第54話 私欲
元社畜にして元リーマン、影一普通には業務上許せないことが一つある。
仕事において、無能であることは罪ではない。
人には分相応というものがある。与えられた仕事が出来ずとも、本人なりに努力している、或いは適正として向いていないのなら仕方が無いと理解する。
仕事をサボる気持ちも、理解はする。
最低限の責任さえ果たしてくれれば、影一も口を挟むつもりはない。
唯一、許しがたいのは――不始末をしでかした時、連絡すらしない仕事人だ。
「分不相応な仕事に手を出した挙句、自分で処理できず、他人に迷惑がかかるまで黙っている。……私のもっとも嫌うタイプの一つです」
身勝手に仕事へ手を出し、気がついたら炎上しており当人は知らぬ顔――その後始末を誰がするのか。
仕事は、臭いものに蓋をすれば消えるわけではない。
水面下で、きちんと誰かが処理しているから表向きトラブルが発生しないのだ。
その仕事を、一体誰がしてると思っている?
「小学校で習いませんでしたか? 赤信号は守りましょう。言葉遣いは丁寧に。他人に迷惑をかけたら謝りましょう。人として当たり前のことを、どうして守れないのか。……しかも今回の件は、放置すれば重大なゲートクラッシュを引き起こす可能性すらあり得ます。そうなれば、どうなるか分かりますか?」
かつかつ、と踵をならす影一。
綺羅星があわあわと慌てる姿すら、目に入らない。
はっきり言って――影一はいま、この愚かな男に大変苛立っていた。
今までは、あえて見逃していた点も多い。
配信中という問題もあったが、悪七ナナの件を含め、九条という男自身が影一に攻撃を仕掛けてきたことはないからだ。
が、今回はさすがに――度し難い。
「宜しいですか。ひとたびゲートクラッシュが発生すれば、多くの国民が犠牲になります。その中には私の行きつけのコンビニや、常用する電車。日々の買い物、そして何より、私の愛する平穏が阻害される。それは私にとって、途方もないストレスなのです」
「っ、き、君はなんの話をして……」
「あなたが今行った行為は、私にとって大変ストレスである、ということです。ついでに、無差別殺人の前触れでもある」
淡々と語る影一に、九条の頬が引きつる。
こいつは何を言っているのか、という顔だが――どうして理解出来ないのだろう?
影一は、小学生でも分かるようなことを淡々と述べているだけなのに。
「宜しいですか? 殺人というのは無差別に行うものではありません。社会に害悪をもたらす人間に限るべき。何の罪もない一般人を、身勝手な理由で巻き込んでしまうことは、極めて深刻な罪だと理解すべきことでしょう」
「……先生……一応言っておきますけど、殺人はなんでも犯罪です……」
「存じていますが、私の中ではそうなのです」
呆れる他ない。
影一はただ、安心安全ノンストレスな毎日を送りたいだけなのに、どうして世の中はこうも面倒臭いのか。
珍しく怒気を露わにする影一の傍で、亀の如き四肢をもつ巨獣がふたたび口を開く。
新たに現れた影一に、ターゲットを定めたのだろう。
その口に光が集まり、気づいた綺羅星が顔を引きつらせた。
「せ、先生!」
「どうしましたか、綺羅星さん。そんなに慌てて」
「お説教もいいですけど、敵が、」
まずいです、と彼女が悲鳴をあげ、亀の魔物の口が大きく輝き、熱閃が放たれ――
「失礼」
超高速のレーザーを、影一は……ぺいっ、と。
素手で、たたき落とした。
まるで、ハエでも払うかのように。
「……は???」
九条はおろか、さすがの綺羅星も呆然とする。
心なしか、必殺技を台無しにされた亀のモンスターすら「???」と疑問符を浮かべたような顔をしているような。
唯一平然としていた影一は、再び眼鏡の鼻を押さえ。
「いま、私がこの男と会話をしているのです。人の話は邪魔しない、というルールはきちんと守っていただきたい」
まったくもって教育がなっていない、と溜息をつく影一に――
グ――グルォオオオオオオッ!
亀の魔物が咆吼をあげ、巨大な角を掲げた。
影一を正式な敵として認識したかのように。
「……まあ、モンスター相手に会話マナーを語っても無意味でしたね。あなたはモンスターの矜持に則り攻撃をしてきた訳ですから、私が怒るのは的外れでしたか」
失礼、と影一もゆるりと巨大な亀型モンスターへと向き直る。
元々、影一がここへ来た理由はゲートクラッシュの危険を排除するため。
本来の掃除屋の業務であり、この男の処分より先に、ボスを退治すべきだろう。
淡々と。
いつものように。
「では綺羅星さん、私はあのモンスターを退治いたしますので避難してください。……ああそれと、今回の戦闘は少々荒くなるかもしれません。私の気が立っているので、ストレス解消も兼ねますので」
「す、ストレス解消……?」
「綺羅星さんが私をどのような人間と捉えているかは分かりませんが、残念なことに、私は存外小物な男なのです。どこにでもいる、卑屈で厭世的な元サラリーマン。感情的にならないよう心がけてはいますが、ときに、つまらぬことで苛立つこともあるのですよ」
でも、それも含めて人間だ。
人生どんなに安心安全を望んでも、厄介事はかならず向こうからやってくる。
世のしがらみ。常識。親や隣人関係といった、切っても切れない存在。
そういった逃れ得ないストレスと直面した時、どうするか?
決まっている。
ストレスの元となる出来事を、人間、魔物を問わずきっちり排除することだ。
平たくいえば――暴力はすべてを解決する。
前世の影一には不可能なことも、いまの影一であれば容易く行える。
「では、ストレス発散を兼ねた退治と参りましょう。人間の方は後でカタをつけますので、まずは貴方から、ですね」
インベントリを呼び、影一が得物を取り出す。
ようやく慣れ親しんできた”竜孥砲”を手に添え、怪物の口に狙いを定めながら両足を揃えた。
正義や、人命のためではない。
自分にとって面倒なことを消し、ストレスなく心地良い安眠を得るという欲望のため――私欲のためだけに、影一普通はクロスボウを引くのだ。




