第88話 玉竜会
やはり彼女は目がいいな、と、影一は弟子の戦闘を見ながら感心していた。
綺羅星の身体能力は、一般狩人と比べてそう高いものではない。
運動はもともと苦手なのだろう、動きがぎこちない所もあるし、反射神経もさして高くないというのが率直な感想だ。
が、それを補ってあまりある視野の広さ――”察”の範囲。
綺羅星はとにかく、敵に対する観察力が異様に高い。
……推察だが、彼女は学校で、あるいは自宅で、他人の悪意や面倒事に晒され続けてきたのだろう。
他人に対する警戒心の高さが、人間不信ぶりが、彼女の感知能力に磨きをかけている。
さらに善意の名のもとに抑えつけられてきた悪意――怒りと苛立ち。憤怒と殺意。
本質的な、苛めっ子気質。
そういった感情がブレンドされ、同時に冷静な観察力を持つからこその戦闘センス。
社会に出ればいずれ破綻しそうな人格も、ダンジョンなら十二分に活用できる。
「さて。弟子の観察もほどほどに、私も面倒事を片付けますか」
弟子の戦いを、師匠が邪魔してはならない。
影一がわざわざフロアの南西、人気のないエリアを選んだ理由は……おっと。
靴紐がほどけましたかね?
と身を屈めるフリをし、頭上を掠めるナイフを回避。
お礼ですよ、と拾った小石で指弾を飛ばし、十字路の角に的中させる。
爆破音とともに、生命反応がひとつ消えたのを確認したところで――
影一の前に、のっそりと熊のような男が姿をみせた。
柔道着のような白服に、場違いなはちまきをつけた巨漢。
浅黒い肌を自慢げにさらし、己の筋肉を誇示するようにがははと笑いながら正拳突きのモーションを見せる。
「お前が影一って男で間違いないな? 俺様の名は、チャンプ! 今からテメェに一対一、正々堂々の決闘を申し込むぜ!」
「…………」
影一は無視してスマホを取り出す。
「おいテメェ、無視してんじゃねえよ!」
影一はやっぱり無視して、スマホを弄る。
*
チャンプを無視する影一をカメラ越しに眺め、強がりな男だ――と、剛翼星雄は赤ワインを揺らし、にたりと笑った。
リトライズ社長、剛翼がくつろぐのはマイホームの一角にあるシアタールームだ。
ダンジョン配信に興味はないが、彼にも趣味の一つくらいある。
狩人同士による、本物の対人戦だ。
モンスター、等というつまらない敵ではない。
人同士の命を賭けた闘技。それもルールに則ったものでなく、あらゆる手を用いて敵を倒す、生死を賭けたバトル――それを安心安全な立場から眺めることこそ、剛翼の楽しみだ。
趣味が悪い?
だから何だ。悪辣で何が悪い。金で女を買うのと何が違う?
安全地帯から馬鹿共の悲鳴を楽しむ、それもまた一つのエンターテイメント。
もしこれを悪と呼ぶなら好きに呼べ。
俺は悪人でいい。
むしろ、悪を悪と知りながら楽んでこそ強者だろう、と剛翼は笑う。
男の名は”チャンプ”。
元はプロボクサーらしいが傷害事件を起こして逮捕。釈放後もあてのない生活をしてたところを、玉竜会に拾われたと聞く。
おい、とチャンプがグローブをつけた拳を向ける。
『男のくせに、サシの勝負を断ろうってのか? あ?』
『はい。お断り致します』
影一は当然のように拒否。賢明な判断だが、一足遅かったな。玉竜会と顔を合わせた時点でアウトだ。
風見鶏のヤツ、今回は尾行という仕事をきちんとこなしたらしい。
影一のやつが今、何のクエストに従事してるかは知らないが……
予定通りであれば既に”チャンプ”以外の刺客もヤツの側に潜んでおり、逃げれば背後からズドン、だ。
怯えろ。そして俺に恥をかかせたことを後悔しろ。
迷宮庁に余計な通報を行い、うちの事務所を荒らしてくれた礼をしなければ、剛翼の気が済まない――
その上で許しを請うなら、俺の配下にしてやってもいいぞ……?
