第51話 先輩と後輩
四大ダンジョン”凪の平原”にて異常鳴動を検知――
急報を受けた迷宮庁治安維持課、後藤はまず誤報の可能性を疑いすぐに打ち消した。
着替えも早々に宿舎から飛び出し、会議室へと向かう途中で虎子と合流する。
「虎子、状況は」
「監視対象となっている迷宮”雪原氷山”より膨大な魔力波が検知されたとのことです。鳴度8.3!」
でかい、と顔をしかめる後藤。
鳴度とはゲートから漏れ出る魔力量を数値化した値だ。地震におけるマグニチュードと同程度のもの、と理解すれば良いだろう。
8.3ともなれば、予測された数値としては過去三番目に大きな値になる。
「ダンジョンボスが活性化したのか。ボスに対する攻撃は、まだ行ってないはずだが」
”雪原氷山”は十日前”凪の平原”に出現した新規ダンジョンだ。
先遣隊が名称不明の氷竜と接敵し、現在、攻略の下準備を整えていたところだが、この事態は完全に予想外だ。
「誰かが先んじて、ボスに接敵したか? だが……」
「氷竜の群れをかいくぐって、ですか?」
「あり得ん。とすれば、ボスの自然起床か」
長期間放置されたゲートでダンジョンボスが自然活性化し、ゲートクラッシュに繋がる場合もある。
しかし”雪原氷山”は最近出現したダンジョンであり、考えづらい。
「分からん。だが何にせよ、仕事をするしかない、か」
人類は未だ、ダンジョンについて何も知らない。
魔力とは何なのか。
ダンジョン内で全てのダメージが、魔力に変換させる仕組みは何なのか。
モンスターとは。ゲートとは。
世界中の科学者が研究を重ねているが、正体は未知のウィルス以上に掴めないまま。
今の後藤にできることは――いつも通りの仕事を行い、国民の命を守ること。
会議室に入れば、すぐさま「後藤さん!」と部下達の声が響く。
「安全局から、地域住民に対する避難警報が発令されました」
「了解。対竜および耐寒装備を軸に整えろ」
「ダンジョンボス対策はどうしますか」
「まず自分達が一次偵察を行い、ターゲットを確認する」
「しかし、敵は既に行動を始めていると予測され……」
「慌てて攻撃を行っても、武器を無駄に消費するだけだ。それに、ダンジョンボスが地表に出現するまで時間はある」
地震とゲートクラッシュの違いは、予兆から被害までのタイムラグだ。
早急な魔力探知さえ行っていれば、クラッシュの予兆から本番まで最大数日は猶予がある、というのが有識者の見立てであり、米国では衛星を用いたゲートクラッシュ監視システムが完備されているという。
「大規模ゲートクラッシュの予兆は、今までもなかった訳じゃない。動揺するな。本庁からもすぐに応援がくる。敵は、決して倒せない相手ではない」
「っ……しかし」
「浮き足立つな。今できることを淡々と行う、それが国民を守る、唯一の方法だ」
では準備しろ、と新人を送り出しつつ、後藤も愛用の黒手袋を着用する。
その様を見ていた虎子が、ふふ、と楽しげに笑った。
「後藤先輩はあいかわらず、仕事だけはしっかりしていますね」
「それで金を貰っているからな。当然だろう」
後藤は特段、愛国心や奉仕の精神があるわけではない。
だが、与えられた職務は忠実にこなす。それがお役所務めというもの。
……だが、と後藤は準備を進める虎子に視線を流す。
「お前は地上に残るか? 虎子」
「え」
「お前はまだ若い。今回は初見のダンジョンボス戦となる可能性が高い」
狩人がもっとも命を落としやすいシチュエーションは、初見で戦うダンジョンボスと言われている。
敵の攻撃パターンが不明であり、いわゆる初見殺しに引っかかりあっさり命を落とした事例も少なくない。
その脅威に巻き込まれるリスクは、前衛であろうと後衛であろうと変わりはない。
むしろ陰湿なボスだと、あえて後衛ばかり狙う思考パターン持ちもいる程だ。
と、考えた後藤だったが――
むっと表情をふて腐れた虎子に、しまったと気づいた時には遅かった。
「先輩。私に敵前逃亡せよ、と? 違法な命令に従う義務はありませんけど」
「すまない。そういう意味で伝えた訳ではないんだが」
「分かっています。ですが、その言い方はさすがに失礼ですよ。私だって迷宮庁の一職員なんですから。それに、先輩も前線に出るんでしょう? でしたら副官の私も出なければ、示しがつきません」
「……まあ、それもそうか」
失礼なことを口走ったのは、自分の方だったらしい。
余計な気遣いは、不快に取られて当然。らしくないことをした。
すまない、と眉をしかめ謝罪をすると、いえいえ、と虎子がやんわり笑って、
「でも、先輩が私を心配してくれたことは嬉しいです。そこは80点あげちゃいますね」
「100点じゃないのか」
「デリカシーのなさでマイナス20点、でもお気持ちは嬉しいので80点」
唇に人差し指を当て、虎子がゆるりと目を細める。
「残り20点が欲しければ、まずは無事に帰ってから、ですね」
「そうだな」
ダンジョン業務は水ものだ。
熟練の狩人であろうと、命を落とすときは一瞬。
配信可能な範囲での戦闘ならともかく、深層や未知の領域はいまだ怪物達のテリトリーであり危険と隣り合わせ――それでも仕事として国民の安全を担保するのが、後藤達の仕事だ。
「では虎子。いつも通りに頼む。我々は我々にできる、普段通りのことを行おう」
「了解っ。それでこそ先輩です」
「それは褒めているのか?」
「ええ。普通のことを普通にする、先輩がよく仰っていることですし、そんな先輩がいたから、私はいまここに居るんですし」
何の話だ。そういえば初めて虎子が入職してきた頃から、自分と顔見知りだったようなことを口にしていたが……。
……もし今回の件がぶじ片付いたら、慰労もかねて聞いてみるか。
「虎子。今回の仕事がぶじに片付いたら、たまには飯でも食いに行くか」
「フラグですか?」
「何のだ」
「俺、この戦いが終わったら結婚するんだっていう」
「アホか。……いやでも、よく考えたら今の時代、後輩を食事に誘うのはハラスメントになるのか……?」
越権行為と取られる行動を起こせば即クビに繋がる時代だ。
先程の心配はともかく、後輩を食事に誘うのは良くないかもしれない。うむ。
危うく別のフラグを立てるところだった、と妙な心配をしつつ、苦笑する。
これから生死のかかった大一番だというのに、気の抜けた話だ。
「フラグはキャンセルだ。食事もなし、まずはきっちり仕事をしよう」
「え。そっちの方はキャンセルしなくても……」
「上司が部下を強引に誘うのはよくないだろう?」
「じゃあ先輩と後輩でなく、プライベートのデートという扱いなら良いんじゃないですか?」
「そっちはもっとダメだろうが」
何を言ってるんだこいつは。
まあ冗談だろうが、と虎子を伺えば、彼女はなんか微妙にヘコみ溜息をついていた。
先輩ってほんとばか、と。
……返答を間違ったか?
業務上の付き合いを始めてそれなりの月日が経つが、後輩の機微は相変わらず分からんなと顔をしかめながら――例え上司相手とはいえ、男にそういう言葉を軽々しく言うんじゃないぞ、と。
心の中で忠告しながら、まずは仕事だ、と会議室を後にした。




