第85話 戦闘準備
迎えた翌日――
A級ダンジョン“海底水晶洞”に足を踏み入れた綺羅星がまず見惚れたのは、アクアリウムのようなダンジョンそのものの美しさだった。
海の底を歩くかのような、敷き詰められた砂利と珊瑚の欠片がならぶ通路。
見上げれば壁一面から天井まで続く海色の壁面が並び、たまに壁の中をふよふよと鮫のような魚影が横切っているのが見える。
海の中に、空気の道が通れば、こんな景色になるのかも……と思うような。
「水族館を思い出します。ダンジョンって本当に不思議ですね」
「”海洋”ステージですね。観光地として解放されたら、さぞ人気になるでしょう。と言いたいところですが、壁のなかを泳いでいる魚は”ウォールシャーク”といい、不意打ちで飛びかかってくるのでご注意ください」
「……そんなモンスターもいるんですね」
「”海洋”ステージ自体、”平原”や”森林”、”洞窟”ステージに比べて難易度が高めな傾向にあります。”雪原”よりは下ですが、ご注意ください」
警戒する綺羅星を横目に、影一は転移用ワープホールから続く通路を進む。
A級ダンジョン”海底水晶洞”は全5層にも及ぶダンジョンだが、迷宮庁により配布された転移石のおかげで、最初から5階スタートだ。
あとは単にボスを目指すだけ、ではあるが――
その彼等の前に立ち塞がるのは、本迷宮5階フロア独特の構造だ。
まるで碁盤目のように、縦横きれいに区切られた通路。
それぞれの通路の合間には扉があり、いずれも小部屋に繋がっている……通常のダンジョンにおける迷路とは全く異なる、奇妙なフロアだ。
「迷宮庁より説明がありました通り、五階層はボス専用フロアになっています」
「はい。……ボス”マザースフィア”が爆発後、分裂体が各小部屋に逃げ込むんですよね」
「ええ。それを各個撃破するのが我々の役目です。……さらに注意点として、各小部屋にはギミックが仕掛けられています」
何もない部屋もあれば、宝箱がある部屋。
宝箱に擬態した罠が設置されている部屋もあれば、入ると閉じ込められる部屋もある。
また多くのボス戦が小部屋で行われる以上、外部の救援を受けにくい欠点もある。
少なくとも分裂体をソロで倒せる程度の実力がなければ、戦いは厳しいものになるだろう。
綺羅星が、ぐっと拳を握る。
「……先生。私に、出来ますか?」
「仕事でしょう?」
影一が笑い、ああ、これは出来るのだなと綺羅星は頷く。
彼はスパルタだが、出来ないことは任せないことを、いまの綺羅星はよく知っている。
「とはいえ、ダンジョンに事故はつきもの。念のため、綺羅星さんにこちらのポーションをお渡ししておきます」
はい、と手渡されたのは青色のポーションだ。見たことがないけど……。
「先生、これは?」
「”ガッツポーション”。使用後、一定時間であれば敵の致死ダメージを受けても耐え続けるアイテムです。実は結構なレアアイテムですよ? 万が一の時はそれを使って耐えてください」
「わかりまし……いや待ってください先生!?」
それ、耐えても残り魔力ほぼゼロですよね。
どう見ても瀕死状態ですよね?
「ご安心を。命は助かりますから」
「命しか助かりませんよね!? 瀕死のままひたすらボコボコに殴られてる状態ですよねそれ!」
完っ全に、私がやられてるシチュエーション想定してる……!
