第十三段① 再会
ナギトは九年生となった。
アスカ第一学校における、最高学年となる年である。
この年の最後の六ヶ月間で、総合成績によってアスカ大学へ進学できるかどうかが決まる。
ナギトは、これまで積み重ねてきた長い努力によって、アスカ第一学校の天然区分においては成績一位を維持していた。
しかし、非天然遺伝子の生徒を含めた総合順位で見ると、これまで一度も彼らを上回ることはできていなかった。
ただし制度上、アスカ市の第一から二十の学校までに在籍する、天然遺伝子の全生徒の中から最低でも十名が必ず選抜されることになっている。
そのため、ナギトがアスカ大学へ進学できるかどうかは、その「十名」の枠に入れるかどうかにかかっていた。
ナギト自身は、自分の成績からして当然のように大学進学を希望していた。
だが、ふと考えることがあった。
――大学へ行って、何をしたいのだろうか。
アスカ大学への進学は、本人の意思よりも成績によって決まる。
目的があろうとなかろうと、選ばれた者は進学し、選ばれなければ就職する。
本来であれば、「何をするために行くのか」を深く考える必要はないのかもしれない。
それでもナギトは、自分の性格上、考えずにはいられなかった。
(さらに知識を求めて、勉強を続けるため……?)
(将来、何かの研究者になるため……?)
そんなことを、ぼんやりと思い巡らせていた。
同時に、別の可能性も頭をよぎる。
もし、万が一大学へ進学できなかったら――
そのとき、自分はどこへ就職することになるのだろうか。
ナギトは、答えの出ない問いを抱えたまま、静かに思索を続けていた……。
季節は春。天気はとても良く、心地よい風が吹いていた。
街の桜の木は、すでに満開を迎えている。
今日は休日だったが、ナギトは進学について色々と考えを巡らせていた。
胸の奥に溜まった重たいものが、どうしても消えてくれなかった。
普段は寮で過ごすことが多いのだが、今日はなぜか外に出たい気分だった。
お昼を早めに済ませ、寮にいても落ち着かず、散歩に出ることにした。
着替えは簡素だった。アイロンの効いた白いワイシャツに、動きやすいズボン。
休日なのに制服の名残が抜けない格好だが、ナギト自身は気にしていない。
鏡の前で襟元を軽く整えると、そのまま寮を出た。
寮を出て、ぶらぶらと街の中をしばらく散策した。
桜は街のあちこちで咲き誇り、とても綺麗だった。
身内のいないナギトにとって、その光景はなぜかとても新鮮に感じられた。
これまでの自分の人生は、六歳までの記憶がない……。
コヤネという、たまに会話をする相手はいるが、それが友人と呼べる存在なのかも分からない。
人付き合いも、当然得意ではない。
どう接すればいいのかも、分からなかった。
それでも、こんなにも綺麗な景色を目にして、
「この街は、こんなにも美しい場所だったのか」と、初めて思った。
アスカは、人工的な匂いがほとんどしない。
自然を大切にしている、豊かな街だったのだ。
何だか、胸の奥がほっと緩むのを感じた。
目的もなく散歩をしていることが、心地よく思えた。
さっきまで、何をするにも目的を考えなければならなかった自分がいた。
けれど、今はそれがどうでもよくなっていた。
色々な道を歩いていると、家の形も色もさまざまで、
喫茶店も点在し、
楽しそうに話す人、友人と遊ぶ人――
さまざまな人の姿が目に入ってきた。
川にかかる橋の上から眺めた風景は、
両岸に桜の木が生い茂り、息を呑むほど美しかった。
(こんな場所があったんだ……)
やがて坂を登り、高台にあるエリアへとたどり着いた。
そこから眺める景色も、また格別だった。
アスカの街が、一望できた。
そして、風がとても心地よかった……。
気づけば、散歩そのものが楽しくなっていた。
目的なき散歩は、さらに続いていく。
そして――
気がつくと、見慣れない通りまで歩いてきていた。
雰囲気のある、参道のような道だった。
両脇には桜が咲き誇り、人の気配はまったくない。
さらりと風が吹き抜ける。
やがて、心に引き寄せられるように、
神社の入り口と思われる場所へとたどり着いた。
階段の先には、神社があるようだった。
(神社か……。そういえば、一度も行ったことがなかったな……)
不思議と好奇心が湧き、
階段を上って参拝してみようという気持ちになった。
階段を上りきった、その瞬間――
白い犬が、突然ナギトに飛びかかってきた。
驚いたナギトは、思わずバランスを崩し、地面に尻もちをついた。
(イタタタ……)
飛びかかってきた犬は、今度は勢いのまま追撃するように顔を舐め回してくる。
温かい舌の感触と、獣特有の匂いに、頭が真っ白になった。
