第十九段 祭り
大学二年生の春——
ナギトの訓練場所は、初級訓練所から生体鎧実践訓練所へと移っていた。
ナミカとナギトは、ナギトの生体鎧の前に立ち、しばらく機体を見上げていた。
「ついに実践用の生体鎧を受領されましたね。まさに漆黒……とても綺麗です。よくお似合いだと思いますよ」
ナミカは微笑んで言った。
「はい。自分も、この色が気に入っています」
「訓練が始まって一年ですね……ナギトさん、ずいぶん成長しました」
「はい。ナミカさんとの訓練のおかげです」
「世界大会は半年後……まだ不足している部分もありますが、時間は十分にあります。頑張りましょう」
「はい!」
ナギトは力を込めて答えた。
ナギトの生体鎧と対照的に、ナミカの生体鎧は純白だった。
白はただの色ではない。――光そのもののように見えた。
(これがナミカさんの生体鎧……この大学で一番強い機体……みんなの憧れ……)
ナミカの純白の生体鎧は、ひときわ目立つ。
戦う姿は、もはや演目のように美しく、見る者の目を奪う。
“女王の再来”。
そう呼ばれるだけの神々しさと、重厚な威圧感が漂っていた。
「では、早速訓練を始めましょう。――といっても、操縦方法は訓練用と同じです。心配はいりませんよ」
そうして、いつも通りナミカと訓練を重ねる日々が始まった。
ある日。
コヤネがナギトに話しかけてきた。
「ナギト、生体鎧の実力、相当伸ばしてるね。大学の中でも結構有名人だよ。天然遺伝子の中だと、ナミカさんに次ぐ実力者だって」
「コヤネもね……君も相当頑張ってるみたいだ。この前の順位表を見たよ。学内で三位だろ?」
「まぁね。大学に入って実力を伸ばしていけてるのは嬉しいよ。日々の努力は大切だね」
「あぁ……そうだね」
コヤネは嬉しそうに笑った。
コヤネはもともと、非天然遺伝子の中でも上位の実力者だった。
ナギトは、これまで一度も勝てたことがない。
世界大会の大学枠は、二年生以上が対象。
一学年につき最低五名――いわゆる学年枠が与えられ、さらに全体枠五名が追加され、合計二十名が選抜される。
コヤネは、このまま行けば学年枠の五名に入れる順位にいる。
一方ナギトは、現在九位。
このままでは――厳しい。
ナギトは、胸の奥がじわりと熱くなるのを感じていた。
(まだ、足りない……)
また別のある日——
大学校舎の外の人気のない路地で、ナミカと男子学生が話しているのを目撃した。
どうやら告白されているようだった……。
だが結局、ナミカが静かに頭を下げ、男子学生はその場を去っていった……。
ナギトはその光景を、なぜかホッとしながら見てしまっている自分に気づいた。
そして時が過ぎ、夏の季節になった——
いつも通り訓練が終わったある日のこと。
訓練を終え、二人が会話をしている。
そしてナミカが、ふと思い出したように口を開く。
「……もう夏ですね」
「えっ?」
唐突な話題転換に、ナギトは少し戸惑った。
ナミカは、どこか照れくさそうに微笑む。
「ねぇ、ナギトさん。
明日の休日ですが、ご予定は空いていますか?」
「はい……空いていますけど……」
「よかった。
それでは――明日、私とお出かけしませんか?」
「えっ!?」
「私の地区でお祭りがあるんです。
一緒に行けたらと思いまして……いかがでしょうか?」
「お祭りですか!?
