第48話 氷竜
綺羅星が見上げたその存在は、恐怖の体現と呼ぶに相応しい威圧感を放っていた。
”氷結竜アイスオーグ”。
竜としては細身な体躯に、首長な頭部。
雄々しく広がる蒼色の翼が特徴的な、スタンダードなドラゴンだ。
もちろん、動画や配信で竜を見たことはある。
魔力を蝕む猛毒ブレスを放つ緑竜に、鋼すら溶かす炎を放つ火竜。画面越しでも伝わる規格外生物の姿に、当時中学生だった綺羅星が恐怖のあまり涙ぐんだのは秘密だ。
……あれと、戦う?
「先生。私で倒せるんですか……?」
「倒せとまではいいません。三十分、試行錯誤してください。ただし条件があります。――私に頼らないこと」
「え」
「まずは独力で、困難を越えてみてください」
意味が理解できず、綺羅星が固まる。――独力で?
冗談だろうか。でも、先生は冗談を言うタイプではない。
むしろ逆、やると決めたら徹底的にやるタイプだ。
つまり、あの化物と……一対一で戦う……?
「来ますよ綺羅星さん。今のあなたがブレスやレーザーの直撃を受けると、一撃で消し飛びますのでご注意ください」
直後、綺羅星が無意識に行っていた”察”に、膨大な魔力探知が引っかかる。
顔を上げたのと、氷竜の口に青白い光が収束したのはどちらが先か。
慌てて後方に飛び退き、空白となった雪路に白いレーザーが直撃した。
「……っ!」
雪原を貫いた光の後に残されたのは、凍てついた氷の塊――直撃を受けていたら、綺羅星もろとも氷漬けだ。
ていうか、無理。
普通に考えて、あんなのと戦うなんて……!
「先生! こ、これ当たったら私、死にます――」
「そうですね」
ひらひらとにこやかに手を振る影一。
その視線は冷たく、……ああ、本気だ。
この人は本気で、綺羅星とこの化物めいた竜を戦わせようとしているのだと気づいて絶望する。
(無理。無理、無理。ぜったいムリ!)
なんで、こんなことに……?
そもそも今日の綺羅星は学校で大トラブルを引き起こし、泣きながら先生の元を尋ねたのだ。
竜と戦うどころじゃない。
せめて万全の状態で、さらにモンスターの攻略法を調査した上でないと、あんな化物相手に叶うはずもない。
それなのに、何でこんな無茶を。
白い吐息を零しながら、綺羅星は訳もわからず逃げ惑う。
モンスターに手加減という概念はない。AIの如く自動的に人間を襲うその存在は、相手が赤子であろうと女子高生であろうと容赦なく牙を剥き、その口元に再び青白い光を収束させる。
なんで。どうして。
いつもの影一であれば、きちんと対処する術を教えてくれるのに――
うっすら涙ぐみながら、綺羅星は氷竜から見て水平方向に横切るよう駆けていく。
先のレーザー攻撃は、縦になぎ払う直線攻撃。威力は即死級だが横へのリーチは狭く、敵の発射角度をきちんと見極めれば対処できる。
竜の口が輝いた。
来る、と綺羅星はさらに加速し、その一撃を振り切ろうとして、
ゴアアアアアアッ――――!
飛んできたのは、レーザーでなく煌めく氷の塊。
魔力を帯びたエネルギー体が綺羅星の背後をすり抜け、雪景色を削りながら着弾。直後、ドウン、と鼓膜を破らんばかりの轟音とともに綺羅星の身体が吹っ飛ばされる。
受け身を取りきれず、雪の上をゴロゴロと無様に転がる綺羅星。
……今のは、着弾と同時に爆発する、範囲攻撃……?
けほ、と口に入り込んだ雪を吐き出しながら、ふらふらと立ち上がり――今ので綺羅星の総魔力のうちおよそ四分の一が消し飛んだのを実感する。
直撃してないのに、この威力……!
