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第十四段 努力が報われる日

季節は秋になった。ナギトは、十六歳になっていた。

これ以降の成績は進学に直結するため、これまで以上に気を抜くことはできない。


――以前、ナミカが助言してくれた「非合理な方法」。


もしかしたら、それで勝てるかもしれない。

相手の不意を突き、意図しない動きで隙を突く――

合理性ではなく、想定外を突く戦い方。


この最後の期間で、なんとしてもそれを実践する。

一度だけでいい。

非天然遺伝子の相手に、たった一度でいいから勝つ。


もし一度でも勝利できれば、大学進学への道は、大きく近づくだろう。


生体鎧の訓練成績は、総合評価の中でも特別な比重を持っていた。

全生徒が総当たりで一度ずつ対戦し、その勝利数によって成績が決まる。

やり直しはない。

一戦一戦が、進路を左右する。


学内での生体鎧試合が始まった。


最初の数日間は、同じ天然遺伝子同士の対戦だった。

ナギトは、そのすべてで勝利を収めることができた。


そして数日後――

ついに、非天然遺伝子の生徒との初戦が組まれた。


対戦相手は、ミレイという女子学生だった。

彼女は総合成績でも常に上位二十位以内に名を連ねる、優秀な生徒として知られている。


ナギトにとって、ここが正念場だった。


対戦相手として呼び出された名前を聞いた瞬間、

ナギトはわずかに背筋を伸ばした。


ミレイ。


訓練場の反対側に立つ彼女は、静かだった。

無駄な動きは一切なく、生体鎧の前に立つ姿勢も整っている。

感情の起伏を感じさせない無表情。

それでいて、周囲を一切警戒していないようにも見えた。


――自信がある。


そう直感させる佇まいだった。


彼女は周囲の視線やざわめきにも関心を示さず、

ただ淡々と準備を進めている。

まるで、この試合の結果はすでに決まっているとでも言うように。


(……強い)


ナギトは、まだ剣を構えてもいない段階で、そう感じていた。

理屈ではなく、感覚として。


総合成績上位常連。

非天然遺伝子。

実戦・理論ともに隙がない――

頭では、いくらでも情報が浮かぶ。


けれど同時に、胸の奥が冷えていくのを感じた。


(正面からやっても、勝てない)


それは弱気ではなく、現実的な判断だった。

これまで何度も味わってきた感覚だ。


ミレイは、生体鎧に搭乗する直前、ちらりとナギトの方を見た。

ほんの一瞬。

評価するようでも、見下すようでもない。


ただ、「確認」しただけ。


その視線が、なぜかナギトの胸に引っかかった。


(……想定されてる)


自分は、彼女の中で「倒すべき相手」ですらない。

対処すべき「作業」の一つ。

そう思わされるほど、彼女は落ち着いていた。


ナギトは、ゆっくりと息を吐いた。


(だからこそ……だ)


合理的に戦えば、確実に負ける。

ならば――

彼女の合理性が届かない場所で戦うしかない。


ナミカの言葉が、脳裏に浮かぶ。


――非合理性。

――相手の想定外に踏み込むこと。


ミレイの無表情を見つめながら、ナギトは静かに決意した。


(一度でいい……想定を、壊す)


そのためなら、

勝ち方が綺麗である必要はなかった。


模擬戦開始の合図が出る。


ミレイは、生体鎧の中で淡々と状況を整理していた。

相手は天然遺伝子。

これまでのデータから見ても、脅威ではない。


力量差は明白。

ならば、最短で終わらせる。


それが、彼女にとっての「正解」だった。


最初の一歩。

間合い。

剣の角度。


すべて、想定通り。


――の、はずだった。


(……?)


ミレイは、わずかに眉をひそめた。


相手――ナギトの動きが、奇妙だった。


遅いわけではない。

速くもない。

ただ、「正確すぎない」。


踏み込みの角度が、ほんの数度ずれている。

剣の構えも、教本通りではない。

それなのに――無駄がない。


(……型を外している?)


ミレイは、ほんの一瞬、判断を保留した。


相手の動きは、合理的に見えない。

だが、破綻もしていない。


これまで対峙してきた天然遺伝子の相手は、

「正解」をなぞろうとして、結果的に読みやすかった。


だが、ナギトは違う。


(この人……何を基準に動いてる?)


