第117話 影一普通3
某社取締役とのフライトを終えて帰宅した翌日、深夜。
影一はとあるダンジョン前に立ち、さて、とネクタイを整え密かな侵入準備を始めていた。
A級ダンジョン”海底水晶洞”。
本来ならダンジョンボス、マザースフィアが討伐され自然消滅を待つばかりのゲートは、未だ銀色の渦を巻き沈黙を保っている。
限界魔力を下回ったダンジョンが消失するまでの時間は、ダンジョンに残された残魔力量に比例する。
E級やD級であれば、数時間。C級以上でも二日か三日。
A級ともなれば、ボスを退治しても一週間以上は持つだろう。
そのため”海底水晶洞”が残存していること自体は、不自然ではないが――
影一はするりとゲートへ侵入。
既にボスもおらずザコも殲滅し、崩落を待つだけの迷宮に価値はない。
……にも関わらず訪れた理由は、影一だけが理解している裏事情ゆえだ。
ボス”マザースフィア”完全討伐記念アイテム。
前世のゲーム、LAWでは入手できなかったイベント報酬の受け取り先は、記憶によればここのボスフロアだったはず。
前世で未入手だった、幻のイベントアイテム。
ゲーマーの血が騒がないはずもなく、影一が迷宮庁のクエストに参加した理由もこれだ。
そして本当に偶然だが、綺羅星がたまたま倒した分裂体が、最後の一匹だったらしい。
さて……と無人のボスフロアに立った影一は、ゆっくりと自身の”察”を用いて観察する。
ゆっくりとフロアを練り歩き……
やがて、コツン、と靴底で床を叩くと――音もなく、地面に銀色のゲートが開いた。
S級ダンジョン”凪の平原”から”雪原氷山”へと続いたのと同じ”派生ゲート”。
ダンジョンからダンジョンへと繋がる道をくぐり、その先で影一が見たのは――
空中に浮遊する、およそ五メートル以上ある巨大な星型モンスター。
マザースフィア”本体”だ。
「やはり、そういう仕組みでしたか」
何のことはない。
最初に迷宮庁職員が一丸となって倒した、マザースフィアの母体と思われていた存在もまた、大元の分裂体に過ぎなかったというだけの話。
その上で、出現したマザースフィア分裂体を全て始末したのなら。
隠れ潜んでいた”本体”は、何処かしらのタイミングで再び”分裂体”を外に出さねばならなかった――その隙をついて、影一が滑り込んだ形だ。
「もしかすると……原作でもイベントクリア時には、全員でボスと戦う特殊ミッションが出たのかもしれませんね」
原作ゲームでは多くのプレイヤーがマザースフィア戦を面倒がり、分裂体を倒しきれなかったため未クリアとなったが……前世の日本でも、このボスと相対していた未来があったかもしれない。
そう考えると、前世では残念だったが――
逆にいま、楽しみがひとつ増えたとも言える。
「本体との戦闘は、攻略サイトにすら載っていなかった情報。……どれ程のものか、楽しみですね」
この世界を訪れ、初めて出会った未知のモンスター。
影一は期待に胸を膨らませながら、インベントリに手を添えた。
*
十数分後――ふぅ、と一息つき、影一は紫色の煙をあげ炎上するボスを見上げていた。
「ソロ攻略を想定していないボスでしたね。中々、楽しませて頂きました」
ベヒモスの討伐推奨LVを80とするなら、本ボスはLV150程度といった所か。
本イベント実装時期のレベルキャップが100であったことを考えると、驚異的な強さである。
いまの影一だからこそ問題なくソロ討伐できたが、イベント当時であれば雲行きは怪しかっただろう。不可能、とは言わないが。
さて、と影一は消滅するボスを見届ける。
本ボスは通常のダンジョンボスと異なる、イベントモンスターだ。
その場合は大抵、記念アイテムをドロップするものだが、と期待する前で――きらり、と地面に光るものが見えた。
床に落ちたそれを拾い、
「勾玉、ですか」
知らないアイテムだ、と眉を寄せる影一。