ひええ、とかつての氷竜戦のトラウマを思い出して震える綺羅星。
あの戦いは心の教訓にはなったけど、正直、二度と思い出したくない。死ぬのも痛いのも勘弁だ。
「っ――使うような状況にならないよう、頑張ります」
「是非。でも必要なときは、臆せず有効活用してくださいね」
「絶っっっっ対、使いませんから!!! 大体なにが”ガッツ”ですか、ダンジョンって気合いで何とかなるものじゃないですよ先生ぇ……」
くうぅ、と涙目になりながら綺羅星はインベントリに収納。
使わない。
使いたくない。
ていうか、これ使うときは確実にろくでもないことが起きている――ああ、想像するだけで嫌すぎる……。
「では、我々もボス部屋へと向かいましょうか」
影一に誘われ、綺羅星は涙目になりながらも先生の後を追いかけた。
*
中央広間に顔を出すと、入り口前に迷宮庁の職員――後藤と虎子を含めた十名ほどが揃い、戦闘準備を整えていた。
さらに後方には、べつの迷宮庁職員およびクエスト参加者らしい狩人達が陣取っている。
彼等からも距離を取り、影一とともに最後方に立った綺羅星は遠目でボスを観察。
未行動状態のまま沈黙する”マザースフィア”を見て、ぶるりと震える。
「でっか……強い……!」
直径およそ五メートルはあるかと思われる、星型の物体。
全身を灰色の殻に包み、ふよふよと浮遊している様は一見ただのオブジェだが、近づくと即座に反応、小型スフィアを排出し爆撃をばらまいてくる、らしい。
――遠目でもわかる。
綺羅星が本体と戦う予定はないが、もし真っ向勝負したら……確実に消し炭だろう。
「綺羅星さん、改めて復習です。我々の役目はボスとの直接対決ではなく、ボスが自爆したあとに出現する、小型のマザースフィア分裂体の追跡および討伐です。よって最初は待機し――」
「おおっと!」
説明している影一に、どん、と横から男がぶつかってきた。
男の手のコップから液体らしきものが零れ、影一が回避するのが見える。
現れたのは白銀の鎧に、同じく白銀の盾を装備した大男だ。
三十代後半……にしてはだらしなく笑い、輝くハゲ頭をてからせながらニヤニヤと気持ち悪くこちらを観察している。
「悪ぃ悪ぃ、通行の邪魔になってなあ。……お? お嬢ちゃん大丈夫かい、こんな所でぼーっとして。何なら俺が守ってやろうか?(笑)」
「……失礼ながら、人にぶつかったらまず謝罪するのが筋では?」
「おっと、オッサン怒った? 悪気はなかったんだよ。でさ、お嬢ちゃん。謝る代わりに俺があのボスの続きを説明してやるよ」
ぐへへ、とくさい息を吹き付けてくる白銀鎧の男。
あ、俺の名前、須国獅沼雄っていうんだ。獅子の沼の男、格好いい名前だろう?
聞いてもないのに自己紹介する男。距離を取ろうとする綺羅星だが、男は構わず喋り続ける。
「あいつは”マザースフィア”。ヤツは困ったことにダメージを与えると爆発して分裂するのさ。で、俺はその分裂した時に出るドロップアイテムをこっそり頂くって寸法よ。迷宮庁の連中は戦闘で手一杯だからな、そこが狙い目ってワケ」
「え……倒さないんですか? 正規のクエストなのに」
「お? 嬢ちゃんもしかしてクエスト参加者かぁ? んーダメダメ、迷宮庁のクエストなんて儲けの悪い仕事受けちゃあダメ。うまーく利益をかすめ取るのが上手い生き方ってもんよ」
オッサンじゃその辺わかんねーだろうな~、と。
影一を馬鹿にする男に、綺羅星は「ダンジョンってこんなのばかりなのかな……偶然……?」とぶつぶつ呟き、
「先生に謝った方がいいと思います……手遅れですけど」
「え? 何キミ、このおっさんに脅されてんの? 悪いおじさんだなぁ、じゃあ俺が成敗しちゃおうかなー」
綺羅星が諦めたその時、スマホのアラームが鳴る。
時間だ。
フロア中央へ目を向ければ、迷宮庁の職員の一人が腕をあげるのが見える。
その腕が振り下ろされると共に、迷宮庁の組んだパーティがボスフロアへ突入。
マザースフィアへの攻撃を開始し、
「――え」
綺羅星は、己の目を疑う。
先頭に立つ後藤の姿が、ふっと消え――ボスの真正面に出現する。
視界に捉えることすら、出来なかった。
※作者から盛大なネタバレ
ガッツポーションを使う時はろくでもない状況になってます、間違いない




