第23話 弟子
「それで? 私の聞き間違いでなければ、弟子にしてほしいとのことでしたか」
まだ肌寒さの残る三月上旬、昼下がりの午後。
主婦のたまり場となるカフェにて、影一は注文したココアを傾けながら綺羅星と対面していた。
玄関前でやり取りするのは体裁が悪い。
かといって自室に招くのも誤解を呼びそうだったため、場所を変えることにしたのだ。
「……無茶なお願いだとは、知っているのですが」
対する綺羅星は、アイスコーヒーにちまちまと口をつけながら同じ主張を繰り返す。
私を弟子にしてください、と。
「綺羅星さん。弟子というのは、ダンジョン関連の仕事につきたい、という話でしょうか? であれば専門の学校にて、ダンジョン学を学ぶほうが早いかと思いますが」
「それも考えましたけど……私は、影一さんに教えて頂きたいんです。……少ないですけど、お金もお支払いいたします」
ふむ、と影一は手元のカップを傾ける。
「引き受けるとは言えませんが、まずは理由をお聞かせ願えませんでしょうか。……なぜ、私なのでしょう? 掃除屋なら他に幾らでもいますし、専門の学校もあります。配信者向けの学校もあれば、公安での狩人家業もありますし」
「それは……」
唇を閉ざす綺羅星。
影一が待つと、彼女は迷いを払うように首を振り、
「強くなりたいから、です」
「ダンジョン探索を続けていれば、自然と強くなります。それは他の掃除屋でも、配信者でも狩人でも同じですが」
「ダンジョンの実力だけじゃありません。精神的に、強くなりたいんです。……私が見た影一さんは、なんていうか。周囲に振り回されず、自分の芯をしっかりと持っているように見えたので」
なるほど、と影一は予想内の解答に納得する。
推測だが――彼女は学校で、あまりよくない待遇を受けているのだろう。
ダンジョンで突き落とされた、なんて話、虐めにしても過激すぎる。
そんな自分に嫌気がさして。
あるいは救いを求めて、影一に頼ってきた……か?
「お願いします。……無理なお願いだとは、わかっています。でも私……やっぱり、このままじゃダメだと思って、」
「お断りします。といったら、どうします?」
「っ……!」
「綺羅星さんが私に期待するのは自由です。が、私にその話を受けるメリットが今のところ存在しません。むしろ掃除屋としては、マイナスでしょう。年頃の女子高生を連れた背広男が、世間でどう見られるか――想像できない訳ではないでしょう?」
確かに影一は、彼女を助けた。
が、それは成り行き上行っただけであり、その後の人生のケアまで担う必要は無いし、掃除屋の仕事に弟子など必要ない。
冷たく突き放すように、影一はわざと腕組みしながら――彼女を改めて観察する。
口では否定の言葉を述べたが、じつは、彼女の弟子入りは影一にとって完全なマイナスではない。
影一はソロ活動を好み、来客にはつい塩対応してしまうほどコミュニケーションを嫌うが、仕事によっては一人でこなせないものもある。
その点、綺羅星に後の戦力になってもらうのは、将来性を考えればアリだろう。
また将来”アレ”と戦うことを考えるなら、協力者はいずれ必要になる。
改めて考えると、悪くない話だが――
心の中で計略を立てつつも、口先だけは引き続き否定する。
「綺羅星さんにお尋ねします。あなたが弟子入りする対価として、私に何を提供してくれますか?」
「え、と……お金、とか」
「高校生の小遣いで、私の収入に見合うものを提供できるとは思えませんが」
「っ、じゃあ、仕事の手伝いとか……雑用でも何でも、やります、から」
「ダンジョンに関する提出物は、最近では迷宮事務官という専門職の方が行ってくれています。それに私が望むのは事務方ではなく、ダンジョンでの戦力です」
「それは……」
綺羅星がついに俯いてしまい、ふるりと震えた。
当然だが、彼女が影一に提供できるものなど何もない。
社会人と高校生の、明白な差だ。
それを覆すほどの、対価となれば……。
綺羅星が俯く。
その表情がほんのりと赤みを増し、唇をきつく、ぎゅっとかみしめ。
喉の奥にうっすらと詰まった何かを、強引に絞り出すように、こちらを見た。