日本独自のアイテムだろうか。
元ゲーム、LAWは国別にサーバー分かれており、米国サーバー、欧州サーバー、日本サーバーとそれぞれ個別に独自アイテムやモンスターが実装されることがあった。
出現するモンスターも異なり、有名所でいえば――
米サーバーの宇宙人”グレイ”。
欧州サーバーの究極竜”バハムート”。
日本サーバーの大蛇”八岐大蛇”辺りだろう。
何にせよ、影一ですら知らないアイテムというのは興味深い。
「まあ単なる記念品。トロフィーという可能性もありますが……ゲーマーの性として、収集欲をかき立てられますね。それにこういうのを見ると、つい鏡と剣も揃えたくなります」
確か……八咫鏡、草薙剣、八尺瓊勾玉、だったか。
日本における三種の神器。由来まではきちんと知らないが――草薙剣は伝承上でも、八岐大蛇の尾から出てきたという一品のはず。
”ラスボス”攻略の手がかりになる可能性はある。
「おっと。ゲーマーの性か、勝手に妄想をしてしまいます。まだ何も分かっていないのに」
はやる気持ちを抑え、首を振る。
将来について考えたい気持ちもあるが、まずは目の前の問題だ。
――今回、影一は珍しくリスクを背負い、派手に動いた。
相手をはめて始末するのが基本の自分にしては、らしくない行動だったと理解している。
迷宮庁とて馬鹿ではない。
影一のことを嗅ぎつけ、何らかのアプローチを迫るだろう。
もちろん、知らぬ存ぜぬを通すが……今暫くは、大人しくしておくのが無難だろうか。
「安心安全、ノンストレスに生きていくというのは、じつに難しいものです。……まあそれだけ、私がワガママな性分だということでしょうが」
結局のところ――影一とて”根源”からは逃れられない。
綺羅星が己の衝動から逃れられないように。影一とて安心安全を歌いながら、ストレスや面倒事にガマン出来るほどの忍耐がなく、対話より殺人の方が手っ取り早い、と判断しているだけのこと。
でも、それでいい。
慎重さは大切だが、臆して我慢しすぎるようでは、人生の楽しみそのものが潰えてしまうのだから。
「人生ワガママにいきましょう。順法精神を大切に、けれど、バレない範囲でノンストレス」
己に改めて言い聞かせながら、ダンジョンを脱出する。
ふと、空を見上げる。
時刻は深夜。月明かりすらない夜空を見上げ、まず考えるべきは――
「夜食、買って帰るべきか、否か……深夜の揚げ物は、どうしてこうも美味しいのか……」
深夜の揚げ物。カップラーメン。或いはアイス。
罪深すぎると分かっていても、止められない。
人間とはじつに強欲だ、と眼鏡の鼻を押さえながら、影一は吸い込まれるようにコンビニへ足を運ぶ。
レジ脇に余った唐揚げくんを前に、五分ほど腕組みをし、ジッと睨み付けていると、「お客様……?」と、心配そうに店員さんが伺ってきたので、申し訳ないとばかりに購入した。
うむ。
仕方ない。
レジ前に佇んでると不審者極まりないからな、と自分に言い訳をしつつ……
相変わらず、自分は優柔不断な男だなと思いつつ帰宅し――その途中、へらへらと笑い絡んできた若者がいたので、
「おじさーん、ダメだよぉこんな夜道歩いてちゃ……お金持ってひげっ」
「ゴミの分別だけは、迷わないのですが」
生きたゴミを生ゴミに変換したのち、インベントリに収納する影一。
彼の目指す安心安全ノンストレスの道は、まだまだ先のようだった。
これにて二章完結です。
前話でお伝えした通り、本作品は一旦ここで休載となります。
ダンジョンものの作品としては異例の内容だと思われますが、当初の想定より多くの読者様に恵まれましたこと、改めて感謝いたします。
続きにつきましては、三章もプロット自体は完成しているためぼちぼち作成していこうと考えております。
今後とも、ごく普通の元リーマン&JKを宜しくお願いいたします。




