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ソフィアは初めて自分の意思で王宮へ出向いたが、執務室にウィリアムの姿はなかった。彼の執務室以外にはほとんど行ったことがなく、どこを探せばいいかわからず途方に暮れていると、運悪くまたあの貴族令嬢と鉢合わせてしまった。
いつもはたくさんの令嬢を連れているのだが、今日は一人きりのようだ。相当機嫌が悪いのか、顔を見るなり眉をひそめ、憎々しげに吐き捨てる。
「この、魔女め! また呪いをかけようというのね!」
「呪い?」
何を言われているのかわからず、ソフィアは困惑する。
「しらばっくれないで! あの後みんな高熱を出して苦しんだわ。みんな顔に痣まで残って……これで満足? 私たちを呪って嘲笑っていたのでしょう!」
厚化粧と扇で隠しているが、うっすらと顔に斑点のような物が浮かんで見える。
どうやら、ソフィアに嫌がらせをした貴族の令嬢たちは病気にかかったようだ。痣が残ったのは確かに可哀想だと思うが、ソフィアのせいにされても全く身に覚えがない。勝手に嫌がらせをしてきて、勝手に病にかかり、それを人のせいにされるなんて、迷惑なだけだ。
「私は呪いなんてかけません」
「嘘仰い! この痣のせいで、私は……殿下の婚約パーティーにすら顔を出せないというのに!」
その言葉に、ソフィアははっと息を呑んだ。
「やっぱりウィリアム様は婚約されるのね……」
メイドですら知っていたのだ。社交の華である貴族令嬢が知らないはずがない。ただ、自分だけが知らなかったという事実に、ソフィアはショックを受けた。
「はっ! あなた弟子のくせに、何も知らないの?」
図星を突かれ、ソフィアの心はズキリと痛む。どんな嫌がらせをしても何の反応も示さなかったソフィアの顔がみるみる青ざめていくのを見て、令嬢は嬉しそうに笑った。
「信用がないのね。お相手は隣国の王女様よ。王女様も呪いをかけられたらたまらないから、ウィリアム様もあなたに何も教えてくださらないのよ!」
「私は呪いなんてかけてません!」
「そう? なら、なぜ唯一の弟子である貴方に何も言わないのかしら?」
そう言われてしまうと、何も言い返せなくなる。
――ウィリアム様も、私を呪いをかけるような魔女だと思っているの?
否定したくとも、誰よりも信頼し、また信用してもらえていると思っていたウィリアムに、隠されていたという事実がソフィアを深く傷つける。
「哀れなものね」
令嬢は羽扇で歪んだ口元を隠しながら、ソフィアを罵った。
「ウィリアム様の婚約者は、隣国の皇女様よ。美貌、教養、身分、そのどれもが素晴らしいの。まさにウィリアム様のご婚約者としてふさわしい方よ。あなたみたいなドブネズミが、嫉妬するのもおこがましいわ。ネズミはネズミらしく、地べたを這いずり回っているのがお似合いよ!」
顔に痣が残り、ウィリアムの婚約者になれなかったばかりか、条件の良い婚約者を探すことすら難しくなったことで、貴族令嬢はやけになっていた。呪いをかけてきたと思い込んでいるソフィアをどうにかして傷つけてやろうと、必死に攻撃してくる。
「…………」
そしてその言葉は、貴族令嬢の思惑通り、ナイフのように酷くソフィアの心を抉った。泣きそうになり、ソフィアは拳を強く握りしめる。
令嬢は一枚のカードをソフィアの足元に投げ捨てた。
「これは今開催されてる、王女様の歓待パーティーの招待状なの。あなたに差し上げるわ」
「私に?」
「そうよ。そしてその目でしっかりと、自分がどれほど愚かで分不相応な想いを抱いているか、確認していらっしゃい。どれほど馬鹿でも、見れば気づくでしょうから」
そう言って、そのままソフィアの前から去っていった。
――ウィリアム様の、婚約者。
ソフィアは呆然自失になりながらも、そのカードを拾い上げると、自分の部屋へ戻った。
いくら招待状を持っていても、厳重な警備があるパーティーに私服では入れてもらえない。
クローゼットを開けると、そこはウィリアムからの贈り物で溢れ返っていた。その中から、一番おとなしそうな薄いブルーのドレスを手に取り、ソフィアは腕を通す。
――見て、何になると言うの?
ウィリアムはソフィアに、王女様が婚約者になることはおろか、この国に滞在していることさえ教えてくれなかった。魔術塔の誰もが口を閉ざしているということは、彼があえて口止めしているのだろう。
自分の婚約者には会わせたくないと思われているのだ。それなのに、会いに行くなんて迷惑でしかない。
けれども、どうしても一目見たいという気持ちが止められない。感情が、理性を置いてけぼりにしていく。
簡単に髪を結い上げ、できる限り見苦しくないよう準備を済ませると、パーティーが行われている大広間へと向かった。