第45話 化物
ブオオオオオ――――――!
ダンジョンに響く殺戮音を耳にしながら、なお、鎌瀬姉見はそれが現実のものとは思えなかった。
学校裏手のダンジョンに、モンスターはいないと聞いていた。
自分達はただ、友達と話し合いに来ただけだ。
なのに、あの怪物は何?
何が起きてるの……?
反応が遅れたその隙に、鎧の化物がもう一人の男へ斬りかかる。
「ひ、ひぎやあぁぁぁっっっ!?」
情けない悲鳴をあげ、先輩の膝がまるでバターのように切断された。
ダンジョン内で受けた傷は、全てが魔力に換算される。
よって切断されても出血はしないし、仮に腕が外れても回復スキルで癒やせば元通りになる。
魔力が全損しない限り、命を落とすことはない。
それでも、斬られた、という激痛から逃れることは出来ない。
鎌瀬姉見が以前、その身を焼かれ息苦しく悶えたのと同じように――
「ひいいっ! あ、足が、足がああああっ」
痛い、痛い、と男が悲鳴を上げながら地べたを転げ回り、やがて泡を吹き始めたのを見て。
姉見はようやく、目の前の化物が本物だと理解する。
「あ、え、え……?」
それでも身体は動かない。
呆然と――化物が男を蹴飛ばし、ぞうきんのように転がっていく様を目の当たりにするのみ。
……なんで、こんなことに。
これは夢? なんで?
思考が混濁し、意味もわからないまま喉が引きつり、ぐちゃっと視界が歪んだその時、
「……っ!」
目が合った。
確かに、視線を感じた。
フルフェイスに覆われた鎧の奥。
ふーふーと獣のような息継ぎを行い、ゆらり、と背を揺らしチェーンソーを持ち上げる化物が、こちらを獲物であると認識した。
ぞくり、と全身に悪寒が走る。
次はお前の番だ、と言葉なく宣言され、姉身は状況を理解し、ようやく――
命が危ういと、察する。
「っ……な、なに、何なのこのバケモノ!!!」
「っ、た、助けてお姉ちゃん……!」
「え? え?」
妹が姉にしがみつき、城ヶ崎は状況についていけずぽかんとしたまま。
眼前でチェーンソーが持ち上がる。
ブオオオ、と金属の擦れる音。ダメだ。まずい。喉が引きつる。身体が強ばる。
ぼーっと立ってる場合じゃない。何とかしないと。やられる。頭のおかしな化物に刻まれる。死にたくない。なのに身体が動かない。死にたくない……!
反射的に後ずさり、しがみつく妹とともに、無意識に。
ドン、と。
呆けていた城ヶ崎の尻を、妹とともにバケモノの方へと蹴飛ばした。
「……え?」
ふらふらと、鎧女の前に突き出される城ヶ崎。
え、と強ばった彼女が顔を上げれば、映画に出てくる殺人鬼のような化物が、ゆっくりとチェーンソーを振りかぶり、
「あ」
一瞬だけ回転を止め、ぶん、とガイドバー――刃の腹にあたる部分で横殴りにした。
城ヶ崎の身体が吹っ飛び、部屋の端へと転がっていく。
鎧の化物はその姿を確認すらせず、再びチェーンソーを駆動させ鎌瀬姉妹に狙いを定める。
「っ、なんでこっちばっかり……!」
「そ、その女刻んでればいいって、そ、そっちの方が楽しいって!」
妹が理不尽な悲鳴をあげるなか、姉見はようやくインベントリを開いた。
武器。武器。せめて抗うものを。
化粧水。違う。
ミニポーチ。違う。
迷宮用コンパス。これも違う! 武器は、槍はどこ!?
「っ、っ……!」
なんで、なんで見つからないの、うちのクソ親が買ってくれた武器――あ。
思い出した。春休み前に委員長とともにダンジョンへ潜ったとき、妹とともに槍を弄びながら歩いて――燃やされて、悲鳴をあげながら逃げたあの時……
落とした。
それから……病院で治療を受けたあとは、ダンジョンのことなんて思い出したくなくて。
インベントリの整理を、していない。
「あ、あっ……」
喉が引きつり、奥歯がかちりと震える。
逃げなきゃ。部屋を見渡す。だめだ、逃げ場なんかない。
広間にあるのは扉が一つ、その前に鎧の化物。
刻まれた先輩達は既に意識がなく、お嬢も部屋の隅に転がったまま。
どうして。
どうして、自分がこんな目に。
鎌瀬姉見は、ただ友達に会いに来ただけなのに。これは夢か。いや違う。現実だ。姉見はいま、現実の化物に襲われていて、殺されかけている――
「う、ううっ……!」
どうしたら助かる。
どうしたら――命乞いか。土下座をすればいいのか。モンスター相手にそんなの通じるはずもない。ダメだ。終わりだ。鎌瀬姉見の人生はここで終わる。
ぐるぐると目眩がし、ひぐ、と喉が引きつり涙が溢れ……そんな姉見に。
心の悪魔が、囁く。
逃げ出すために時間を稼いでくれる生贄なら……もう一人、いるじゃない、と。
姉見は無意識に、腰元に抱きついていた妹屋の背中を掴む。
こいつを。
この妹を奴に突き出し、その間に逃げれば……
「っ……な、っ」
だというのに、姉見の身体は動かない。いや、動けない。
妹に対する愛情だとか、慈悲の心で拒んだわけではない。
その逆。
よく見れば――姉見の身体をしっかり掴んだ妹屋がギラギラと瞳を輝かせ、いつの間にか、姉である自分を盾にするかのように構えている。だから、動けない……!