「……。……わ、私その……あんまり、可愛くはない、ですけれど。胸とかも、あまり大きくなくて……でも、影一さんがもし、そ、そういうのを望むのなら――わた、しの……か、身体、とか――」
「その発想が根本的な過ちである、と。私の弟子を希望するなら、いの一番に心得なさい」
「……え?」
ダメだ。
今の解答は、 まったくもって、ダメ。
影一の理想である、安心安全ノンストレスの人生とは、真逆の道。
他者に支配され搾取され、隷属されるストレスまみれの生涯を迎える選択に他ならない。
「すこし考えれば、わかるはずです。うまくいかないから、自分の身体を使って相手を誘う。そんな関係が長続きすると思いますか? 馬鹿な男に一晩抱かれ、飽きたら捨てられるなんて展開、物語でいくらでも見るでしょう」
「そ、それはっ……でも影一さんは、約束を守る人で」
「口約束を信用してはなりません。いえ、書面で約束していても信用してはなりません。宜しいですか? 私は確かに契約主義ですが、それでも人間。人間は嘘をつく生物であり、私も例外ではない。それを根拠もなく信用するのは、ただの盲信。あなたにとって、都合のいい願望にすぎません」
他人に縋りたくなる綺羅星の気持ちは、わからなくもない。
が、その先に待つのは他人に搾取され続ける人生だ。
ひたすら相手の命令に従い、心底に不満を抱えながらも口に出せず、鬱屈だけを抱えていく……。
かつての社畜時代を思い起こさせる生き方を、影一は望まない。
「綺羅星さん。あなたが最初に克服すべきは、その精神性です。トラブルが起きたとき、とりあえず自分を犠牲にして我慢してしまう、卑しい奴隷根性。その思想をまずは変えなさい」
「う……」
「自分の生存権を、他人に委ねない。自分の問題は、自分で背負う。その心がない限り、あなたがいくらダンジョンで強くなろうと何も変わりません。……そんな自分を変えたくて、私の下に訪れたのでしょう?」
彼女は本質的に、いい子、なのだろう。
常に嘘をつかず誠意をつくし、問題が起きたら自分が悪くなくてもまず謝り、相手の機嫌を損ねないようにする。
その思想自体は否定しないが……
良好な人間関係とは、あくまで、対等であるべきだ。
「あなたは先日、ダンジョンで突き落とされたと仰いました。その心の痛みは、共感はできずとも理解はいたします。……が、そもそもあなたがきちんと学校で、ダンジョンへの突入は違法だと突っぱねていれば、あんなことは起きなかった」
「それは……はい」
「もちろん、学校という力学のなかで自分の意見を通すのは難しい。私も前世の社畜時代、なにかと苦労したものです。……が、それでも自分の中で譲らない最低限のラインを決めなければ――まずは心が戦えなければ、いくら身体を鍛えたところで、本当の意味での救いは訪れませんよ」
馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない。
影一が彼女をサポートすることは可能だが、最後の一歩を踏み出すのは己自身だ。
彼女くらいの年頃の子には、厳しい話だろう。
だが、人生を生きていく上で――どこかで壁を乗り越えなければ、生涯他人に依存し続ける人生で、終わることだろう。
「その上で、改めてお伺いします。綺羅星さん。あなたを弟子に取るかわりに、対価としてなにを差し出せますか?」
「……それは……」
カラン、とカップの氷が揺らぐなか、綺羅星が途方にくれたように目をそらす。
今ごろ、頭の中がぐちゃぐちゃに混乱していることだろうが……
弟子入りを希望するなら、彼女にはぜひ理解して欲しい。
「……私には……何も、ありません。影一さんに提供できるものは、なにも……」
「いいえ。提供するに見合う十分なものを、あなたはお持ちです」
「へ?」
ぽかんと呆けた彼女に、影一は薄く笑いながら答えを差し出す。
「あなたがお持ちなのは、あなたの未来。すなわち、ポテンシャルです」
何もない、なんてことは決してない。
そもそも能力が無ければ採用しない、なんて言い出したら新卒就活など出来ないだろう。
詰めるような言い方こそしたが、影一は初めから――彼女を採用してもいい理由を、理解していた。




