第81話 思惑
「一応試してきましたけど……後藤先輩、あれで良かったんですか?」
迷宮庁、治安維持課のデスクに戻ってきた虎子に、後藤は申し訳なさを滲ませながら缶コーヒーを差し出した。
Re:リトライズと影一の確執、それに重なるタイミングで郵送されてきた”玉竜会”構成員リスト。
その関連性について、スキルを用いて調査しろ――と、直接の上司である後藤をすっ飛ばして虎子に指令が下った。
後藤としては面白いはずもないし、情報部に対する不信感もあるが……依頼をそのまま断るのも角が立つ。
しょせんは俺も公務員かと溜息をついていると、虎子が心労を察したようにふふっと笑った。
「別に、仕事なので構いませんけど。……ただ、先輩。影一さんを疑う理由ってありますか? 彼はリトライズから迷惑を受けてる側ですし、表向きは普通のB級狩人です。そもそも一般人が反社組織のリストなんて持ってるはずないですし」
「俺もそう考えて、ネズミに問い合わせてみたが……やつも複雑な表情をしていたな」
ネズミとは情報部に所属する、文字通りネズミ顔の男だ。
本名は不明。
何かと疑り深い性格で、後藤との相性ははっきり言って悪いが、実力は確かだ。
そのネズミに尋ねた所、信憑性が全くないわけではないが……と、茶を濁したような返答が返ってきた。
「どういう意味でしょう?」
後藤は周囲を伺う。
治安局の事務室は本来もっと騒がしいものだが、作戦準備のためか人気はない。
ノートパソコンを開くふりをしながら、ふむ、と。
「虎子。これは俺の独り言だが……”雪原氷山”の一件を覚えているな」
先日発生した鳴度8.3の異常振動事件について、迷宮庁は未だ何一つとして情報を得られていない。
地下にいたボスを倒したのは、何者なのか。
ダンジョンを切り裂くほどの大穴を開けたのは、誰なのか――唯一の証人であった九条は入院中だが、話を聞き出すのは難しいだろう、とのことらしい。
「その九条と、最後に揉めていたのが彼、影一だ。そして迷宮庁の上層部は、”雪原氷山”事件について深い憂慮を示している」
「……あー、読めてきました。つまり“雪原氷山”の一件の犯人が分からなすぎて、でも上から、何がなんでも突き止めろ、と情報部に圧がかかった感じです?」
「情報部としても建前上、なにもしない訳にもいかない。そこで、九条と一番最後にトラブルを起こした影一に目をつけ、難癖をつけたという流れらしい」
「やっつけ仕事ですね……しかも、玉竜会の話だなんて遠回しな形で」
「影一氏が何も知らなかった場合、そもそも”雪原氷山”の単語すら口に出来ないからな。遠回りに聞くしかあるまい」
「……それ、情報部もやる気出ませんよね?」
「ああ。でなければ、虎子に直接命令する、なんていう杜撰な手は取らん」
虎子の固有スキル”否定の声”は使い勝手のいいスキルだが、魔法の道具ではない。
元々デバフ効果は低めなうえ、複雑な命令になればなるほど効力は薄くなる。自白など、油断してなければ早々かかるものではない。
上層部の無茶振りに、中間管理職が断り切れず、仕方なく部下にそれっぽい仕事をさせる――結果、労力だけ費やして誰も得をしない。
徒労もいいところだ。
――と、後藤も思っていたのだが。
「……とはいえ、ネズミは別の意見を持っているようだ。影一普通を完全にシロとは見れない、とな」
「そうなんですか? 影一さん、私が見た限りふつうの人に見えますけど……」
「普通すぎるからおかしい、というのが、ネズミの直感らしい」
実力ある狩人には例外なく、性癖……己の魂、”根源”がある。
独自の戦闘スタイル、と言っても良いだろう。
後藤であれば、曲げようのない鋼鉄のような実直さ。
虎子であれば、本人に直接聞いたことはないが――他者を従わせ独占したいと願う、薄暗い渇望。
「が、彼からはそういった気配を全く感じない。強いて言えば、武器を複数使い分けるのが珍しい位か」