「い、妹屋? その手は、何?」
「お姉ちゃんこそ、あたしの背中掴んで。何?」
「っ、こ、こいつ――!」
なんて妹だ、ふざけるな。
まさか実の姉を盾にして自分だけ逃げようってのか、このクソ野郎。
冗談じゃない。一体自分がどれだけ姉としてお前の面倒を見てやったと思ってるんだ。
ふざけないで。
ふざけてんじゃない――ふざけんなあああ――っ!
「妹屋、あんたお姉ちゃんのいうこと聞けないの!?」
「っざっけんな、双子のくせに先に生まれただけでお姉ちゃん面すんの昔からムカついてたんだよ!」
「な、こ、こいつっ……!」
「ママには泣きながら言っておくから、お姉ちゃんはあたしを守って死んだんだって! そしたらママも感動して泣いてくれるよ、良かったじゃん親孝行できて!」
「あんたが孝行しなさいよ、パパに可愛がられてるんだしちょっとくらいいいでしょ!?」
「はあぁ!? あんなキモ親父どぉでもいいし、てか産んでくれなんて頼んでないし!」
「アンタがいたからこんな訳わかんない目にあってんでしょ、ふざけんな、ふざけ――や、やめろっ……!」
妹屋が身体を押し出し、無理やり頭突きをしてきた。
意識がくらみ、ふらり、ゆらいだところに衝撃。
城ヶ崎が突き飛ばされた時のように、姉見が前へと突き出される。
「ひっ」
ブオオオオ――――。チェーンソーが牙を鳴らす。
鎧女が迫る。刃物が鋭く回転する。今にも姉見の身体を切り刻みバラバラにしようと音を鳴らし、ああ、ダメだ助けて助けて、嫌だ、そんなの嫌――!
「ま、待って助けて! お願い! お願いします! あたしが悪かった、謝る、謝るから! お願い、お願いだからぁ……!」
泣きながら、自分でもなにを口にしてるのか分からなくなり、モンスター相手に意味がないと知りながらも姉見は膝を揃えて懇願する。
殺される殺される殺される。どうして。私は、私は何も悪い事なんかしてないのに。どうしてこんな目に。
嫌だ。誰か。誰か助けて――
「おい、誰かいるのか!? ダンジョンには立ち入り禁止だと言ってるだろうが!」
その声は、ダンジョンの入口から響いた。
神経を極限まで研ぎ澄ませていた姉見は、声の主が普段はうざったい体育教師のものだと気づく。
――声は、驚くほど素直に出た。
「先生! 助けて! 助けてください、お願いです!」
泣きながら、姉見は亀のように丸くなり身を伏せる。
これ以上は耐えられない。ダンジョンなんてもう嫌だ。そもそも学校にダンジョンが出来た時点で、大人がきちんと責任を持って封鎖しておくべきなのに。
どうして、どうしてこんなことに。
助けて。誰か、助けて――
……。
……。
「おい、どうした。何があった!?」
「ひっ……!」
どれくらい時間が過ぎたのか。
身体を揺さぶられ顔を上げると、むさ苦しいジャージ姿の中年男が姉見を心配そうに覗き込んでいた。
……え。あ、あれ?
「せ、先生!? あの化物は」
「何だ、化物ってのは。おい、どうして怪我してる。説明しろ!」
先生に迫られ、いやでも、さっきまでチェーンソーの化物がそこに……と、姉見が部屋をぐるりと見渡して。
いない。
いなかった。
あの化物はまるで本物の幽霊のように姿を消し――どこにも。
「……うそ……」
「正体不明のモンスターでもいたか? 今すぐ救援を呼ぶ、じっとしてろ!」
先生がスマホを片手に連絡を取り、緊急通報を行う。
やがて他の教師もかけつけ、騒がしくなったダンジョンを目の当たりにしながら、姉見はさきの光景が本当に現実だったのかとぼんやり考える。
分からない。
けど確かに、姉見の傍には足や腕を切られた先輩方がいて、意識を失ったままの城ヶ崎がいて。
いつの間に逃げたのか、妹屋の姿だけがなく……。
「ひっ、あ、あっ……」
途端に恐怖がぶり返し、ぶるりと震る。
いま、私は確かに死にかけて。
殺されかけて、死ぬって、本気で、やだ、こんな、こんなの……っ。
「っ、おい、しっかりしろ! 魔力ダメージか!?」
ぺたんと座り込んだまま涙をこぼし、力なく崩れ落ちる。
下腹部にじんわりと広がる熱いものを感じながら、ようやく姿を見せた迷宮救援隊の担架に乗せられ――どうして自分がこんな目に、と。
鎌瀬姉見は震えながらひたすらぐるぐると考え、ぎゅっと己の身体を抱きしめた。
私は。
私は、悪くない――。




