第56話 ベヒモス2
足下に浮かぶ、複数にまたがる円形の光。
それを目の当たりにした影一は、素早くフィールドを見渡した。
複数に重なる光の円は、敵の攻撃そのもの――ではなく、攻撃範囲を示した予報円だ。
影一は最後に出現した光の円へ、音もなく滑り込んだ。
直後、最初に出現した円を破壊するかの如き強烈な落雷が、轟きとともに降り注ぐ。
フロアを埋め尽くす程の目映い閃光。
それに臆することなく、影一は出現した円を滑るように渡り歩き、最後に円の外へと脱出する。
「なるほど。現実でこの攻撃を受けると、意外に厄介ですね」
超範囲攻撃”雷怒”は、指定した円形範囲に落雷を降り注ぐもの。
足下を見ていれば予測可能ではあるものの、戦闘に気を取られ足元を見逃してしまえば、一瞬で落雷の餌食となることだろう。
ただでさえ、真正面から飛び交う熱閃や針に気を取られるのだ。
足元というのは意外に盲点でもある。
今後、綺羅星が対峙することがあったら注意喚起をしよう、と影一はひとつ学びを得ながら再びクロスボウを構え、――そういえば二本、弦が切れていたなと思い出す。
残り三本。まあ戦えない訳ではない。
さて、と狙いを定めるのは、雷攻撃を終えたベヒモスの角。
熱閃攻撃や針攻撃と同じく、攻撃を行った部位は柔らかくなる――最大のチャンスだ。
影一はすかさず魔力の矢をつがえ、淡々と、ただの通常攻撃を積み重ねていく。
通常攻撃。
通常攻撃。
無心でひたすらに、敵の角をへし折るべく魔力弾を放ち続ける。
再び動き出したベヒモスの口元に、ジジ、と熱が集束する。
直線状の熱閃が放たれるも、影一は同じように横へと回避。
降り注ぐ針山を盾で防いだあとは、きちんと空を飛びふたたび通常攻撃。
その戦いはまるで、心ない機械のよう。
派手な殺技もなく、淡々と同じ攻撃を繰り返す背広姿は、ある種異様な――だが影一にとっては分かりやすい、最適解の戦闘だ。
首狩りウサギの対策に、上半身鎧を装備するように。
蜂型モンスターの対策に、剣でなく殺虫剤を構えるように。
巨獣ベヒモスの戦闘における解は、敵の攻撃を回避したのち劣化した部位をひたすら攻めるだけのこと。
その戦ぶりに花はないが、堅実に――敵を折る。
ガキン――!
鈍い音がフロアに響き、ベヒモスの角が根元からへし折れた。
部位破壊された角が床に落ち、ベヒモスがダメージのあまり足を折りダウンする。
好機――と、攻め急いではいけない。
足を止める影一の前で、ベヒモスの全身から蒸気のようなガスが吹き出された。
鈍色の装甲をうっすらと赤く染め、しゅーっ、と沸騰したやかんのようなガスが周囲一帯に振りまかれる。
――”暴走”。
ガスの噴出とともにベヒモスの装甲が赤みを増し、自身にバフ効果を乗せるベヒモスの切り札。
装甲強度を犠牲にし、代わりに鈍重だった速度を上昇させる最終段階だ。
ブレスの射出速度はもちろん、不意の突進や針攻撃も鋭さを増すため、より慎重に立ち回らなければ易々と消し炭にされてしまうことだろう。
とはいえ極端なパターン変化はないため、このまま畳みかければ問題無い……。
と、クロスボウに再び手をかけた影一の手元で、パチン、と弾ける音が響く。
最後の弦が途切れ、購入したばかりの”竜孥砲”が、ついに武器としての機能を失ってしまった。
ふむ。これは困った。
武器がなくては、さすがの影一も戦えない……わけではないが、面倒臭い。
あと一押しなのだが……
いや。むしろ、アレを試すには良い機会か?
