第90話 玉竜会3
スナイパーから二度目の兇弾が放たれた時。
影一は、ごく僅かな時間ではあったが、迷う、という極めて珍しい感情を抱えた。
影一普通は迷わない。
敵は排除し、ルールを守る。
その単純な二択を珍しくブレさせたのは、放たれた弾丸が”察”に引っかからなかったからだ。
魔力遮断性弾丸。
ダンジョンに存在するものは全て魔力を有しており、反響――”察”にて感知することが可能だ。
しかし例外もあり、その一つが、魔力を感知されない特殊な装甲を纏ったアイテムになる。
もちろん、影一は気づいている。
アイテム本体が魔力を隠蔽したとしても、風の揺らぎ、魔力の流れの変化といった微細な情報変化から何が起きたかを理解するのは容易い。
本当に隠蔽したければ魔力を消すのではなく、カメレオンのように背景に溶け込ませなければ意味が無い。
対し、虎子の反応は遅れる。
弾丸が放たれた気配には気づいたものの、対象が”察”せない――”察”する、或いは目視できなければ、彼女のスキル”否定の声”は対象指定不可となり効果を発動できない――
「っっっ!!」
それでも、虎子は迷宮庁に務める一職員。
国民を守るのが、彼女の務め。
ゆえに彼女は影一の前に飛び出し、両手を広げて盾となる。
後衛職である彼女の装甲は、決して堅くない。
それでも民を守らなければ、という正義観が躊躇なく足を踏み出させ――そのせいで、影一の中に二択が生まれる。
虎子を助けるか。
見殺しにするか。
敵に彼女を始末させれば、虎子の厄介なスキルを永遠に葬ることが出来る。
さらに迷宮庁のヘイトは玉竜会に強く向かい、敵組織の壊滅はより速やかに行われることだろう。
理想的な展開だ。
しかし――それでは、気持ちよくない。
影一普通は善人ではない。
己の欲求に忠実であり、ストレスなく日々を過ごすことを是とする男に、人助けの精神など存在しない。
が、だからといって、自分を庇おうとする相手まで見捨てるのは気が乗らない。
根っからの悪人あるいは卑怯者を排除するからこそ、ストレス解消、気持ちよくベッドで熟睡できるのであり。
平和のために尽力している一般人を、ただ合理性のためだけに消してしまうのは、些か、気が乗らない。
ゲームに例えるなら……
健気な女を見捨てれば中程度のレアアイテムが貰えるが、イベント的にしこりが残る。
しかもこれは、リセットが効かない一度限りのゲームだ。
となれば――安心安全ではないものの、ノンストレスの道を行くのであれば――
影一が、すっと手を伸ばし。
虎子の肩を掴み、ほんの少しだけ引いた。
「あぐっ……!」
彼女の肩を弾丸がかすめる。
わざと命中させつつも致命傷は避け、撃たれた証拠の保全、および迷宮庁のヘイトコントロールを両立させつつ、影一は驚いたフリをして彼女に囁く。
「大丈夫ですか。……何者かは存じませんが、狙われているようです」
「っ、すみません、敵の正体がわからず! 影一さん、お怪我は!?」
「いえ。運良く足が滑り、ふらついたおかげで助かりました。幸運に感謝しましょう」
影一が頷き、虎子を引きずるように小部屋へ身を隠す。
強力な遠距離武器であるスナイパーライフルだが、ひとつ致命的な弱点がある。
ダンジョンは迷宮である、という必然だ。
ライフルの性質上、直線および開けた広間でしか射線を確保できず、室内に逃げられると戦闘の継続が難しい。
相手が個人であれば、芋る――特定の場所に陣取り、敵が出てくるのを待つ手もあるが、虎子は迷宮庁の職員だ。
すぐさま同僚にインカムで通達、ダンジョン内にスナイパーが潜んでいることへの注意喚起を行えば優劣は一瞬で覆る。
……まあさすがに、相手も逃げ果せているだろうが。
連絡が終わるのを待ち、影一は回復ポーションを彼女に渡す。
「宜しければこちらを」
「いえ。自前のものがありますので。でも、私のお給料が……」
虎子がインベントリからExポーションを取り出し、一気に飲み干す。
Exポーションは貴重品だ。スキルの有用性といい、彼女は迷宮庁でもそれなりの立場にいるのだろう。――味方にしておくに、こしたことはない。
影一は思考をおくびにも出さず、深々と礼をする。
「ありがとうございます、虎子さん。あなたは命の恩人です。この恩、決して忘れません」
「いえ。仕事ですから。……それより、影一さん。私からもひとついいですか?」
「何でしょうか」
肩口の傷を抑えつつ、彼女がふっと笑い。
射止めるように――
「弾丸。見えてましたよね、本当は。……私の助けなんか、いらなかったんじゃないですか?」
「まさか。私はしがないB級狩人ですよ」
「その割にはずいぶん都合のいいカバーでしたね? 私を助けつつ、怪我をさせて証拠を残す」
「偶然です」
ダンジョンの幸運の女神が囁いたのでしょう、という影一の冗談に、虎子がくすっと笑い。
「私、昔のアニメとかよく見るんですけど、とあるアニメに有名な台詞があるんです。――勘のいいガキは嫌いだよ、と」
「台詞だけは存じています」
「ですが私は勘の悪い女なので、とくに何も気づきませんでした。……ご満足頂けましたか?」
「私は別に、鬼や悪魔ではありませんよ。――私の邪魔にさえならなければ、ね」
ネクタイをくいっと正す影一に、虎子はうすく瞳を細め、にこりと微笑んだ。
*
「スナイパー、応答しろ。さっさと逃げろと……!」
剛翼の声に、しかしスナイパーは無言。
逃走中か、それとも――と苛立ちながら待つと、返ってきたのは。
『貴様が黒幕か?』
「っ……」
ぞくり、と肝が冷える声。
静かな。けれど強い怒りを秘めた男の声が、剛翼の脳髄をぐらりと揺らす。
『うちの虎子を傷ものにした落とし前、必ずつけさせてやる。――覚えておけ』
それだけを言い残し、通話は、途切れた。