「こ、こんなの……」
無理。無理に決まっている。
そもそも相手は空を自在に飛び、こちらの手が届かない位置に陣取っているのだ。
影一のように、弓でも使えない限りは――
「やっぱり無理です先生! 兎やゴーレムでも、対策があってようやく戦えたのに、あ、あんなのといきなりなんて」
「綺羅星さんの仰る通りです。が、無理ですごめんなさいと謝れば、あなたを虐める相手は攻撃の手を緩めるでしょうか?」
「っ……!」
「むしろ意気揚々と攻めることでしょう。彼等は悪食であり、弱っている相手を追い詰めることに関しては天才的ですから」
ずきん、と綺羅星の心が悲鳴をあげる。
それは、……確かにそうだ。
望む望まざるに関わらず、綺羅星の嫌いなものはいつだって、向こうから勝手に近づいてくる。
友達だから、親だから、先生だからといい人の顔をして身勝手に迫り、いつの間にか食い物にされている――それが綺羅星の人生だ。
彼等は、彼女らは一度でも、待ってくれたことがあっただろうか?
「綺羅星さん。もちろん、助けて欲しいのであればお助けします。私に泣きつき、自分には無理だとお願いすれば、私も大人ですので手を差し伸べます。――ただ、それでは何も変わらない」
依存先が見知らぬ大人から、先生に変わっただけ。
それは、綺羅星の望んだ未来だろうか?
「くっ……!」
歯をぐっと食いしばり、インベントリを開く。
綺羅星はただ頼れる大人に依存したくて、影一の元を訪れたわけじゃない。
彼のような強さが欲しいと思った。
肉体的、魔力的な話だけじゃない。
――綺羅星が憧れたのは、彼の精神性だ。
嫌な相手に対し、きちんと否定を突きつけること。
仕掛けられた悪意に、それ以上の悪意を平然と返すことの出来る強さ。心のあり方に憧れたからこそ、綺羅星は彼に弟子入りしたいと思ったのだ。
そんな自分が、先生からちょっと無理難題を出されたからといって、泣いて許してくださいと請うようでは。
昔の、奴隷根性が染みついていた頃の自分と、何一つとして変わりない……!
「ふーっ……!」
白い吐息を零し、綺羅星はインベントリに突っ込んだ手をゆっくりと引き抜く。
両手に掴むのは、同級生の魔力をすすり尽くした深紅色のチェーンソーだ。
魔力のエンジンをかけ、ドゥルルルル、と響く回転音が綺羅星の心を昂ぶらせる。
逃げるな。
怯えるな。
怖くない。私はやれる。そのために先生の元に弟子入りした。
そして先生が戦えと言うのなら、私にも必ず勝機がある。
だから、私は――私は、逃げない!
「っ……いきます! わあああああ――――っ!」
チェーンソーを縦に構え、綺羅星は地を蹴り――空高く飛翔した。
魔力を用いた身体能力のブースト。
春休みという短い期間ながら、綺羅星とて直の戦闘を経験した身、この程度のことは出来て当然。
そして魔力を込めたチェーンソーであれば、多少のブレス攻撃でも切り裂ける――!
と、意気込んだその飛び込みは。
ぶん、と空中でなぎ払われた尻尾によりあっさり撃墜された。
べしゃ、ずざざざざ、と酷い音を立てながら雪面に顔面から突っ込み、魔力の七割を削られ無様にひっくり返る綺羅星。
そこに、影一の雪よりも冷たい声が響く。
「綺羅星さん。そのチェーンソーは対人専用であり、モンスター相手には取り回しの悪い武器だと説明を受けませんでしたか。そもそも相手は空を支配する竜。ジャンプ攻撃など、自ら的にしてくれと仰っているようなものですよ」
「そう言われましても、私にはこの武器しか……!」
「勝算あっての行動なら咎めません。ですが、今のはただ感情に任せただけの、無謀な万歳突撃。気合いや根性だけで戦況が覆るのは、漫画やアニメの世界だけです」
遠目で観察していた影一が、そっと眼鏡を押し上げ、忠告する。
「戦況を見渡し、利用できるものは全て利用し、可能な限り最善を尽くす――その方法を、諦めず模索するのです」
「そんなこと言われても……!」
チェーンソーを片手に立ち上がり、空中よりにじり寄る怪物を前に。
そんなの絶対無理、と唇を噛みしめながら、綺羅星は必死にチェーンソーを構え直した。