『どこのどなたか存じませんが、私は現在業務中の身につき、雑務に応じる暇がございません。つきましては、お引き取り頂けませんでしょうか』
『あぁ? んなことより大事なことがあるだろ? おい』
『ありません。クエストを無視して戦闘を行うなど、無駄以外の何者でもありませんので』
ん……何だ、この杓子定規すぎる返事は。
言い訳にしては不自然なうえ、怯えた様子もない。
まるで日常の一コマ、今からコンビニに向かうかのような気軽さだ。
しかし、ダンジョンでは力が全て。
一対一の戦闘において、チャンプに勝てる者などA級冒険者くらいしか存在しない――
『御託はいい。テメェがかかってこないなら、俺から行くぜ?』
『……畏まりました。ではせめて、横やりの入らない隣の小部屋でやりませんか? 一対一をお望みでしょう』
『いいぜ、受けてやる! 正々堂々勝負だ!』
『では、迷宮庁より頂いた地図アプリを参考に……私から見て二つ北方向の右手、宝箱のある部屋でどうでしょう?』
おうよ、とチャンプが先んじて小部屋へ入る。
水族館のような壁に囲まれた室内、中央にぽつんと宝箱が一つだけある空間は、確かに一対一の決闘に向いている――
バタン
背後で物音。チャンプが振り向く。
カメラも回転し、扉を見れば――閉じていた。
『あ? おい、決闘は、』
チャンプが呟いた直後。
中央の宝箱が突然開き――複数の、細長い触手が飛び出してきた。
ぬめぬめとしたてらつく触手の先、宝箱から現れたのは巨大な食人植物モンスター”ラフレシア”だ。
宝箱に擬態するため、ミミックフラワーとも称される化物。
毒々しい五枚の花びらをつけ、触手で捕らえた獲物を中央に開いた口でがぶりと飲み込む、配信業で見たくないモンスターランキング上位に名を連ねる化物である。
うおお、とチャンプが悲鳴をあげ、
『何だこいつ、畜生ハメやがったな! だが、俺がこんなもんで負けるかよ――』
吠えた直後、プシュー、と煙のような音。
何だ、とチャンプが振り向けば、床に置かれた空き缶のようなものから、白い煙が充満し――カメラが白煙に染まっていく――
『ガスだと!? てめっ……ふざけっ……』
『小部屋のゴキブリ退治には定番です』
『い、一対一、男の勝負にこんなもん――卑怯、な……』
『勝負をお引き受けする理由がありません。そもそも勝負を断り辛い状況に追いやり、その上で一対一を申し込むなど卑劣にも程がある。正々堂々、の意味を辞書で調べ直してくることをお勧めしますよ。――生きていれば、ですが』
…………。
剛翼は。
カメラが真っ白に染まる中、筋肉ムキムキ男があられもなく触手に絡め取られ捕食される様子を、大迫力のシアタールームで見せつけられ……。
うえっ、とワインを吐きそうになった。
……ふざけやがって、あのリーマン野郎!
チャンプもチャンプだ、間抜けな罠に引っかかりやがって!
「役立たずが! だがっ……!」
通信相手を切り替える。
今回派遣したと聞いた刺客は、三人。
格闘家”チャンプ”、ナイフ使い”デビル”、狙撃手”スナイパー”。
チャンプが駄目なら、デビルを使えばいい――それだけのこと。
「おい、デビル。チャンプがはめられた。様子見はもういい、お前がやれ」
『…………』
……?
応答がない。どうした?
そういえばチャンプと戦う前、ピピ、とヘンな電子音が聞こえたような気はしたが……。
通信機の故障か?
くそ、こんな時に、と訝しんだ剛翼の耳元で、
『こんにちわぁ。私、影一普通という、ごく平凡な元リーマンにございますが』
「っ……!」
『失礼ながら、私の安心安全を脅かす不届き者は、こちらの通信先でお間違いありませんか?』
ぞわぞわと、耳の裏をはいずり回るような……ねっとりとした声とともに。
デビルの視界カメラ……シアタールームの画面いっぱいに。
眼鏡をかけた陰気なリーマンの顔が、ぬるりと……
決して見てはいけないホラー映画のように、のっぺりとした顔をでかでかと張り付けるように覗き込み――
視線が合う。
なぜか、はっきりと見られた……気がして。
ひっ、と剛翼の手が震え、ガチャンと音を立ててグラスが傾き、赤ワインが血のように絨毯へと染み始めた。




