第46話 かけるべき言葉
政府依頼の掃討作戦を終えた翌日、影一は引き続き”雪原氷山”の攻略を行っていた。
十匹近い氷竜とそれなりの魔物を倒し、マップの約六割を埋め、明日にはボスに到達できるだろうなと目算を立てたのちダンジョンを脱出する。
迷宮庁にバレないよう、新ダンジョンの攻略は夜間のみ。
それでも、踏破にそう時間はかからないだろう。
仕事もこれくらい自由であれば良いのに、と、高望みをしつつ帰宅し――途中、さざ波のように揺れる魔力を感知する。
地上は魔力濃度が薄く、影一とて全てを把握するのは難しい。
それでも、身に覚えのある魔力くらいは選別できる。
案の定――自宅前につくと綺羅星が体育座りのままちょこんと腰掛けていた。
「夜分にどうしましたか、綺羅星さん……?」
ふむ。
いつもの制服姿だが、眼鏡の奥に貯め込んだ涙を見るに、訳ありらしい。
「理由は存じませんが、綺羅星さんの気が許すのであれば自宅へどうぞ」
「……先生。私、あの」
「先に告げておきますが、私は年頃の女性を励ます言葉を持ち合わせておりません。しかしながら、泣いている弟子を廊下に放置するほど、人でなしでもないつもりです」
自分に害意を持つ敵には容赦しないが、縁のある人間を無視することはない。
何より、こういう時は親切にしておいた方が気分もいい。
綺羅星をソファに案内しつつ、どちらがお好みで? と、お茶とインスタントの紅茶パックを手に取る。
紅茶を差し出し、砂糖とミルクを添えたのち。
影一は背広をクローゼットに預け、スマホを弄り始めた。
会話に困ったわけではない。社交辞令の一つくらいは持ち合わせている。
が、当人が口を開く前から喋るのは厚かましいと思っただけだ。
とりあえず本日のソシャゲでも消化するか、とスマホ片手にぽちぽち操作していると。
「……私、影一さんに迷惑をかけてしまったかも……それで、ご、ごめんなさい、って」
「ふむ。事情を伺っても?」
かいつまんで聞けば――学校の友人を自称する女から、影一との関係を問われたらしい。
いい歳したおじさんと、堅物真面目なクラス委員長。
噂にするには格好の的ではある。
「それで、どのような流れに?」
「……先生のことを話さないなら、探偵でも雇って調べるって言われて……私は、先生に迷惑がかかるのが嫌だとお願いしたら、じゃあみんなの前で説明してって言われて……」
それで逃げてきた、か。
ありきたりだが、彼女の性格を考えれば分からなくもない。
……反応としては、些か面白みに欠けはするが――
「それで私、訳わかんなくなっちゃって……その時、たまたま学校にダンジョンがあって。それで…………逆に、相手を襲いまして」
ん?
予想と違うな、と眼鏡を押し上げる影一。
「私、説明してもどうせ聞いてくれないと思って……それで悩んで、考えて、先生だったらどうするかなって考えて。う、上手くやろうと思ったんですけど……でも全然、うまくいかなく、て」
綺羅星の瞳に涙が浮かぶ。
たどたどしく紡がれる話をまとめるに、どうやら……
彼女は例の上半身鎧を着込み、顔を隠したうえでチェーンソー片手に連中へ襲いかかったらしい。
相手は明らかに、びびっていた。
綺羅星に為す術もなく転げ回り、あと一歩のところまで追い詰めたという。
けれど、仕留めきれなかった。
「ダンジョンに、たまたま、学校の先生が来て。……私、見つかったらまずいと思って、慌ててお借りしてた”ハイドクローク”で逃げて……それから、どうしたらいいのか、分からなくなって……に、逃げちゃって」
感極まった綺羅星の瞳から、ついに大粒の涙が零れ落ちた。
どうしよう、どうしよう、と情緒が乱れるがまま、スカートに雫がしたたり落ち、そして。
「私、死刑になるんでしょうか」
はい?