剣が交差する。

金属音が一度、低く響いた。


力の差は歴然。

押し返せる。

――それでも、ミレイは踏み込まなかった。


(慎重すぎる? いいえ……)


彼女は、初めて“違和感”という言葉を意識した。


相手は、勝とうとしていない。

少なくとも、「この瞬間」に勝つ気配がない。


(……待ってる?)


その考えが浮かんだ瞬間、

訓練場の音が、すっと遠のいた。


観客のざわめき。

教官の視線。

生体鎧の駆動音。


すべてが、膜一枚向こうにあるような感覚。


ミレイは、無意識に呼吸を整えた。


(来る)


理由は分からない。

論理的な根拠もない。


それでも、確信だけがあった。


ナギトの生体鎧が、ほんのわずかに沈み込む。

次の動作に備える、前兆。


――合理的ではない。

――だが、嫌な予感がする。


ミレイの思考が、次の最適解を探し始めた、その瞬間。


世界が、静止した。


風の音すら、消えたように感じられる。


(……この一手は)


彼女は、初めてはっきりと認識した。


――この相手、今までと違う。


そして、

“非合理な一手”が放たれる直前の、

決定的な静寂が訪れた。


ナギトの生体鎧が、わずかに沈んだ。


踏み込みではない。

構え直しでもない。

生体鎧の重心が、ほんの一瞬だけ「下がった」。


それだけだった。


(……今?)


ミレイの脳は、確かに反応していた。

異変を検知し、最適行動を算出し、迎撃の準備まで完了していた。


――できたはずだ。


だが、彼女は動かなかった。


理由はなかった。

反応時間は十分に足りていた。

剣を振る角度も、回避の軌道も、すでに頭の中にはあった。


それなのに。


(……違う)


ナギトの剣が、来ない。


正確には、

来るはずの軌道を通らなかった。


通常であれば、

相手の死角を狙うなら、

踏み込み、斬り上げ、もしくは水平の一撃。


だが、ナギトは――


剣を、半歩引いた。


攻撃の動作に入る寸前で、

わざと、間合いを「捨てた」。


(……?)


ミレイの生体鎧が、条件反射で前に出る。

「詰めてきたはずの相手」が、後退したために。


その、ほんのわずかな前進。


それが、すべてだった。


次の瞬間――

ナギトの剣が、下から、斜めに滑り込んだ。


力任せでもない。

速さ勝負でもない。

教本に載らない角度。


剣は、

ミレイの生体鎧の胴体側面を、触れるように叩いた。


衝撃は、ほとんどない。


だが――


「……っ」


ミレイの生体鎧が、ぴたりと止まった。


「――そこまで!」


教官の声が、遅れて響く。


ミレイは、自分の剣がまだ空を切っていることに気づいた。

反撃の途中で、試合は終わっていた。


(……今のは)


勝敗は、決していた。


だが、

負けた理由が、分からない。


反応はできた。

予測もできた。

対処法も、存在した。


それなのに。


(……どうして、動かなかった?)


彼女は、ナギトを見る。


相手は、息を整えながら、剣を下ろしていた。

勝ち誇る様子はない。

達成感すら、表に出ていない。


ただ――

「通った」

という顔をしていた。


(……合理じゃない)


