第21話 普通のリーマン
何で。どうして、と九条の思考すべてがぐちゃっと混乱する。
ダンジョン内で、全てのことは完結したはず。
あの男は、悪七のスキルでダンジョン内に生き埋めになったのでは……。
なのに何故――
あの男は平然と、依頼主と話を進めているのか?
「おい、どういうことだ悪七」
「し、知らないしぃ。てか、あんたらも見てたでしょ? 確実にヤッたはず、なんだけどぉ……?」
目を丸くする悪七に、九条も冷や汗を零しつつ「冷静になれ」と自分に言い聞かせる。
落ち着け。落ち着け、落ち着け……。
落ち着け、落ち着け。大丈夫。
冷静に考えれば、状況は飲み込める。
多分だが、奴らは悪七が崩落事故を起こしたとき通路の奥に逃げたのだ。
その先に隠し通路か何かがあって、そこから脱出した。そうだ、そうとしか考えられない。
……宝箱を回収した時、そんな通路は見なかった気がするが――おそらく、気のせいに違いない。
ぶんぶんと九条は首を振り、頬を叩く。
大丈夫だ、問題ない。
仮に何か追求されたとしても、証拠は何一つないはず――
(待て。奴らのレコーダーは、回っていたか……?)
自分達のレコーダーは予め切っておいた。
が、先の崩落時あの背広男がレコーダーを回していれば、悪名のスキル発動シーンも撮影されている。
それは……犯罪の決定的な証拠だ。
くそ、まずい。
最悪、力尽くでも取り返さねばならない……が、既にダンジョンを出てしまった。
地上は魔力濃度が薄く、ダンジョンで発動できるスキルの威力は著しく低下する。
全く使えないわけではないが威力に乏しく、そもそも地上で派手にスキルを使えば警察に露見する可能性も高い。
気づけば、九条達は圧倒的に不利になっている――
(おい九条、これヤバくないか!?)
(ちょ、リーダー何とかしてくんない? てか、アイツらなんで生きてんの!?)
(っ、ふざけるな。こんな時だけ僕を頼るな……っ!)
ひそひそと耳打ちされ、九条の背にじんわりと汗がしたたり落ちる。
あの映像を迷宮庁に出されたら、悪七は確実に連行される。
それだけなら、別にいい。女が捕まろうが九条の知ったことではない。
が、悪七はよりにもよって自分達と同じ配信グループ“ナンバーズ”に属している。
彼女の逮捕はグループの名を傷つけ、ひいては九条自身にも管理責任を問われることになるだろう。
事務所にも目をつけられ、そうなれば九条率いるナンバーズは、存続自体が……。
「っ……ま、待て。そこの背広男。ちょっと話がある……っておい!」
声を荒げ、背広男に迫る九条。
が、男は依頼主に一礼をしたのち、連れの女子高生とともに――こちらをガン無視して立ち去ってしまった。
っておい、話しを聞け――!
「ちょっとアンタ! 待ちなってば!」
「テメ、勝手に逃げんじゃ……くそ、傷が……!」
「そこの君、話がある! 今こそ平等に意見を交わそうじゃないか!」
悪七とともに二人を追い、九条はすぐさま道路へと飛び出して、
「「……は?」」
そこには、誰もいなかった。
車ひとつない一車線道路。
のんびりと散歩している近所のババアが九条を怪訝そうに伺っているのみで……え?
何だこれは。どうなっている?
自分達は、夢でも見ていたのか?
「っ……悪七。さっきの男、どこいった……?」
「あ、あーしもわかんない。てか、何かヘンじゃない……?」
雲のように消えた男。
まるで、ダンジョンでもない地上で”ハイドクローク”を使ったかのような……。
アレは魔力満ちるダンジョン内だからこそ発動できるものであり、魔力の薄い地上で用いるのは理論上不可能なはず。
まるで何か、タチの悪い夢でも見せられてるような気分だ。
一体どうなって……いや、でも。
不自然だ。奴らはどうして、九条達に先の件を追及してこない?
「……ねえリーダー。あいつら帰ったなら、あーしらのことなんか気にしてない、ってコト?」
「……証拠がないのか? だから、問い詰めなかった……のか」
分からない。
ただまあ、奴らが文句を言ってこないのなら、問題無い……のだろうか?
と、違和感を覚えながら、三人が帰路についたその途中。
突然、黒塗りの車がぎゅっとブレーキ音を鳴らして横付けにした。
ガタイのいい黒服が、連れの女黒服とともに九条の進路を遮り、有無を言わせぬ圧をもって迫る。
「迷宮庁安全課の者です。悪七ナナ、あなたに迷宮内殺人未遂の容疑がかけられております。ご同行願えますか」
「ぃ……っ、あーし、何もやってな」
「残りのお仲間方にも、事情をお伺いさせていただきます。――虎子、捕えろ」
「はーいっ。”動くな”っ」
小柄な黒服女の一声とともに、九条達の動きがぴたりと止まる。
悪七ナナは逮捕され、後に懲役十年を求刑された。
*
「影一さん。先程の配信者の方々は……?」
「すでに迷宮庁へと通報いたしました。動画つきで。今ごろ逮捕されていると思いますよ。彼等はとても優秀ですので」
地上に脱出したのち依頼人との交渉を終え、”ハイドクローク”で彼等を巻いた影一はのんびりと電車に揺られながら綺羅星に事情を説明していた。
彼女はダンジョンの外で影一がアイテムを使ったことに首を傾げていたが、そこは適当に誤魔化せば良いだろう。
「それにしても、最近の配信者は恐ろしいですね。殺人も厭わないとは。……ああ、この表現方法はよくありませんか。配信者が悪いのではなく、一部にタチの悪い人間がいる。警察や弁護士、医師にも犯罪者がいるように、安易に大きな主語を使うのは控えなければいけません」
失敬、と己を戒める影一。
身勝手なレッテル張りは、彼のもっとも嫌う行為だ。
そんな彼を見上げ、綺羅星がぽつりと。
「……影一さんだったら、もしかしたら迷宮内であのまま、三人を襲うのかとも思ったんですが……」
「不可能ではありませんが、状況が悪かったので。彼等は配信を終えた後であり、あのダンジョンにいた証拠があります。にも関わらず三人とも行方不明になり、私達が出てきたら、いくら何でも怪しいでしょう?」
依頼人の証言もあるし、ナンバーズの配信に影一の顔も映っているはず。
証拠があるところで下手を打てば、公安にマークされてしまう。
「安心安全、ノンストレスを第一とする平凡な小市民が、警察に追われるなどあってはなりません。それでは私の安眠が妨げられる。なので代わりに、公共権力に頼ることに致しました。映像証拠ははっきりとありましたしね」
付け加えるなら、先のダンジョンはまだ消失に至っていない。
迷宮庁の職員がいそぎ調査すれば、証拠はいくらでも出てくるだろう。
一市民としてごく普通の対応をしたのみですと笑えば、電車のつり革を掴んでいた綺羅星はなぜか半目になりながら。
「……なんか、その。影一さんって、いろいろ凄いですね」
「そうでしょうか? まあ一般的な社会人よりはダンジョン慣れしているとは思いますが……」
影一はふむと考え、当たり前のように返した。
「それ以外はどこにでもいる、ごく普通の元リーマンに過ぎませんよ」と。
電車が止まり、プシューと音を立ててドアが開く。
今日も普段通りだ、と影一は綺羅星を促し、ゆるりと電車を降りていった。




