第3話:宵闇の煙と、甘辛い誘惑
「よし、今日はこれで決まりね」
離宮の裏手にある、小さな中庭。
私はそこに、レンガを積み上げて特製の「焼き台」を設置していた。
もちろん、ミーナに手伝ってもらって内密に作ったものだ。
今夜の主役は、昨日の残り物の月下鳥ではない。
さらに肉質がしっかりとしていて、脂に甘みがある「火羽鳥」の身だ。
これを一口大に切り分け、同じく配給の中にあった、少し辛みの強い「青尖の実」と交互に串へ刺していく。
「お嬢様、その……串に刺して焼くというのは、ずいぶんと手が込んでいますね。昨日の揚げ物とは、また違った趣です」
準備を手伝っていたミーナが、串の山を見て興味深そうに目を輝かせる。
「ただ焼くだけじゃないわよ。この『タレ』が命なの」
私は、昨夜も使った黒露に、地下で見つけた「蜜根」の絞り汁を加えたものを小鍋で煮詰めていた。
蜜根は砂糖の代わりになる植物の根だ。煮詰めることで、黒露の塩気と蜜根の甘みが混ざり合い、とろりとした濃厚な琥珀色のタレが出来上がる。
炭火に火をつけ、串を並べる。
じわじわと肉の脂が溶け出し、炭に落ちて小気味よい音を立てる。
そこにハケでたっぷりとタレを塗り、再び火にかけた。
ジュワッ!
立ち上る煙とともに、醤油が焦げたような、あのたまらなく芳醇な香りが辺り一面に広がった。
甘辛い、そして少し焦げた香ばしい匂い。
「……っ! なんていい匂いでしょう。お腹が空いていなかったはずなのに、急に喉が鳴ってしまいました」
ミーナが自分のお腹を恥ずかしそうに押さえる。
「さあ、第一弾が焼けたわよ。食べてみて」
私は、表面が絶妙に焦げ、タレが照り輝いている串をミーナに渡した。
彼女は熱さを指先で感じながら、思い切り肉にかじりつく。
「んんっ……! おいしいっ! お肉がぷりぷりしていて、噛むたびにタレの甘辛さが口いっぱいに広がります。それに、この青尖の実のピリッとした辛さが、脂の甘みを引き立てて……これ、何本でもいけちゃいますわ!」
「そうでしょう? この焦げたタレの部分が、一番のご馳走なのよね」
私も一本、手に取った。
火羽鳥の皮はパリッと焼けていて、中は驚くほどジューシーだ。
甘辛いタレが絡んだ肉を噛み締め、その余韻を楽しみながら、私は昨日と同じようにキンキンに冷やした「黄粒麦」の酒を喉に流し込む。
「ぷはぁっ……。やっぱり、この苦味が脂をリセットしてくれるわ」
「お嬢様、この組み合わせは罪深いです。止まりません、本当に止まらないんです……!」
ミーナはもう、二本目の串を幸せそうに頬張っている。
その時だった。
カサリ、と草を踏む音がして、闇の中から一人の男が現れた。
銀色の髪を月光に光らせ、険しい表情を浮かべたカイルム様だ。
しかし、その瞳は隠しきれない期待に揺れている。
「……また、貴様らか」
「あら、陛下。今夜も散歩ですか?」
私はわざとらしく首を傾げてみせる。
カイルム様は、私の手元にある串と、もうもうと立ち上る煙を交互に見た。
「王宮の風紀を乱すような匂いをさせていると聞き、調査に来たのだ。……それが、今日の毒か?」
「ええ、今日は火羽鳥の串焼きでございます。毒味、なさいますか?」
私が差し出すと、カイルム様は「仕方ない」という顔をしながら、素早く串を受け取った。
そして、躊躇うことなく大口で肉を食らう。
咀嚼する音が静かな夜の庭に響く。
カイルム様は目を見開き、喉を大きく動かして飲み込んだ。
「……黒露を煮詰めたのか。この粘り気のある甘みは、蜜根か? 焼き石のように熱いのに、次の一口が欲しくてたまらなくなる」
「陛下、この青尖の実も一緒に食べてみてください。お肉の脂がさっぱりしますから」
ミーナが勧めるように小皿を差し出す。
カイルム様は言われるがまま、肉と青尖の実を同時に口にした。
「っ……! 辛い、だが、それがいい。この刺激が、肉の旨味をさらに鋭くしている。……レティシア、貴様は一体、どこでこのような調理法を学んだ?」
「さあ、どこかしら。食いしん坊の妖精にでも教わったのかもしれませんわ」
私は冗談めかして笑い、彼に冷えたジョッキを差し出した。
カイルム様はそれを一気に飲み干すと、ふぅ、と深い溜息をついた。
「……俺は、今まで何を食べていたんだ。王宮の料理人は、素材の味を壊さないことばかりに固執し、このような『魂を揺さぶる味』を忘れている」
「たまには、こういう野蛮な味も必要でしょう? 陛下は働きすぎなのです」
私の言葉に、カイルム様は一瞬だけ驚いたような顔をした。
彼はしばらく無言で、二本目、三本目と串を平らげていく。
王としての威厳はどこへやら、彼は今、ただの「空腹の男」だった。
「……明日も、またここに来ても構わないか?」
串を一本残らず食べ終えたカイルム様が、少しだけ声を低くして言った。
昨夜よりも、ずっと素直な響きだった。
「もちろんですわ。ここは離宮。陛下の持ち物なのですから」
「……そうではない。私が、来たいと言っているのだ」
カイルム様はそう言い残すと、足早に去っていった。
その後ろ姿は、初めて会った時のような冷たさはなく、どこか名残惜しそうに見えた。
「お嬢様。これ、もう『お飾り王妃』じゃなくて、隠れ家居酒屋の店主になってません?」
ミーナが最後の一本を大事そうに食べながら言った。
「いいじゃない。最高のお客様よ」
私は残ったタレを炭火で焼き、香ばしい匂いを夜風に乗せながら、心の中で次のおつまみを考え始めていた。




