鍋 【不動静真視点】
●不動静真
吐く息が白い。今日は一段と冷えるのう。
公園から見えるはずの富士山も、灰色の雲が覆っとって影も形も見えん。
「今日は冷えるけえ、柔軟をしっかりやらんと」
「たいぎいのう」
大地がイソベを風除けにしようとうずくまる。
「身体を十分温めんと怪我するけえ、寒い日は特にしっかりやらんといかんのじゃ」
文句を言いつつ大地も、真似してウォーミングアップをはじめる。
身体が程よく温まったら、ストレッチング。
「大地は身体硬いのう」
オレと同じようにできんで四苦八苦しちょる。
「兄ちゃんがおかしいんじゃ。そがいに曲げると、骨がポキっといくで」
「いかんようにストレッチしとるんじゃ」
今年の冬はストレッチングをみっちりやるかのう。身体が硬いと怪我しやすいからのう。
投球練習は最低限に抑えて、屋内競技やコーディネーショントレーニングを増やしたほうがよさそうじゃのう。季節に合わせて練習も考える必要がありそうじゃ。
公園の錆びた鉄棒に隣のおじさんからもらった使い古しの農業用のネットを張って、ボールを投げる。
「よし!」
思ったところに、行った。
だいぶ、世界一速い投手のフォームに近づいてきた気がする。ボールを投げても、前のように暴投にならない。速さもコントロールも、まだ全然じゃけど。
「大地、どこがおかしいかわかるか?」
「投げる動作が遅いの。あと、足が上げよる時ふらついとるの」
ようしゃないの。大地は……
「……回旋スピードが足りてないっちゅうことか。体幹バランスもあかんのじゃな」
「ほうじゃ」
身体づくりは時間がかかる。急にできるようにはならんことはわかっとるが。
……道のりは長そうじゃ。
「次は大地が投げる番じゃ」
大地にボールを渡すと、オレと同じように構える。
どんな感じになるかのう。まだ、大地になにも教えとらんが、オレの投球フォームを真似して練習はしとるけえ、少しは……
大地が投げると、暴投にならずにネットに収まる。
「なるほどのう。投球動作が遅く、ふらついとるのぅ」
オレもこんな感じなんかのう。
前よりは、それらしくなっているが、目標とする投げ方には程遠い。
無理に力いっぱい投げると身体に無理が行って怪我しそうじゃのう。
それでも前進はしちょる。
ここから細かい調整を続けて、フォームを完璧なものにしていく。
腕の力に頼らず遠心力で投げる。そのためには筋力と柔軟性とバランス感覚。多くのものが必要じゃ。
「のう、兄ちゃん」
「なんじゃ?」
「兄ちゃんは、野球チームには入らんのか?」
「ん?大地は入りたいんか?」
「ワシはああいう窮屈なんは好かんけえ、入りとうないの」
大地はそうじゃろうなぁ。子供の世界は残酷じゃ。仲良くできんもんには容赦ない。
「投球練習ばっかりで、兄ちゃんはつまんなくないんか?試合したいと思わないんか?兄ちゃんなら野球チームに入れば、大活躍できるじゃろ?」
「……野球チームかぁ。オレも入る気はないのう」
クラブチームに入れば試合で勝利することが優先になるじゃろう。身体づくりを優先する時期に、野球漬けになるのはむしろ成長の妨げになる。スポーツクラブは指導者の言うことが絶対じゃ。子供の意見は通らんじゃろう。オレの理想とすることができんなら意味ないどころか、阻害要因にしかならん。
「……オレはのう。野球がしたいっちゅうより、世界一速い球が投げたいんじゃ」
まあ、正確には、オレじゃなく、大地に世界一速い球を投げさせたいんじゃがの。
「世界一速い球?」
「かっこええじゃろ?170キロ越えの球を投げるピッチャーじゃ。誰も打てん」
世界一速い球を投げるピッチャーになったら、大地のことを誰もが認めることになる。
「そうじゃのぅ。世界一は、かっこええのう」
大地がオレを見てニィっと笑う。オレが投げると思っとるんじゃな。
「大地も一緒に目指してみんか?世界一」
オレが必ず世界一にしたるけえ。
「ワシもか?」
「そうじゃ、兄弟そろって世界一じゃ」
オレの言葉に、大地がうれしそうに笑う。
「兄弟そろって……。ええのう」
「よし!決まりじゃ」
大地がやる気になってくれたら、あとはオレの仕事じゃ。
柔軟性、身体操作性、瞬発力、アスリートに必要なもん全部そろった身体に作り上げちゃる。
最新の知識を仕入れて、最も効果的な練習方法を成長に合わせて取り入れていけば、大人になるころには、きっと……
「兄ちゃん!雪じゃ!」
大地が空に手を伸ばし、掴む仕草をしよる。
見上げると、白い綿雪が天からフワフワと舞い降りてくる。
「ほんまじゃのう」
どうりで冷え込むはずじゃ。
「今日は、鍋にするか。温っまるけえ」
「ええのう」
最近、大地はよく食べるようになった。オレも釣られて食べ過ぎてしまうくらいに。
歩みは遅いかもしれんが、一歩一歩、着実に前に進んどる。
焦る必要はない。少しずつ近づけていけばええ。
時間はたっぷりある。