ミレイは、ようやく理解した。


彼は、

勝つための最適解を選んだのではない。


自分が「反応してしまう」選択肢を、

あらかじめ消したのだ。


予測を裏切るのではない。

予測そのものを、成立させない。


言葉にならない感覚が、胸に落ちる。


理屈で積み上げた強さが、

理屈の外側から、静かに崩される瞬間を。


勝敗が決まった理由は、

最後まで言語化できなかった。


だが、ひとつだけは、確かだった。


――この相手は、

自分と同じ土俵には、最初から立っていなかった。


ミレイは、ゆっくりと剣を下ろした。


そして、

もう一度だけ、ナギトを見た。


その視線には、

敗北よりも深いものが、宿っていた。



訓練場に、遅れてざわめきが広がった。


「……え?」


誰かの、間の抜けた声が漏れる。


模擬戦闘は終わっていた。

勝敗は、はっきりしている。

だが――どうしてそうなったのかが、分からない。


「今の、当たったのか?」

「いや、触れただけだろ?」

「ミレイ、止まったよな……?」


観客席の生徒たちは、戸惑いを隠せずにいた。

剣が激しく打ち合ったわけでもない。

派手な動きもなかった。


それなのに、試合は終わった。


「……意味分かんない」

「ミレイ、反応遅れた?」

「いや、あの距離なら普通は――」


言葉は途中で途切れる。

誰も、最後まで言い切れない。


一方で、

沈黙している者たちがいた。


教官席の一角。

生体鎧の動きを、最初から最後まで追っていた数名の指導教官。


そのうちの一人が、ゆっくりと息を吐いた。


「……なるほど」


それは、賞賛でも、驚愕でもなかった。

ただの、確認のような声だった。


「分かりましたか?」


隣の教官が、小声で問いかける。


「……完全には」

「ですが、あれは――」


言葉を選ぶように、間を置く。


「“技術”ではないですね」

「判断でも、速度でもない」


もう一人の教官が、腕を組んだ。


「ミレイは、反応できていた」

「それでも動かなかった」

「いや……動けなかった、の方が正確か」


「誘導、ですか?」


「いや……誘導ですらない」

「“反応させない”ための間合い操作だ」


教官たちは、しばらく沈黙した。


訓練場の中央では、

ナギトとミレイが、それぞれ生体鎧を停止させている。


ミレイは、まだ動かない。

自分の中で何が起きたのかを、整理しようとしているようだった。


ナギトは、観客席を見ていなかった。

剣を下ろしたまま、ただ静かに立っている。


その様子を見て、別の教官が呟く。


「……本人も、分かっていないな」


「でしょうね」

「だからこそ、厄介です」


「無意識にやっている」

「再現性は……低い」


だが、最初に息を吐いた教官は、首を振った。


「いいえ」

「彼は、考えていないようで、考えています」


「どういう意味です?」


「“勝ちに行った”のではない」

「“負けない動き”をした」


観客席では、未だに議論が続いていた。


「ミレイ、調子悪かったんじゃない?」

「いや、あれは……」

「でも、あんなの偶然だろ」


その言葉に、ある生徒が小さく反論する。


「……偶然なら、あんな静かに終わらない」


だが、その声は大きくならなかった。

理解できた者は、まだ少数だった。


教官が、訓練場全体に向けて声を張る。


「――次の試合、準備しろ」


その声で、場は動き出す。


だが、

誰もが、さきほどの一撃を引きずっていた。


派手さのない勝利。

説明できない敗北。


その違和感だけが、

静かに、確実に、訓練場に残っていた。


その言葉は、

ナギトには、まだ届いていなかった。



「……本当に、勝つことができた……」


ナギトは、自分自身が信じられなかった。

胸の奥が熱くなり、気づけば涙がこぼれていた。


初めてだった。

自分がずっと目標にしてきたことを、現実として成し遂げられたのは。


――やれば、できるんだ。


その確かな手応えを、今、はっきりと掴んでいた。


四年生のときに、ナミカのニュースを耳にして以来。

ただひたすらに努力を重ねてきた日々。

その積み重ねが、今日、ようやく実を結んだのだ。


生体鎧の試験が終わり、ナギトは教室へ戻った。


席に着く間もなく、コヤネが駆け寄ってくる。


「すごいよ! ミレイさんに勝ったんだって?」


「ああ……。ただ、ミレイさんも本当に強かったよ。

勝てたのは、たまたまかもしれない」


「それでもだよ。本当にすごいよ、ナギト。

いや……本当に……」


コヤネは、心から嬉しそうだった。

以前、ナギトから「なぜ努力するのか」を聞いていたからこそ、なおさらだった。


「ありがとう」


「これで、大学進学も一歩前進だね。

いや、一歩どころか……二歩、三歩くらい前に進んだんじゃない?」


「でも、最後まで気は抜けないよ。

まだ試合は続くし……」


「そうだね……」


その後も、生体鎧の試合は続いた。


ナギトは、非天然遺伝子の生徒との対戦で、さらに十三勝を積み重ねた。

知能試験の成績と、生体鎧試験の結果を合わせた総合順位では、

ついに非天然遺伝子の生徒をわずかに上回り――四十三位に名を連ねた。


大学への進学は、もはや決定的だった。

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