はい、大丈夫ですが……」
「ふふ……よかった。
明日、楽しみにしていますね。」
そして、少しだけ声を落として付け加える。
「お祭りは夕方から始まりますので、
十六時に集合で――
以前ナギトさんと別れた駅の前で、いかがでしょうか?」
「……はい。分かりました」
ナミカは満足そうに微笑んだ。
「ふふ……今度は歩いてこないで、電車を使ってきてくださいね」
夏の始まりの風が、訓練ホールの外で静かに鳴っていた。
翌日になり、ナギトは生まれて初めて女性と二人で出かけることに、ひどく戸惑っていた。
この街では、天然遺伝子の人間同士が出会い、やがて結婚していくのがごく自然な流れとされている。
だが、人付き合いが得意ではないナギトにとって、女性と二人きりで外出する日が来るなど、これまで一度も想像したことがなかった。
しかも相手は、女王の再来とまで称されるナミカである。
容姿端麗、そして卓越した才能。
彼女に好意を寄せる異性が多いであろうことは、容易に想像がついた。
ナギトとの出会いは、一年以上前。
散歩の途中、偶然神社で出会った――ただそれだけだった。
それが今日まで続く関係になるとは、当時は思いもしなかった。
なぜ彼女が自分に目をかけてくれているのかは分からない。
そして――なぜ祭りに誘ってくれたのか、その意図も分からない。
ただ一つ、ナギトには何となく理解できていた。
彼女が自分を「異性として見ているわけではない」ということだけは。
それでも――
(ナミカさんが、誘ってくれたことが嬉しい……)
その感情だけは、確かに胸の奥にあった。
祭りに何を着て行けばいいのか分からず、
結局、半袖の白いシャツに、グレーのズボンという無難な服装を選んだ。
鏡に映る自分を見て、ナギトは小さく息を吐いた。
(……これでいい、よな)
そうして、彼は初めての“約束の外出”へと向かうのだった。
駅に着き、改札を抜ける。
「ナギトさん!」
呼び声の方へ目を向けると、そこにナミカが立っていた。
黒い鮮やかな髪を上品に結い、派手すぎない、しかし目を引く美しい浴衣姿。
白を基調とした生地に、青みがかった帯、そして手にはうちわを持っていた。
そこへ淡い紫の花柄が、夜を待つように静かに浮かんでいた。
駅には多くの人がいたが、ナミカは人目を引いていたようだった。
ナギトは、思わず息を呑む。
「ナミカさん……お待たせしました」
「ふふ、大丈夫ですよ。私も今来たところです」
その微笑みは、昼間の訓練場で見せるものとはどこか違う。
柔らかく、穏やかで、少しだけ距離が近い。
「ここから商店街を通って、神社の方へ向かおうと思っているのですが……よろしいですか?」
「はい。大丈夫です」
「それでは――参りましょうか?」
二人は並んで歩き始めた。
夕暮れの風が、浴衣の裾と、淡い桜色の記憶を静かに揺らしていた。
商店街からお祭りの雰囲気がすでに漂い、様々な出店が並んでいた。
多くの人で賑わい、笑い声と太鼓の音が夜へと溶け込んでいく。
ナギトは、少し緊張したまま歩いていた。
隣を歩くナミカは、普段の訓練場とは違い、どこか柔らかな表情をしている。
「すごい人ですね……」
「ふふ、毎年この季節はこうなんです。
子供の頃は、シロとよく来ました」
「そうなんですね……」
その言葉に、ナギトはふと、神社で見たあの白い犬の姿を思い出す。
屋台の灯りが、二人の影を橙色に染めていく。
焼きそばの香り、甘い綿菓子の匂い、金魚すくいの水音。
「何か、食べたいものはありますか?」
「いえ……実は、こういう場所は初めてで……」
「まぁ……」
ナミカは少し驚いた顔をして、すぐにくすりと笑った。
「それでは、今日は私が案内しますね」
そう言って、ナミカはナギトの袖をそっと引いた。
最初に立ち寄ったのは、りんご飴の屋台だった。
「はい、どうぞ」
赤く艶やかな飴を差し出され、ナギトは少し戸惑いながら受け取る。
「ありがとうございます……」
一口かじると、甘さと酸味が口いっぱいに広がった。
「……美味しいです」
「よかった。
ナギトさんは、感情が顔に出やすいですね」
「えっ……」
「今、ちゃんと『美味しい』って顔をしていましたよ」
ナギトは思わず頬をかいた。
「……自分では、よく分かりません」
「ふふ、素敵なことだと思います」
次に二人は、射的の屋台に立ち寄った。
「やってみますか?」
「えっと……実は、こういう遊びも初めてで……」
「それでは、私が見本を見せますね」
ナミカは銃を受け取り、軽く構える。
――パァン。
一発で景品の人形が倒れた。
「……すごい」
「生体鎧の感覚と、少し似ているだけですよ」
そう言いながら、ナミカは人形をナギトに渡した。
「はい、記念です」
「ありがとうございます……」
小さな人形を手にしたナギトは、なぜか胸が温かくなった。
しばらく歩き、神社へ続く坂道に差し掛かる。
遠くで花火の音が聞こえ始めていた。
「そろそろ、花火が始まりますね」
「……本当に、綺麗な夜ですね」
「ええ……」
二人の間に、短い沈黙が落ちた。
だが、それは気まずさではなく、心地よい静けさだった。
ナギトは思った。
(……訓練場では、こんなナミカさんは見られない)
強く、遠く、手の届かない存在。
それが、今はすぐ隣で笑っている。
その事実が、少しだけ胸をくすぐった。
やがて神社の石段が見えてきた。
朱色の柱に、無数の提灯の灯り。
夜空には、最初の花火が大輪の光を咲かせる。
ナギトは空を見上げながら、そっと呟いた。
「……今日は、誘ってくださってありがとうございます」
ナミカは、少しだけ微笑みを深くした。
「こちらこそ。
ナギトさんと来られて、嬉しいです」
花火の光が、二人の瞳に静かに映っていた。
そして、神社の石段の前についた。