「私、自分でなんとかしようと思って、でも頭が真っ白になって……全然うまくいかなくて。きっと今ごろ、学校は大騒ぎになってて……委員長は化物だ、犯罪者だって、みんな騒いでて。学校の先生にまで迷惑かけて。だから私、つ、捕まったらきっと、先生にも迷惑かけちゃうって思って、だから」
「なるほど。状況は理解しました」
「先生。私、死んだ方がいいんでしょうか? そしたら、せ、先生にもご迷惑をかけることないかな、って……」
あはは、と歪に笑いながら影一に問う綺羅星。
どうやら、彼女はいま大変に混乱しているようだ。
自分に害をなす自称友人に対し、大立ち回りをしたが上手くいかず、学校の先生やみんなに迷惑をかけた。
自分の人生はもうおしまい。
迷宮庁に傷害罪で逮捕され、影一にも迷惑をかけるから、死んでお詫びします――といった所だろうか。
まあ……彼女の動揺する気持ちは、理解できる。
三十を超えた自分ならともかく、年頃の高校生がチェーンソーで同級生を切り刻んだのなら動揺のひとつもするだろう。
そして彼女が求めている言葉も、容易に推測できる。
――心配しなくていい。
――後は自分がすべて解決する。
――君はよく頑張った、泣くことはない。悪いのは全て君に言い寄った自称友人共だ。
励ましと、共感。
彼女の境遇に同情し、慰めてあげれば彼女は大いに喜ぶことだろう。
表向きは「違います、そんなつもりじゃ……」と口にしながら、心の中で影一に感謝するに違いない。
……しかし。
理屈がそうだとしても、彼女は――影一普通の弟子である。
であれば、かけるべき言葉は慰めではない。
影一の弟子であるなら、問うべきは、ただ一つ。
「綺羅星さん。今の話。証拠はありますか?」
「え」
「綺羅星善子という人間が、イコール、鎧の化物の中身であり、お友達を襲った犯人であるという証拠。その時誰か、レコーダーを回していましたか? 鎧の中身があなただと、あなた自身が宣言したり、相手に勘づかれるきっかけはありましたか?」
「……それ、は」
影一はゆるりとゲーミングチェアに腰掛け直し、瞬きをする綺羅星に笑う。
「証拠がなければ、殺人も暴行も犯罪ではありません。そして綺羅星さん。……あなたは頭がぐちゃぐちゃになったと仰っていましたが、あなたは自分が考えているよりとても冷静かつ冷徹です」
「え。でも」
「犯行時にきちんと顔を隠し、先生が来たら”ハイドクローク”で逃げ、レコーダーが回ってないことも無意識に確認している。おそらく事前に、ダンジョンの構造も把握していましたよね。私が警察なら、間違いなく衝動的犯行でなく計画的だと断じるでしょう」
もちろん100点満点の結果ではない。
が、少なくとも及第点の対応だ。
後は、計画に粗がなかったか再点検し、万が一証拠が残っているなら早めに処分してしまえばいい。
では、と影一は適当なレポート用紙を手に取り、もう一度話を整理するためペンを握る。
「ではもう一度きちんと、時系列に沿って詳細を分析しましょう。泣きながらで構いません。涙しながら、ぐずりながら、きちんと証拠隠滅を行う。そうすれば、きっと感動ものの映画を見たあとのように、沢山泣いたあと明日の気分はとても晴れやかになることでしょう」
安心安全、ノンストレス。
その方針に沿うなら、彼女の行いはとても素敵な善行だ。
人間なら誰だって、嫌いな相手の四肢を切り刻みたくなる時だってあるだろうし。
計画的犯罪はいいものだと影一はうすく微笑みながら、事件についてもう一度頭から話しはじめる綺羅星に耳を傾けるのだった。