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第十五段 卒業 桜の下で 問いが芽吹く

ついに、卒業の日になった。


アスカ第一学校の中庭には、春の光が満ちていた。

桜は満開。風は穏やかで、空はどこまでも澄んでいる。

まるで、この日を祝福するために用意された景色のようだった。


ナギトは静かにその光景を見渡していた。


約一年前、ナミカに出会ってから、世の中の見方は変わった。

非天然遺伝子の人間は、決して完璧ではない。

かつて手の届かなかった相手が、今では分野によっては手が届くかもしれない存在になった。


天然遺伝子の生徒のほとんどは、卒業と同時に就職する。

大学へ進むのは――自分ただ一人だった。


胸の奥に、小さな達成感と、言葉にできない違和感が同時にあった。


「ナギト」


声をかけてきたのは、コヤネだった。


二人は短く笑い合った。

言葉は少なかったが、それで十分だった。

そして互いに手を差し出し、固く握手を交わした。


ほどなくして、教壇に教員が立ち、

卒業を祝う簡素な祝辞が静かに述べられた。

風に揺れる桜の花びらが、式の言葉に合わせるように舞い落ちていく。


ナギトはその光景を、どこか遠い場所から眺めているような気持ちで聞いていた。


そのとき――

近くから、別の会話が耳に届いた。


「卒業したね!これでやっと一緒に暮らせるね」

「うん。やっとだね」


天然遺伝子の男女が、微笑みながら手を取り合っていた。

就職し、家庭を持ち、共に生きていく――

この街が理想とする“普通の幸せ”。


ナギトは、その光景を静かに見つめた。

本当に幸せそうな二人。


大学へ行く自分。

家庭を築く彼ら。


果たして――

大学へ進むことは、本当に幸せへ向かう道なのだろうか。


知識を極めること。

研究すること。

社会を導く存在になること。


それらは“正しい”とされている。

だが、それは人としての幸せと同じなのだろうか。


これまで努力して、大学へ行くことが目標だった。

喜びもある。だが、不安もある。


多くの非天然遺伝子は、これから大学へ進む。

高度な知性を磨き、社会の上層を担っていく。


だが――

それは本当に、彼ら自身の幸せなのか?

単なる社会のシステムの一部として組み込まれているだけではないのか?

そこに、人としての幸せはあるのだろうか。


大学とは、何のために存在するのか。

人は、どこへ向かうために学ぶのか。


答えは、まだ見えなかった。

ただ自分の知識は限られており、この社会がなぜこのような仕組みになったのかを知らない。

大学へ行き、世の中をもっと広く知ることで、改めてこの問いを考えたいと思っていた。


来月から、大学へ行く。

おそらくナミカに再び会えるだろう。


ナミカは不思議な人だった。

次に会ったら、何の話をすれば良いのだろうか。

どのような顔で会えば良いのだろうか。

あの出会いは、何だったのだろうか。


とりあえず大学へ行けば、ナミカに会える。

それが少しだけ嬉しかった。


ナギトは校舎の出口を出た。


そのとき。


中庭の端。

桜の木陰に、ひとりの大人の女性が立っていた。


黒いワンピース。

ナミカよりも長い、風に揺れる黒髪。

どこか懐かしく、そして美しい佇まい。


彼女は、遠くからナギトを静かに見つめていた。


「……大学へ行くのね」


小さな声が、風に溶けた。


「ナギちゃん……

 卒業、おめでとう。

 ……あんなに大きくなって……」


その女性の瞳には、静かに涙が流れていた。


ナギトは、ふと違和感を覚え、振り向いた。


(……あの人は……?)


だが、その瞬間。

女性は静かに背を向け、名残惜しそうにその場を離れていった。


桜の花びらが、彼女の後ろ姿を包むように舞っていた。


ナギトは、しばらくその方向を見つめ続けていた。


胸の奥に、

理由の分からない温かさと、

説明できない寂しさが残っていた。


春の風は、穏やかに吹いていた。


そして――

新しい道が、静かに始まろうとしていた。

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