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 夜通し降り注いだ雨が、コルヴァッカ大森林を重く濡らしていた。

 たわんだ枝葉が限界を迎え、忘れた頃に大粒の雫をこぼしていく。


 天を突く巨木が、わずかな陽光を貪る。

 その足元で、名もなき草木が水玉模様の木漏れ日を奪い合うように葉を広げていた。

 時折、刺すような冷風が木立を抜け、地面を覆う濡れた枯葉を無造作にひっくり返していく。


 人型自立機械〈あけぼの〉は、枯れ木のうろの奥で横たわっていた。


 濡烏のように豊かな黒髪は、鈍く光を失っている。

厚手のローブには青草の匂いが染みつき、ブランケット代わりの旅行マントは、吸い込んだ水の重みで彼女の身体を地面へと縛り付けていた。


 眼前に置かれた銀色の装置は、電波塔を模したかのような簡素な造りだ。

 超長距離通信機。

 銀河の彼方へと繋がるはずの、数少ない故郷との縁。

 あけぼのの指先がスイッチに触れる。

 僅かな砂嵐の後、音声入力が有効化された。


『受信件数、0件』


 柔らかなAIの声が、湿った空気に溶けて消える。

 あけぼのは応答しない。

 落胆も、苛立ちもしない。

 ただ黙ってスイッチを切り、通信機を布で包み直した。


——自己診断を実行。

駆動系、演算系、記憶領域。いずれも異常なし。


 それでも、体は重い。

 モーターに遅延が生じているわけでも、性能が規格を外れているわけでもない。

 ただ、次の動作を選択するまでのプロセスに、正体不明の空白が生じていた。


 人間ならば、それを「憂鬱」と呼ぶのだろう。

 あけぼのはその単語を、記号として知っているに過ぎなかった。


 立ち上がる。

 意思と動作を切り離すと、機械の身体は即座に反応した。

 泥濘を踏みしめると、濃厚なゲオスミンの香りが立ち上る。

 土の中に眠る微細な生命たちが雨に目覚め、一斉に呼吸を始めたかのような、無慈悲なまでに力強い「生」の匂いだった。



 索敵センサーが異常な熱源を捕捉したのは、あけぼのが森を進み、六度の鐘が鳴った頃だった。


 大地を揺らす衝撃。

 木々を不時着する大型機のように薙ぎ倒し、巨躯が姿を現す。

 赤熱した鱗の隙間から青い焔が漏れ出し、葡萄色の血が苔むした大地を汚している。

 天の幕のごとき翼は裂け、喉から漏れる音に、もはや往時の威圧感はない。


 魔物の頂点、竜種。

 一秒毎に命を溢しながらも、その双眸には明確な殺意が宿っている。

──生態系への影響

──将来的リスク

──自己保存

 排除判断。


 判断は迅速だった。

 右腕に内蔵された造形室チャンバーが、静かに唸り声を上げる。


 「造形」は、コンマ数秒で完了する。

 右前腕からカーボン製の弓腕リブが展開され、同時に積層されたばかりの弦が剛性を得て、鋭く張り詰める。


 竜の顎が開き、超高温のブレスが放射された。

 口内に熱エネルギーに反応し、あけぼのは側方へ跳躍する。

 だが、予測よりも早く迫った熱波が視界を白く塗り潰した。外装温度が危険域へと跳ね上がる。

 未来予測を上方修正。行動パターンの観察。

 旅行マントの裾が燃え、焦げた布片が宙を舞う。


 間髪入れずに竜の翼が地面を掃くように叩きつけられた。

 裂けた膜が空気を裂き、爆発的な衝撃波が森を薙いだ。巨木が軋み、根ごと引き剥がされる。

 着地と同時に倒れこむように横に転がり、間一髪で回避。だが、地面を這う震動で平衡制御が一拍遅れる。


 その隙を、竜は逃さない。

 巨躯が身を翻し、遠心力が加えられた尾が横薙ぎに振るわれる。

 質量そのものが武器だった。空気が歪み、直撃する前から圧力が地面を抉る。


 上方への回避は間に合わない。地面に身体を押し付けるように姿勢を低くする。

 尾の先端が肩口を掠め、外装装甲(人工皮)が悲鳴のような音を立てて削り取られた。

衝撃が内部へと浸透し、ノイズが走る。

 

