不動大地
●不動大地
のろまだった。
覚えが悪かった。
周りが簡単にできることも自分にはできなかった。
人の名前や顔を覚えることができなかった。小学校に上がっても100まで数えられなかった。折り紙はいつもグチャグチャで完成したことがなかった。
そんな自分に父も母もいつもイラ立っていたことは覚えている。でも、顔はもう覚えていない。
小学生の時に両親が離婚したからだ。一つ上の優秀な兄だけをどちらも引き取りたがっていたが、兄貴はどちらとも暮らさないと宣言して、オレといっしょに父方の祖父のところに行くことを望んだ。
兄貴はいつもオレの味方でヒーローだった。
●不動大地 小学3年
じいちゃんが暮らす山梨の田舎は、山と湖と畑しかない。退屈なところじゃ。
前に暮らしとった広島も退屈なところじゃったけぇ、あまり変わらんけどのぅ。
人が少ないところは、ええのぅ。
あと、富士山が見えるのもええ。日本一高い山ちゅうのがええ。
富士山がよう見える場所を探すのは楽しいけえ、いろんなとこ歩き回っちょるけど、家の近くの公園がいまんとこは一番じゃ。湖まで行けばよく見えるけどの。観光客が多いけえ落ち着かん。
「みんな、絵の具セットは持ってきましたかぁ?今日は、夢をテーマに絵を描いてもらいます」
「先生!夢って、眠ってる時に見る夢ですか?将来の夢ですか?」
「将来の夢のほうです。将来なりたい職業、やりたいこと、そういう夢を絵にしてください」
「え~、どうしよう。リコちゃんは、なに描くの?」
「どうしようかなぁ。夢はアイドルだけど、描いたらバカにされそうなんだもん」
「俺のぉ将来の夢は、当然、金持ち!」
「あ!いいな。オレもそうしよう」
たいぎいのう。
学校は嫌いじゃ。家でゆっくり、寝てるほうが性に合っとる。
でも、行かんと、兄ちゃんが心配するしのぅ。
「大地ぃ、何、描いてんだよ。グチャグチャでまったくわかんねえ」
「すげえ、ヘタクソぉ」
いつまで絵を描いとれば、ええんじゃろ?もう塗るところあらへん。
図工の授業はたいくつじゃ。
「やめろよ。そういうこというの」
「はあぁ?芦崎ってすぐに、いい子ぶるよなぁ」
天気ええのぅ。こげな日は、散歩日和なんじゃけどのぅ。
富士山がよう見えるけえ。湖の散歩道を歩くのが最高じゃ。
「おい!聞いてんのかよ!」
知らん奴が急に肩を掴んで来よった。失礼じゃの。
「っふざけっんな!」
手を払いのけたら、いきなり殴りかかってきよった!
「わりゃ、何しよんなら!」
「ぅっ!っぎゅゃあぁぁ!!」
髪を引っ掴んで顔を殴ると、悲鳴を上げて卑怯もんが床に転がりだしよる。
鼻血が出たくらいで大げさじゃの。
「先生ぇ!不動がー!」
そいつの連れが泣きわめきながら、先生を呼びに行く。やねこいのう。
✼••✼••✼
「ああぁぁ、玲央ちゃーん!」
保健室で教師から事情聴取を受けとると、サルみたいな鳴き声を上げながらおばはんが入ってきよった。鼻血ブーの母ちゃんみたいじゃの。
「玲央ちゃん!ああ、顔がぁ腫れてぇぇ!!先生、どういうことなんですのぉ!!」
似とる親子じゃのぅ。
キンキン声でやかましいところがそっくりじゃ。
「それで?保護者の方はどこなんです?二度とこのようなことがないようにしっかりとぉ」
「不動くんの保護者の方はいらっしゃってなくて……」
「保護者が来てない?!うちの子を怪我させておいて!なんて、まあ、無責任な!」
「金囲くんのお母さん、落ち着いてください。不動くんの保護者は、診療所の先生でして。診療時間には学校に来られないと……」
「……お医者様?この子の保護者が?」
じろじろ見てきていけすかんおばはんじゃ。
先生も先生じゃ。忙しいじいちゃんを呼び出すつもりじゃったんか。じいちゃんはこげなこまいことに関わらんけえ無駄じゃけどの。
早く帰してくれんかのう。もう、飽ぎたけえ。こっそり出て行こうかのう。扉との距離は……
保健室の扉が開いて、誰か入ってきよった。
「失礼します」
「兄ちゃん!」
なして、兄ちゃんが来るんじゃ。
「大地の保護者はオレです。オレが謝りますから……」
ワシの横に並んだ兄ちゃんが、頭を下げようとしよったんで肩掴んで止める。
「何で兄ちゃんが謝るんじゃ。悪いのはアレとワシじゃ」
兄ちゃんが頭下げるのは筋違いじゃ。
……仕方ないのぉ。ワシが話付ければええんじゃろ。話付けてきちゃるわ。
泣いとるびったれの前に行き、目を合わせる。
「卑怯じゃのう。いきなり殴ってきよったと思うたら、母ちゃんの尻に隠れるんか。それでも男なんか?ごろまきもまともにできんなら、はじめからワシにちょっかいなんぞかけんなや。今日のところは兄ちゃんに免じて許したるけどのう。次はこんなもんじゃすまさんけえ」
はらわた煮えくりかえっちょっても堪えて、優しゅう話しかけたんに、鼻血ブーはさらに泣きよった!なんなら!
「なんて!野蛮なあぁぁぁ!!玲央ちゃんに近づかないでええぇぇぇ!!」
けたたましいおばはんじゃのぅ。
✼••放課後••✼
誰もいない公園のジャングルジムの上から、富士山を眺めとると、兄ちゃんが歩いてくるのが見えた。
「大地!キャッチボールせえへんか」
兄ちゃんがどこからか持ってきた野球のグローブを振り上げちょる。
遊び相手がいなくて暇なんじゃろな。
ところどころ草の生えた空き地に立って、兄ちゃんめがけてボールを投げる。
すぐ近くで落ちるボール。何度投げても兄ちゃんのところまで届かない。
兄ちゃんが投げるボールはワシんところに一度もバウンドせずに届くのに。
「もっと、思いっきり投げれば届くけえ」
「無理じゃ」
思いっきり投げとる。それでも届かんのじゃ。
何度投げても同じ。兄ちゃんみたいにはできん。
「オレの真似して投げてみろ。ほら、もう一度」
兄ちゃんはしつこいのぉ。真似しろったって、兄ちゃんとワシじゃあ。
「大地ー!もう一度ー!」
……仕方ないの。……兄ちゃんは、こんな感じで投げとったかのぉ。
こうっ
「よし!ええ感じじゃぁ」
兄ちゃんが満面の笑顔でボールをキャッチする。
何度もバウンドしたけど、兄ちゃんのところまでボールが転がっていった。
「大地は覚え方が他の人と違うだけじゃ。今みたいに、オレの真似してみろ。そうすりゃできる」
そうじゃろか?
「よおし、もう1回!」
兄ちゃんが両手を振って催促してくる。
うれしそうじゃの。
兄ちゃんが楽しいなら、もう少しだけ付きおうちゃるか。