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第6話:潮騒の蒸し鍋と、禁断の出汁


離宮の地下貯蔵庫には、今夜も不思議な熱気が満ちていた。

テーブルの中央に鎮座するのは、この国では「貧者の石」と蔑まれている「海の実」をたっぷりと使った大鍋だ。


海の実とは、硬い殻に覆われた二枚貝のことである。

見た目が石のように無骨で、砂を噛んでいることが多いことから、貴族の食卓に並ぶことはまずない。しかし、砂出しを完璧に行い、適切な魔法で熟成させれば、これほど濃厚な旨味を持つ食材は他にない。


「お嬢様、この『海の実』、殻が開くたびにいい香りが弾けますね! 昨日の燻製も凄かったですけど、この磯の香りはまた別格です」


手伝っているミーナが、鍋から立ち上る湯気を浴びて頬を上気させる。

私は、すり潰した薬石やくせきの実を種精油たねせいゆでじっくり炒め、そこに海の実を投入した。仕上げに注ぐのは、地下で冷やしていた黄金色の「黄粒麦こうりゅうばぎ」の酒だ。


ジュゥゥゥッ!


という激しい音と共に、麦の香ばしさと潮の香りが混ざり合い、貯蔵庫の空気を一変させた。


「……また、とんでもない匂いをさせているな」


階段を下りてきたのは、もはや常連となったカイルム様だ。

その後ろには、申し訳なさそうに、しかし鼻をひくつかせながらヴァレリウス卿が続いている。


「陛下、ヴァレリウス卿。ちょうどいいところに来られましたわ。今夜のメイン、海の実の麦酒蒸しが完成したところです」


「海の実だと? 冗談だろう。あんな泥臭いものを王妃が料理するなど……」


ヴァレリウス卿が驚愕の声を上げるが、その視線はすでに、ぱっくりと口を開けた貝から溢れる白いスープに釘付けだった。


「まあ、四の五の言わずに。さあ、どうぞ」


私は四人分の小皿に、たっぷりのスープと共に海の実を取り分けた。

そして、キンキンに冷えたジョッキをそれぞれの前に置く。


カイルム様は迷いなく、殻を手に取った。

身を口に運び、ゆっくりと噛みしめる。


「……っ。信じられん。砂の不快感など微塵もない。それどころか、噛むたびに海そのものを凝縮したような濃厚な汁が溢れ出してくる。それに、この少し焦げた薬石の風味が、貝の甘みをこれでもかと引き立てているぞ」


「本当だ……! この白い汁、なんという旨味だ。今まで捨てられていたのが信じられない。レティシア殿下、これは本当に魔法の仕業なのですか?」


ヴァレリウス卿も、騎士としての威厳をかなぐり捨て、夢中で貝を啜っている。

スープを一滴も零したくないという執念すら感じる食べっぷりだ。


「ふふ、素材の力を引き出しただけですよ。さあ、お酒も一緒に」


促すと、二人は同時にジョッキを煽った。


「くはぁぁっ! この熱々の貝を頬張った後に、氷のように冷たい麦酒で流し込む……。レティシア、貴様は俺をどうするつもりだ。もう、王宮の味が砂を噛んでいるようにしか思えん」


カイルム様が、呆れたような、しかし深い愛着の混じった溜息をつく。


「陛下、それはいけません! 私も同じです。今日の演習中も、昨日の燻製の香りが頭から離れず……気づけば離宮の方角を眺めていたのですから」


ヴァレリウス卿の言葉に、ミーナが笑いながら追加の海の実を差し出した。


「ヴァレリウス様、まだお鍋にはたくさんありますよ。このスープ、お嬢様が作ってくださった『白根粉しらねこのパン』に浸して食べると、もっと美味しいんですから」


「なんだと? そのような食べ方が……っ、うまい! なんだこれは! パンが旨味をすべて吸い込んで、噛むたびに口の中が幸せで満たされる!」


大男の騎士団長が、一切れのパンをスープに浸しては頬張り、相好を崩している。

その隣で、カイルム様も無言でパンをスープに浸し、満足げに頷いていた。


「……レティシア。貴様は、この離宮を居酒屋にでも変えるつもりか?」


カイルム様が、少しだけ赤くなった顔で私を見つめた。

麦酒の酔いか、それともこの空間の熱気のせいか。彼の瞳には、出会った時の氷のような冷たさはもう微塵も残っていない。


「あら。私はただ、美味しいものを食べて、美味しいお酒を飲みたいだけですわ。陛下も、ヴァレリウス卿も、それを望んでいらっしゃるのでしょう?」


「……否定はできんな。明日も、明後日も、俺はここに来るだろう」


カイルム様はそう言って、最後の一つとなった海の実を私の皿に分けてくれた。

それは、彼なりの不器用な親愛の情だったのかもしれない。


「お嬢様、これではお飾り王妃どころか、陛下と騎士団長の胃袋の支配者ですね」


ミーナが耳元で楽しそうに囁く。

私はジョッキに残った麦酒を飲み干し、心地よい満足感に浸っていた。


しかし、この離宮の「秘密の居酒屋」の噂は、少しずつ、私の知らないところで外へと漏れ始めていたのである。


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