ナギトは必死に抵抗していたが、犬の勢いを抑えることができなかった。
「すみません! 犬が突然走り出してしまって……あの、大丈夫ですか?」
そう言って、黒髪の少し大人びた女性がナギトに話しかけてきた。
白い襟が印象的な黒のワンピース。春の光の中で、その配色だけがやけにくっきりと目に入った。
飾り気は少ないのに、きちんとしていて、どこか穏やかな気配がある。
「……大丈夫、では……ないです。すみません。助けてください……」
犬は、女性が制止しようとしているにもかかわらず、なおもナギトの顔を舐め続けている。
「シロ! やめなさい!」
女性が少し強い口調で叱ると、
ようやく犬は動きを止め、女性は力を込めてリードを引き、ナギトから引き剥がした。
女性は、シロを落ち着かせるように優しく声をかけている。
ようやく終わったと呆然としているナギトは、言葉を失った。
「本当に申し訳ありません……。
お顔を、それにお洋服もこんなに汚してしまって……」
「大丈夫です。お構いなく……」
深く頭を下げる彼女に、ナギトは慌てて首を振った。
「あの、立てますか?」
「いえ、お構いなく。自分で立てますから」
「遠慮なさらずに、どうぞお手を」
「すみません。」
ナギトは彼女の手につかまり、立ち上がった。
「近くに公園があるんです。
そこに水道がありますから、よろしければご案内しますが……」
その瞬間――
ナギトと女性の視線が、真正面からぶつかった。
「えっ」
「……えっ」
と思わず、二人の声が漏れた。
そこにいたのは、以前ニュースで見たことのある人物。
“女王の再来”と称されていた、あの少女――ナミカだった。
以前よりも大人びているが、間違いない。
一方のナミカも、じっとナギトの目を見つめていた。
まるで何かを探すように。
やがて、はっと我に返り、
「あの……どうかなさいましたか?」
と、心配そうに声をかけてきた。
「いえ……以前、あなたのことをニュースで見たことがありまして……」
「そうでしたか……。少しニュースになってしまいましたものね……」
「それでは改めて、ナミカと申します」
「あの、学生さんでいらっしゃいますよね?」
「はい。今、九年生です」
「……私の二学年下ですね。
あのー……お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
「ナギトです」
「……ナギト……」
ナミカは一瞬大きな目を見開いて、言葉を反芻するように間を置き、
「とても良い名前でいらっしゃいますね」
と、微笑んだ。
その瞬間、ナギトは彼女の雰囲気が一瞬だけ変わったように感じた。
なぜかナミカの視線は、ナギトの目をずっと見ている……。
「すみません。何かついていますか?」
ナミカは少し恥ずかしそうに、
「すみません! いえいえ、大丈夫です。何もついていませんから……」
と、少し顔を赤くして答えた。
(何だか、ニュースで見た映像と雰囲気が違うな……)
(ニュースで見ていた時は、もう少しキリッとしていて、少し冷たそうな雰囲気だったのに……)
とナギトは感じた。
「ナギトさん、ここに来られたのは神社にお参りしたかったからじゃないですか?」
「そうでした!」
「ふふ……わかりました。ここでお待ちしておりますので、どうぞ参拝してきてください」
「ありがとうございます」
と会釈して、神社の本殿に向かった。
途中、とても大きな巨木が立っていた。
(凄いなぁ。何百年もここにあるのかな……)
その巨木にも、色鮮やかな桜が咲いていた……。
突然、後ろから、
「ふふ……この木の樹齢は一千年だそうですよ」
声の主は、ナミカだった。
「一千年……」
「はい。一千年前は宇宙戦争時代ですね。とても大変な時代だったと思います。
でも今はこうして生き続けている……」
「すみません! また余計な話を……。お節介ですね」
とナミカが照れくさそうに言った。
「いえ、全然……お節介だとは感じません……」
「すみません。お参りしてきますね」
と言って、本殿の前に向かった。
参拝を済ませて振り向くと、先ほどの大きな桜のところにナミカとシロが待っていた。
「ナミカさん! 参拝、済ませましたよ」
とナギトが言った瞬間――
(ナミ姉ちゃーん!)
――誰かの叫び声が、胸の奥に直接流れ込んできた。
「ナギちゃん……」
とナミカが、ぽつりと呟いた……。
「どうしました!? 参拝、終わりましたよ」
とナギトが言うと、
「何でもありません……」
ナミカは、どこか様子が変だった。
「あっ、そうでした! 公園でしたね。ご案内しますね」
そう言って、ナミカはにこりと笑い、くるりと背を向け、シロのリードを引いて階段の方へ向かっていった。




