表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/10

第1話:初夜の拒絶、最高の幕開け


「いいか。私は貴様を愛するつもりはない。この結婚は形式上のものだ」


豪華な装飾が施された寝室に、冷たい声が響いた。

ソルスティス王国の若き王、カイルム・ソルスティス。

彼は銀色の髪をかき上げ、氷のように鋭い瞳で私を射抜いた。


「この離宮から出ることは許さん。一生、飾りとして静かに暮らせ。……わかったな?」


私は、夫となったばかりの男を見上げた。

絶世の美男子である。しかし、その顔には深い疲労が刻まれ、唇は不機嫌そうに歪んでいた。


私は伏せ目がちに、小さく肩を震わせる。

そして、消え入るような声で答えた。


「……承知いたしました、陛下。仰せの通りに」


カイルム様は鼻で笑うと、一度も振り返ることなく部屋を去っていった。

バタン、と大きな音を立てて扉が閉まる。


静寂が訪れた。


私はゆっくりと顔を上げ、ベッドの上に座り直す。

震えていたのは、悲しみからではない。

湧き上がる歓喜を抑えるためだった。


「……やった。完全自由、勝ち取ったわ!」


私はこぶしを握りしめた。


私の正体は、異世界から転生した元営業職のOLだ。

前世では毎日夜遅くまで働き、唯一の癒やしは仕事帰りに立ち寄る居酒屋だった。

キンキンに冷えた麦酒と、脂の乗った焼き鳥。あの至福のひととき。


この国に転生して十九年、公爵令嬢として窮屈な教育を受けてきた。

「悪役令嬢」なんて根も葉もない噂を流されたのも、王妃という激務から逃れるための私の自作自演だ。

狙い通り、カイルム様は私に興味を失い、この離宮へ追放同然に押し込めてくれた。


「これからは誰にも邪魔されず、好きなだけ飲んで食べられる!」


私は豪華なドレスを脱ぎ捨てると、用意していた軽装に着替えた。


離宮は古い。

しかし、地下には立派な貯蔵庫があることを、事前の調査で把握していた。

私はランプを手に、階段を下りていく。


ひんやりとした空気の中に、埃と酸っぱい酒の匂いが混じっていた。


「ひどい有様ね。でも、私の魔法があれば大丈夫」


棚には、安物の「黄粒麦こうりゅうばぎ」の樽が並んでいた。

この世界では、貴族は薄めたワインを好み、麦の酒は「労働者の飲み物」として嫌われている。

しかも、保存状態が悪くて味が落ちている。


私は樽にそっと手を触れた。


「――熟成、そして最適化」


私の固有魔法、それは『浄化』ではない。

物質を最も「美味しく、芳醇な状態」まで引き上げる『神の熟成』だ。


樽の中で、魔法の光が揺れる。

ツンとした酸味が消え、代わりに香ばしい麦の香りが立ち上ってきた。

さらに地下の氷室から持ってきた魔石を使い、ジョッキごと限界まで冷やす。


「お嬢様……? こんなところで何を……」


後ろから声をかけられ、私は飛び上がった。

そこにいたのは、私の身の回りの世話をするために配属された新人侍女のミーナだった。


「あら、ミーナ。ちょうどいいところに。あなたも一杯どう?」


「ええっ!? 陛下にあんなに冷たくされて、ヤケ酒ですか!?」


「いいえ、お祝いよ。さあ、見ていて」


私は蛇口をひねり、透き通った黄金の液体をジョッキに注いだ。

表面には、きめ細やかで真っ白な泡がふんわりと乗る。

これだ。前世で夢にまで見た、完璧な黄金の比率。


私は椅子代わりにしていた木箱に座り、一気に喉を鳴らした。


「……っ、ふはぁー!」


喉を刺激する炭酸と、鼻を抜ける麦のコク。

そして、魔石で冷やされた衝撃が体中を駆け巡る。


「最高……。生きててよかった……」


「あ、あの、お嬢様? 淑女がそんなに豪快に……。それに、その麦の酒は苦くて不味いと評判ですよ?」


「いいから、一口飲んでみて。毒なんて入ってないわ」


おずおずとジョッキを受け取ったミーナが、恐る恐る口をつける。

一口、二口。

すると、彼女の丸い目がさらに大きく見開かれた。


「……っ! なんですか、これ! 苦いのに、すごく爽やかで……喉を通る時、すーっと疲れが引いていくみたいです!」


「でしょう? 魔法で味を整えたの。これに合う『肴』があれば、もっと最高なんだけど」


私は貯蔵庫の隅にある籠を見つけた。

中には、この地方特産の「角鳴鳥つのなりどり」の干し肉と、大粒の「岩塩ナッツ」が入っている。


私は干し肉を薄く切り、魔導コンロの火で軽く炙った。

じゅわっ、と脂が浮き出し、香ばしい匂いが地下室に広がる。


「さあ、食べてみて」


ミーナが炙りたての肉を口に運ぶ。


「んんっ! 噛めば噛むほど旨味が出てきます! この塩気が、さっきの黄金の酒をさらに欲しくさせますね……。お嬢様、もう一口だけ、お酒を頂いてもいいですか?」


「もちろん。今夜は長いわよ」


私たちは、誰もいない地下貯蔵庫で、秘密の祝杯を挙げた。

カイルム様が今頃、執務室で不味いお茶を飲みながら書類に追われているとも知らずに。


これが、私の「お飾り王妃」生活の始まりだった。

まさか、その数日後には、あの冷酷な陛下がこの匂いにつられてやってくるなんて、この時の私は思いもしなかったのである。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