 竜は理解していた。距離を取れば不利だと。

 いかな竜の鱗といえど、無敵ではない。鱗の多くが剥がされた今では尚更だ。

 ゆえに、血を引きずり、草木を踏み潰しながらも、あえて地を這って迫る。

 喉の奥が灼熱に染まる。だが、ブレスは放たれない。

 熱を溜めたまま首を振り下ろし、頭部そのものがあけぼのへと叩きつけられた。

 質量と熱が混ざり合った一撃。


 あけぼのは弓腕を展開したまま、受けに回る。カーボン製のリブが悲鳴を上げ、表層が赤熱した。

 衝撃で全身が悲鳴を上げた。

 視界が揺れる。過負荷により、駆動系にノイズが走る。演算が、僅かに遅れる、

 溶けた弦を破棄。新たなレイヤーが強制的に上書きされる。


 遅延、0.04秒。

 問題はなし。

 狙いは鱗ではない。眼球、その奥の眼窩。


 瞬間造形された矢が放たれる。

 右腕から放たれた特殊な三次元構造の鏃は瞳を抉り、奥深くへと突き刺さった。


 竜がたたらを踏む。

 刹那、無数の徹甲矢に紛れ、一射の炸裂矢が放たれる。

 矢は脳へと到達し、内部から炸裂する。

 巨躯が地面へと崩れ落ちた。


 太い首と強靭な尾が、麻痺に抗うように虚しく地面を叩いた。

 荒い息に焔が混じる。

 懸命に開かれた唯一の瞳には、恐怖の色が宿っていた。怒りと不信の激情が渦巻いている。

 だが同時に、その瞳は澄み切っていた。

 自らの死を受け入れた、知性に満ちた静かな瞳が、そこにはあった。


 あけぼのの内側で解析不能のノイズが波立つ。

 その正体に意識を向ける前に、竜は完全に動きを止めていた。

——自己診断を実行。異常なし。

 

 竜が完全に動きを止めた瞬間、森はひときわ広く感じられた。

 燃え残っていた焔が息を引き取り、熱で歪んでいた空気が、急速に冷え切っていく。

 あけぼのの聴覚ユニットには、高音域の残響だけが細く残り、やがてそれも減衰していった。


 竜の、唯一残された瞳が空を向いていた。

 閉じられることのない瞼。

 雨粒が表面に落ち、弾かれ、やがて溜まっていく。

 その焔で森すら焼かんとした竜の最後を知るのは、あけぼのと噂する木々以外にいない。

 再び微細なノイズが、微かに波打った。あけぼのは視線を逸らす。


 弓腕が収納される。

 弦は分解され、粒子となって空気中に消失した。

 機構音が途切れ、静けさが、さらに一段深く沈む。


 ——そのときだった。


「……竜、を……」


 掠れるような声。

 振り向くと、倒木の陰に、小さな人影が立ち尽くしている。


 全身が泥と血で濡れていた。

肩や胸を覆う軽鎧は華美な装飾が施され、金糸の紋章が刻まれている。だが戦闘の痕で擦れ、ところどころに小さな凹みや血の染みがある。肩当ての縁は擦れて光を失い、胸当ての装飾も雨で濡れて色を落としている。

 マントは裾が裂け、泥に重く沈み、膝下まで届く布は戦闘で汚れ、光沢は控えめになっていた。


 相手の瞳が大きく見開かれ、次いで震えた。

 恐怖と、混乱。あげぼのは冷静に解析する。


 少女は、再び唇を動かす。するりと手から剣が滑り落ち、泥に沈んだ。


「……竜、を……」


 譫言のように呟かれた言葉は、ほとんど形を失っている。それでも、音としての意味だけは辛うじて保たれていた。


「……ころ、した……?」


 震える声。問いというより、確かめるための響き。

 心拍数の増加、声帯振動の不安定化、表情の乱れ。──精神的負荷、大。


 あけぼのの演算系が、最適解を探索する。

 冗長な説明。感情的配慮。

 いずれも即座に棄却。


 残った解は、一つだけだった。

 短く、正確に。少女の目を真っ直ぐ見つめて。

 ただ、その一言を。


「はい」


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