第77話 身勝手
「妹屋さん、大丈夫でしょうか……」
「心配だけど、私達にできることはありません。いまは、無事を祈りましょう」
「……私、ダンジョンの低層ってもっと安全に遊べる場所だと思ってました。なのに、こんな事件が起きるなんて」
S級ダンジョン”凪の平原”を出た帰り道。
ショックを受けているらしい城ヶ崎を支えながら、綺羅星は駅地下にあるカフェを訪れていた。
精神的に滅入っている彼女のためにアップルティーを注文しつつ、それにしても、と綺羅星はひとつ息をつく。
「犯人には、逃げられてしまいましたね」
「……はい。ダンジョンとは、本当に……厄介なところなのですね」
城ヶ崎の連れていた職員達とともに現場に駆けつけた時、カザミは既に姿を消していた。
蝶の間の奥にはちょうど、地下2階へと続く別口の階段もある。そちらに逃げられてしまうと、追跡は困難だ。
城ヶ崎と同伴してきた職員に、カザミの犯行であることは告げた。
が、証拠がないので逮捕は難しいかもしれない。
あらゆるダメージや物質が魔力に変換されるダンジョンでは、腕を切られても血は出ない。ある程度の怪我をしても立ち回れるという意味でもあるが、証拠が残りにくいという意味でもある。
レコーダーが必要なわけだ、と、ダンジョンの怖さを再認識しつつ――
「…………」
だからこそ殴りがいのあるボディだった……と、手の甲をさすりながら心の中でくつくつと笑う。
城ヶ崎をカフェに案内したのも、先の感触をゆっくりと思い出したかったからだ。
ついでに落ち込んでいる城ヶ崎を見て愉悦に浸りたい、という気持ちもあり、今の綺羅星は大変にご満悦だ。
……ああ、本当に気持ちよかった。
もう一回やりたいなあ。
でも、美味しいアイスを二日続けて食べると飽きちゃうように、少し時間があった方がいいのかも……?
「すみません綺羅星さん。綺羅星さんのほうがショックだったはずなのに、私のほうが落ち込んでしまって……」
「いえ。私こそごめんなさい、突然のことで慌ててしまって」
大丈夫よ、と彼女を励ます演技をしながら、……これで彼女も、ダンジョンの恐ろしさは理解しただろうと思う。
そしたら、綺羅星の仕事に対する理解も……
いや。逆に、ダンジョンに入るなと諭してくるか?
それは面倒だ、と眉を寄せる綺羅星のポケットで、スマホが震えた。……先生?
『平日の夕方に失礼します、綺羅星さん』
「珍しいですね、直接お電話なんて」
『ええ。急な要件で申し訳ありませんが、じつは緊急度の高めなクエストが入りまして』
え。掃除屋での急な仕事というと……ゲートクラッシュ案件?
でも、ゲートクラッシュ級の事件は迷宮庁の管轄で、掃除屋の仕事ではなかったはず。
『じつは迷宮庁より急遽、明後日に行われる大規模掃討クエストへの参加協力を依頼されました。そのための会議が、今から一時間半後に行われるのですが、時間があれば出席しますか?』
時間外勤務は私の主義に反しますがと言われたものの、綺羅星はふたつ返事で了承する。
迷宮庁の緊急クエスト、しかも、先生が時間外に呼びつけるとなれば相当な内容だろう。
やりたい。是非やりたい。
いまの綺羅星は血がたぎっているし興奮している。
友達ごっこはもう十分。
モンスターととにかくやり合いたい気分だ――
たぎる心臓を、いけない、とひとつ息をついて諫める。
焦りは厳禁。掃除屋はいつだって冷静でなくては……。
「出席します。そちらに向かえば宜しいですか?」
『いえ。まだ時間はありますので、駅付近にいて頂ければ大丈夫かと』
了解しました、と一旦通話を切る。あとは先生を待つだけ。
今日は本当に楽しい日だ、と、綺羅星は放置していた城ヶ崎に会釈をする。
「すみません城ヶ崎さん。先生から急ぎのクエストが入りまして」
「え。……あんなことがあったのに、今から仕事ですか?」
「ダンジョンは生き物なので、そういうこともあります」
人命のためですから、と、それっぽいことを口にしつつ席を立つ綺羅星。
……が、なぜか彼女にぐいと袖を掴まれた。
「綺羅星さん。今から、その先生に会いに行くのですよね?」
「そうですけど……何か?」
城ヶ崎はすこし考えた後、ぐっと力強く顔を上げ――
「私も、綺羅星さんについていっていいですか」
え、と戸惑う綺羅星に。
城ヶ崎はきれいな唇を堅く結び、眉を逆ハの字に歪めてこちらを力強く睨んできた。
絶対に逃がさない、とばかりに。
*
……結局、振り切れなかった。
というより彼女が手を離してくれなかったので、渋々先生に連絡したところ、時間もあるのでと快諾されてしまった。
断ってくれれば、体裁も立つのに。
しかも残念なことに、迷宮庁主催のミーティングに使われる会場は駅近くのタワービル。
綺羅星のいるカフェは待ち時間を潰すのに丁度よいと言われ、先生がわざわざこちらに来てくれることになってしまった。
……綺羅星としては、出来れば顔会わせたくなかったのだけれど。
なんて意識が通じるはずもなく、影一はあっさり現れ城ヶ崎と対面。
相変わらずぴしっとした背広に、インテリ眼鏡。
平時と変わらずネクタイを締めた姿は、フリーランスにもかかわらずどこにでもいるサラリーマン風だ。
そこがまた格好いいんだけど、……とは、口には出さない。
「突然のご連絡、申し訳ありません綺羅星さん。それと、城ヶ崎さん、でしたか。初めまして。影一普通と申します」
「こちらこそすみません、突然お邪魔してしまって。城ヶ崎河合と申します。……お代は、私の方で持ちますので」
「大人の身で高校生に奢られるのは初ですが、断るのも逆に無粋でしょうか」
では失礼して、と影一が城ヶ崎の対面に腰掛け、うめ昆布茶を注文。
綺羅星は代わりに城ヶ崎の隣へ席を移しつつ、追加でアップルティーを注文する。
全員のカップが揃った頃、隣を覗くと。
城ヶ崎が、ぐっとスカートの下で拳を握ったのが見えて、……嫌な予感。
彼女は何を目的としているのだろう?
という懸念は、……綺羅星のもっとも苦手な形で的中してしまう。
「突然の話で、申し訳ありません。……お願いがあります、影一さん。綺羅星さんを、掃除屋の仕事に参加させるのを止めて頂けませんでしょうか」
「……は? え、ちょっと何言ってるんですか!?」
この子、また勝手なことを――私なんにも言ってないのに、本当に……っ!