「折角の機会です、試用してみますか」
せっかくの大物相手だ、将来のために実戦してみるのも悪くないだろう。
影一がインベントリを呼び出し、その奥底へと手を伸ばす。
普段は決して手にしないと決めた、禁忌の武器。
――柄を手にした瞬間、全身に強烈な圧がかかり、影一の表情が珍しく歪む。
「くっ……!」
重力が数倍になったかのような負荷の理由は、武器そのものの重さではない。
装備制限。
ごく一部の装備品は、使用者に相応のステータスを所持していないと手にした武器の性能が著しく減少する。
平たくいえば、レベル不足のまま装備品を無理やり使おうとした時に発生するペナルティだ。
やはり足りないか、と、力不足を再認識しながら取り出したのは。
大剣の……柄の部分だけ。
本来あるべき刀身はなく、ただ握り手のみが存在する、およそ剣として成立していない代物。
影一は構わず柄を握り、魔力を込め……
ブン、と一振りさせ蒼色の刀身を出現させる。
本武器最大の利点にして欠点は、武器の強さが所持者の魔力に依存することだ。
素人が使えば、刃を出すことすら叶わず昏倒し。
逆に優れた狩人が手にしたのなら、その力はあらゆる災厄を打ち破る究極の得物となるだろう。
名を、”神威ブレード”。
影一がこちらの世界に転移した時、自宅の床を突き抜け出現した、神殺し――LAWにおける対”ラスボス”のために用意された、史上最強の武器である。
なぜこの剣が、影一の転生とともに出現したかは分からない。
ただひとつ言えるのは、その武器は一振りするだけで空をも裂くほどの威力を秘めている……ゆえに、地上や並のダンジョンでは使えたものではない。
が、この相手なら。
「私もダンジョン業務を始めて、二年。多少は成長したかと思いますが、さて――」
実験開始、と影一が大剣を上段に構える。
隙だらけとも思える格好、対するベヒモスもまた己の口元にジジジと熱を集束させていく。
奴の十八番”熱閃”。
ただし最終段階に突入したベヒモスの熱閃は、僅かながら対象を追尾するようになり、より回避は困難になる――
ゴウ、と放たれた轟音とともに、ベヒモスの口から光が放出。
狙いは正面。
大地を剔りながら迫る熱と光の奔流に、影一は不動のまま構えを取り。
「――唸れ、神威の剣」
振り下ろした。
スキル発動の宣言もなく、ただ力任せに放つ、影一らしからぬ一撃。
だが、彼の得物は神をも殺す狂気の剣。
影一ですら持て余すほどの刃は、ふんだんに宿した魔力を輝かせ――眼前に迫る熱閃を、
ばさり、と切り落とす。
光柱が二つに裂け、放たれた魔力の余波が空飛ぶ神刃となり、ベヒモスを急襲。
巨体の頭部に直撃し、音もなくめり込み、そのままするりと――
相手の身体を、すり抜ける。
……否。
すり抜けたのでなく、その巨体を真っ二つにしながら――刃は火口の壁面へと滑り込み、ミシリ、と聞き慣れない音を立てながらダンジョン最下層の壁面を破壊し、ついには――
ダンジョンそのものを、切断した。
「……む」
刃の角度が、ベヒモスを見上げるため少々上向いていたせいか。
斜め上に放たれた一撃はダンジョンの壁面すら貫き、穿たれた隙間からはうっすらと地上の朝日が差し込んでいた。
ふむ。
どうやら、ベヒモスを切るついでにダンジョンの層を複数階ぶん切断してしまったらしい。
ベヒモスの全身が地に崩れ、紫色の光が噴出する。
ダンジョンボスの撃破演出を前に、影一は珍しく渋い顔をしながら剣をインベントリに仕舞う。
感想としては――
「やはりこの武器は、私に合いませんね。現時点では、過剰火力すぎる」
どうにも、気に入らない。
色々と非効率すぎるし、武器が自分の魔力を勝手に吸い尽くすのも気に入らない。
だが将来、この武器が必要になるボスが出現すると考えると、今のうちに慣れておく必要もある……か。
将来を見据えながら、ベヒモスの魔石を回収。
予定外の残業だったが、これで今日の影一の安眠は確保できるだろう。
それにしても……
今日は、さすがに疲れた。
無数の竜を退治し、綺羅星の話を聞いたのち再びダンジョンへ。そのままボス戦は、些か働き過ぎだ。
明日は仕事をせず、一日ゆるりと過ごして心身の健康に努めよう。
適切な収入があれば、自由に休みを取れることこそフリーランスの醍醐味だ。
……が、その前に。
影一は無言でダンジョンを振り返る。
熱閃と針攻撃、雷と神刃により荒れ果てたフロアを見渡しながら、影一はじっと――部屋の片隅で呆然としていた男に、狙いを定める。
「さて。……では最後に、あなたの処分を決めましょうか」
「っ、ひっ……!」
影一の睨みに怯え、尻餅をつきながら後ずさりする配信グループ”ナンバーズ”最後の生き残り。
九条の元へ、眼鏡を押し上げながら影一はゆっくりと迫っていく。
仕事とは、厄介事を始末すれば終わりではない。
厄介事の原因にカタを付けてこそ真の解決なのだから。




