第10話:離宮の灯火、永遠の乾杯
バルカ帝国の使節団を「餃子」と「麦酒」で陥落させた晩餐会から、数日が過ぎた。
王宮内での私の評価は一夜にして一変した。
「悪役令嬢」や「冷遇された王妃」という言葉は影を潜め、今では「国の危機を救った美食の聖女」という、こそばゆい二つ名で呼ばれている。
カイルム様は宣言通り、本宮の一等地に最新の設備を備えた厨房を用意してくれた。
けれど、今夜の私は、あえて慣れ親しんだ離宮の地下貯蔵庫にいた。
「お嬢様、荷物の整理はほとんど終わりましたわ。明日には本宮へお引越しですね」
ミーナが少しだけ名残惜しそうに、空になった木箱を撫でる。
「ええ。でも、最後にここで、私たちの『原点』を味わっておきましょう?」
今夜、私が鉄板の上で焼いているのは、昨夜カイルム様に予告した「新作」だ。
使うのは、白根粉を練り上げて細く切り出した「千糸麺」。これを強火で熱した鉄板に広げ、二角豚のバラ肉と一緒に焼き上げていく。
ジュゥゥゥッ!
小気味よい音が響き、肉の脂が麺に絡んでいく。
そこに、熟成魔法で極限まで煮詰めた黒露と、蜜根の甘みを加えた特製ソースを回し入れた。
一気に立ち上る、甘辛くて香ばしい、暴力的なまでの匂い。
「お、お嬢様……! 晩餐会の餃子も凄かったですけど、この『麺』が焦げる匂いは、また別の意味で理性を破壊しにきていますわ!」
ミーナがジョッキを握りしめ、ごくりと喉を鳴らす。
仕上げに、乾燥させた海龍草を細かく砕いて振りかけ、紅い「酸実」の酢漬けを添える。
「さあ、『特製鉄板焼きそば』の完成よ」
その時、地下へと続く階段から、賑やかな笑い声が下りてきた。
「やはりここか。本宮の豪華な厨房には目もくれず、こんな埃っぽい場所に籠もるとは、貴様らしいな」
現れたのは、カイルム様だ。その後ろには当然のようにヴァレリウス卿が控え、さらには扇子を優雅に揺らしたエレオノーラ様まで同行している。
「あら、皆様お揃いで。ちょうど食べ頃ですわよ」
私は四つの皿に、山盛りの焼きそばを盛り分けた。
カイルム様が、いつもの「王」の仮面を脱ぎ捨て、私の隣に座る。
「……待て。この匂い、今までで一番危険ではないか? 黒露が熱せられて、麺に焼き付いているこの色はなんだ」
カイルム様は、不器用に二本の棒を使い、たっぷりの麺を口に運んだ。
咀嚼した瞬間、彼の喉が大きく動く。
「……っ、熱い! だが、止まらん! この弾力のある麺に、濃厚なソースがこれでもかと絡みついている。そして、この酸実の酸味が、脂っこさを絶妙に引き締めているぞ」
「本当に……! 殿下、この麺の焦げた部分がパリパリしていて、香ばしさの極みですわ。貴族の気取った料理が、いかに退屈なものだったか痛感します!」
ヴァレリウス卿も、大口で麺を啜り、鼻を黒く汚しながら熱弁する。
エレオノーラ様も、上品に、しかし確かな速度で皿を空にしていった。
「レティシア様……貴女という人は。これほど卑俗で、これほど魅力的な味をどこで覚えたのかしら。お出汁の時も驚きましたけれど、この麺料理は……なんだか、明日も力強く生きていこうと思わせる力がありますわね」
「ふふ、皆様。お酒も忘れないでくださいね」
私は、キンキンに冷えた「黄粒麦」を全員のジョッキに注いだ。
黄金の液体の上に、きめ細やかな白い泡が踊る。
「では……私たちの新しい門出と、美味しいお酒に」
「「「乾杯!!」」」
ジョッキがぶつかり合う、澄んだ音が地下室に響き渡る。
カイルム様は、一気に酒を煽ると、ぷはぁ、と深く満足げな吐息をついた。
そして、私の肩を力強く抱き寄せた。
「レティシア。本宮に店を構えても、この賑やかさだけは失わせない。……俺は、この場所で笑うお前を、何よりも愛しているからな」
突然の、そして初めての真っ直ぐな愛の告白。
私は少しだけ驚き、それから彼と同じくらい深く、酒の勢いを借りて微笑み返した。
「ええ。陛下が疲れた時は、いつでも私が最高の肴と冷えたお酒を用意しておきますわ。……たとえ、王宮がひっくり返るようなことがあっても」
「……ああ、頼りにしている。我が、最高の王妃よ」
地下貯蔵庫の小さな明かりの下で。
カイルム様の唇が、優しく私のものに重なった。
ヴァレリウス卿とミーナが「あーっ!」と騒ぎ出し、エレオノーラ様が呆れたように扇子で顔を隠す。
かつて「悪役令嬢」と呼ばれ、婚約者にも見捨てられた私は、今、世界で一番温かい居場所を手に入れたのだ。
本宮の「公式居酒屋」開店は、明日のこと。
けれど今夜だけは、この古い離宮で、夜が明けるまで語り合い、笑い合い、そして最高の酒を飲み干そうと思う。
私の、そして私たちの、幸せな「晩酌」は、これからもずっと続いていくのだから。
(完)
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