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第一節:召命


 主は人の心を秤にかけられた。

 山の塵よりも軽き愛は退けられ、海よりも深い愛を抱く者のみがその胸に抱かれた。

 その額に光環を戴かせ、勇者と名づけられた。

 主は仰せになった。

「汝、その愛を我に捧げよ」


第五節:竜


 竜は愛を持たぬもの。

 奪うことしか知らず、捧げることを知らぬ。

 ゆえに勇者は、その過剰なる愛をもって竜を討たねばならぬ。

 愛を知らぬものよ、愛にて滅びるがよい。


──教会聖典『光環書』勇者の章より一部抜粋



 雨音に混じって唾を飲みこむ音が耳の奥でやけに大きく響いた。

 同時に、喉の奥から激情が込み上げる。息を吸おうとして、少女は咽せた。

 酸欠に霞む頭の中で修道士の声が執拗に反響する。


 ──愛に報いを求めてはいけません。

 ──愛を求めてはなりません。

 ──力を求めてはいけません。

 ──ただ主に捧げ、愛し、果たしなさい。


 それが万物の霊長たる人の責務。選ばれし勇者として生まれた少女の本質(在り方)

 だから、感謝すべきなのだ。無償の愛を、褒め称えるべきなのだ。


 だというのに。

 初めて外気を吸う赤子のように、たどたどしく呼吸を繰り返すたびに、激情それが喉元まで込み上げてくる。

 細い声が、こぼれ落ちた。


「返して……!」


 ガラスに爪を立てたような、歪んだ音だった。

 自分がこれほどの声を出せるとは、少女自身思っていなかった。向かいに立つ女性も、わずかに目を見開く。


 堰を切った激情に身を任せるまま、少女は地面に転がる剣を掴んだ。

 刃は欠け、柄にはひびが走っている。数合と持つとは思えない。それすら判断できぬほど、心はひび割れていた。


「それは……私の……」


 声が震える。

 数え切れぬ年月をかけ、肉体の奥底に馴染むまで染み込ませてきた剣術。その手は今、習いたての騎士見習いのように、小刻みに震えていた。

 ぬかるみに足を取られ、よろめきながらも、剣を振り上げる。


 遅い。

 軌道は単純で、防御の必要すらない。

 女性は僅かに身体を傾けただけだった。

 剣は虚空を切り、少女は頭から泥の中に倒れ込む。

 

「…だめ、…わたしの、なの…!」


 譫言めいた呟きを零し、涙と泥で顔を汚しながら、少女は再び立ち上がる。

 剣を振りかぶった瞬間、女性が動いた。

 最小限の動作で踏み込み、掌底で柄を叩く。剣はあっけなく手を離れた。


「あっ…」


 姿勢を崩した刹那、鳩尾に拳が突き込まれた。

 内蔵を裏返されるような激痛に、少女は膝から崩れ落ち、そのまま前のめりに倒れ込む。

 吐き出した胃の内容物が、雨に溶けていくのをぼんやりと見つめた。

 視界が瞬き、雷が弾ける。

 意識が遠のく──その直前、冷たい指が触れた気がした。


 無意識に。

 縋るものを探すように。少女の指が女性のマントの裾を掴む。

 引き留められるにはあまりにも弱い力。それでも、女性は動かなかった。

 落ちていく瞼を無理やり持ち上げ、少女は女性の顔を見上げる。

 滲む視界の中で、女性の、あけぼのの輪郭を捉えた。


「……いか、ない……?」


 なぜその言葉が口をついたのか、少女自身も分からない。

 先程より、ずっと幼い声だった。


「行きません」


 冷たい音声。だが、何故だか、暖かかった。

 少女は再び目を閉じて、マントを掴む指にだけ、僅かに力を込めた。



 理解できなかった。

 あけぼのは、自らのローブを握りしめたまま気絶している(ねむる)少女を横目に、造形室チャンバーで生成した蜂の巣炭素質燃料ハニカム・カーボンコアを火にくべる。

 外は土砂降りの雨。少女を放置するわけにもいかず、近くの洞窟で雨宿りをしている最中であった。

 他にすることもなく、あけぼのは邂逅時の記録映像を繰り返し再生していた。

 驚愕、僅かな安堵。不安、恐怖、怒り。

 安堵しながら不安を抱き、感謝しながら怒りを抱き、脅威が去ってなお恐怖を覚える。

 

──矛盾。

 その語を、あけぼのは知識として知っている。

 だが彼女は機械だ。その思考は0と1の集合体。量子揺らぎを用いた演算機構であろうと、2や3が入り込む余地はない。

 ゆえに、矛盾を理解できない。

 太陽系を超え、複数の銀河系を巡ってなお、地球人は()()()自発思考を持つ人工知能を生み出していない。


「…んぅ…」


 思索が堂々巡りに陥っている傍らで、少女が目を覚ました。

 薪の爆ぜる音と、洞窟に反響する雨音。

 肌寒さを覚え、少女は無意識にマントを引き寄せる。僅かに湿り気を帯びた荒い布の感触が素肌に触れて──素肌?


 慌ててマントを捲ると、そこにあるのは何も纏っていない自分の身体だった。

 傷一つない、健康そのものの身体。その異常さは、

込み上げる羞恥心の前にあっさり押し流された。

 小さく悲鳴を上げ、少女はマントをきつく巻き直し、三角座りになる。

 火照った顔の先には、服を剥いだ当人──あけぼのの姿。


「気分はいかがですか?」


 責めるでも、逸らすでもなく。

 そこにあるのは単なる確認だった。怪我はないか、異常はないか。それ以上でも、それ以下でもない。


「な、何で…?」


 何故自分を殺しかけた相手に対し、そんな態度で接することができるのか。少女の問いにあけぼのは表情を変えずに答える。


「服が血と泥で酷い状態でしたので。下着は無事でしたから、乾かしています」


 質問の意図とはまるで噛み合わない回答だった。

 少女の目線が横へ移り、焚き火の前に木の枝で吊るされた自身の下着と鎧で止まる。

 次の瞬間、ぽん、と音がしそうな勢いで再び顔を赤くし、少女は亜音速でそれらをマントの中へ引き込んだ。


 中々の反応速度だ。あけぼのは密かに、評価を一段階引き上げた。

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