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第六段① 別れの日

ナギトが七歳になった当日の朝。


館の台所では、いつもと変わらぬ朝が始まっていた。

窓から差し込む柔らかな光の中で、アヤネは静かに朝食の支度をしている。


フライパンの上で、卵が小さく音を立てる。

鍋ではスープが温められ、焼きたてのパンの香りが部屋に広がっていた。


――あまりにも、いつも通りだった。


背後で、控えめな足音がした。

カガセオが、すでに身支度を整えた姿で台所に入ってくる。


「おはようございます、奥様」


「おはようございます。今日はお早いのね」


「そうですか?」


そう言って、カガセオは小さく一礼した。


アヤネは一瞬だけ彼の方を見て、すぐに鍋へ視線を戻した。

それ以上、何も言わない。


「お母さん、まだ?」


廊下の向こうから、ナミカの声がする。


「もうすぐよ。手を洗ってきなさい」


やがて、眠そうな目をこすりながらナギトが現れる。


「……おはよう」


「おはよう、ナギちゃん。今日は特別な日よ」


アヤネはそう言って、微笑んだ。

その笑顔は穏やかで、誰が見ても“良い母親”のそれだった。


朝食の席では、カガセオもいつも通り向かいに座っていた。

ナギトの皿にパンを寄せ、飲み物を静かに差し出す。

その手つきは慣れていて、日常の一部だった。


「ナギちゃん、今日で七歳だね」


と、ナミカが小さな声で言う。


「うん……」


ナギトはまだ実感がないのか、曖昧にうなずいた。


「今日はね、夜にお祝いしようと思ってるの」

「ナギちゃんの好きなもの、いっぱい用意するわ」


その言葉に、ナギトの表情がぱっと明るくなる。


「ほんと?」


「ええ、ほんとよ」


アヤネは視線を伏せたまま、そう答えた。


カガセオは黙ってその様子を見ていた。

何も言わず、ただ、その光景を胸に刻むように。



昼食もまた、いつもより少しだけ丁寧に作られた。

ナミカの好物、ナギトの好きな味付け。

食卓には、穏やかな時間が流れていた。


昼には、カガセオも席についた。

仕事の話は一切せず、ナミカの学校の話に静かに相槌を打つ。


「七歳になると、できることも増えますね」


そう言ってナギトに向けた微笑みは、優しかった。


その時間が、最後の「普通の一日」であることを、

ナギトもナミカも知らない。



夕方。


台所には、アヤネとカガセオの二人だけがいた。

子どもたちは別の部屋でシロと遊んでいる。


テーブルの上には、誕生日のために用意された料理。

煮込み、焼き物、温かな汁物。

そして、無色透明の液体が入った小さな容器。


「……準備は整っています」


カガセオは、低い声でそう告げた。


アヤネは、しばらく容器を見つめていた。

指先が、わずかに震える。


「ありがとう」


短い言葉だった。

それ以上の説明は、必要なかった。


やがて、アヤネは静かに容器を開ける。

眠りを誘う薬は、味も匂いもほとんどない。

料理の中へ、ごく自然に溶け込んでいった。


カガセオは、一歩下がった場所から、その一部始終を黙って見守っていた。

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