めてお会いした瞬間……

あなたが“他人ではない”と、すぐに分かりました」


「ナギトさんの心が、私に訴えているんです」


「私の名前を呼ぶたびに……

“ナミ姉ちゃん”って。

“気づいて”って……」


ナミカの瞳から、涙があふれ落ちる。


「ナギトさんの心と身体が言っているんです。

“ナミ姉ちゃん、ここにいるよ”

“ただいま”って……」


「記憶は奪われても……」


ナミカは、泣きながら微笑んだ。


「こんな形になってしまって……ごめんね、ナギちゃん」


「でも……私は少しだけ、思い出したよ……」


「だから……

どうか、これからも私と一緒にいて……お願い……」


「ナギちゃんが、思い出せない分、私が思い出すから」


ナギトは呆然としていた。

そういうことだったのか……ナミカに感じていた親近感の正体は……。

自分は一人ではなかったんだ。

ずっとずっと孤独だった……。

冷たい水の中を彷徨っていた子供時代……。


ナギトの瞳にも、静かに涙が流れていた。


夜空に花火が咲き、

光が二人を優しく包む。

まるで二人を祝福しているかのようだった。


いつの間にか二人は、涙を流しながら抱き合っていた。


――運命の扉は、

今、確かに開かれた。

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