出現モンスターに合わせて武器を変える狩人は、実はそこまで多くない。
使い分けてもせいぜいサブ武器を含めて三種程度であり、出現するザコに合わせ毎回装備を変えていくのは、コスパの面から考えてもあまり取られない方法だ。
その性質のせいで、影一の得意武器すらいまだ不明――
逆にいえば、そういった道具を扱うことで”根源”を隠している可能性は、なくもない。
「そういった複数の思惑が絡まって、虎子に調査命令が出たと俺は見ている。正直、すまなかった」
「なるほど。……で、後藤さんは影一さんの調査に反対の立場なんですよね? わざわざ邪魔したわけですから」
虎子がスキルを発動することを、影一に事前に知らせたのは後藤だ。
事実上の職務違反であることは、後藤も理解しているが……。
「責任は俺が取る。情報部に聞かれたら、俺が邪魔をしたと言っていい。……そもそも影一氏は、迷宮庁のクエストに参加してくれる協力者だ。その彼に対して一方的な疑いをかけることは、失礼にも程がある」
「建前ですよね?」
「建前ではあるが、本音でもある」
後藤は不義理を好まない。
……が、理由はそれだけではない。
「これは俺の直感だが……あの男には、現時点で敵意を見せない方がいい、と思ってな」
理由は自分でも説明できないが、狩人としての直感がそう告げた。
何を馬鹿なことを、という者もいるだろう。しかし直感とは、言語化できないけれど自分の数多の経験から導かれる回答――本能の警鐘と言ってもいい。
それに耳を傾けられない人間は、いざという時に致命的な選択ミスをするだろう。
「ネズミは、影一と面と向かって会話をしたことがない。故に、リスクを軽く見積もりすぎていると俺は見た」
「そこまで……ですか?」
「分からん。俺の勘違いの可能性もあるが、その時は素直に謝るさ」
勘違いですむなら、別にいい。何事もなく笑い話で終わるだけだ。
が、もし影一が本当に”雪原氷山”の一件に関わるような人物であれば、そもそも虎子のスキルなど役に立たず、逆に虎子の命が危険にさらされかねない。
であれば最初から、影一に伝えておいた方が安全だ。
「一芝居、付き合ってくれ」と。
……彼に礼をする意味でも、リトライズの件は早急に対処せねば。
「すまんな虎子。お前には面倒臭い立ち位置を押しつけてしまった」
「構いませんよ。お仕事ですから」
「だが、虎子は俺の後輩だからな。上司を飛び越えて、後輩に勝手な指示を与えられることは気に食わん」
ネズミにもそう返事をするつもりだ。
そもそも情報を集めるのが情報部の仕事だ、うちの隊員を使って横着するなといえば筋は通るだろう――と、後藤が当然の怒りを燃やしていると。
虎子がくい、と後藤の袖を引いた。
ん? と見れば、彼女はちょっと照れくさそうに頬をかきながら、ぼそりと。
「……先輩。それって私が後輩だから、怒ってくれてるんですか? それとも、私が可愛い女の子だから怒ってくれてるんですか?」
「? 後輩だからに決まってるだろう」
「デスヨネー」
はいはい知ってました、となぜか不機嫌そうに缶コーヒーの蓋を開ける虎子。
が、後藤はなぜかふて腐れはじめた彼女を横目に――仮に相手が虎子でなければ、自分はここまで怒っただろうか?
なんて、らしくない考えを、ふと抱き。
……気のせいだろう、と首をふるりと振りながら、改めて彼女に命じた。
「次からは情報部の命令があっても、必ず俺を通すよう伝えろ」
「了解しました。先輩以外の言うことは聞きませんし、先輩の言うことなら何でも聞きます。……何でも、です」
「その言い方はやめろ」
別の意味で聞こえかねないだろうが、と叱ると、虎子がちろっとイタズラっ子のように舌を出した。
その仕草が妙に可愛くて。
まったく――有能な後輩は、ちょっと自覚が足りないなと呆れながら、次の仕事に取りかかることにした。




