第111話 私利私欲
「昨日はお疲れ様でした、綺羅星さん。ずいぶんと良い顔をされるようになりましたね」
マザースフィア分裂体による、城ヶ崎邸ゲートクラッシュ事件を収めた翌日。
影一は綺羅星を呼び出し、先日もお邪魔した駅地下の喫茶店にて顔を合わせていた。
ゲートクラッシュ事件に関する書類作成のためだ。
今回の事件は正規のクエストではないため、掃除屋としての報告義務はない。
が、迷宮庁から事件の詳細について知りたいとの連絡があったため、影一が彼女から話を聞き、通常のクエスト報告フォーマットを参考に資料を作成し提出する流れになったのだ。
「先生、報告まで必要なんですか……? 私もう、現場にきた迷宮庁の人に何度も説明しましたけど」
「残念ながら、それがお役所仕事というものです。マザースフィア分裂体は特殊なモンスターですし、事例をまとめておきたいのでしょう。……それにしても、綺羅星さんも自力でダンジョンをクリア出来るようになりましたか。大したものです」
「いえ。今回は前に戦ったボスと同じでしたし、以前より弱かったので」
「それでも、私がいるのといないのとでは、気負い方が違うと思いますよ」
いざという時の後ろ盾がない――命綱がない状況で戦い抜いたのなら、一人前といっても差し支えないだろう。
「綺羅星さんもそろそろ、狩人C級試験を受けても良いかもしれませんね」
「Cですか? 私まだDも取ってませんけど」
「Dは余裕でしょう。Cもおそらく。あと一年もすれば、B級も視野に入るでしょうか」
「B級……」
狩人ランクD級、およびC級は、素人に毛が生えた程度の差しかない。
しかしC級とB級の間には天と地ほどの差があり、また、B級ライセンスがあれば政府公式のクエストを受注できる――手に職を持つことができる。
とはいえ、彼女はまだ高校二年生。
未来などいくらでも選びようがある。焦らず、ゆるりと考えればいい――と、書類整理の合間に注文したうめ昆布茶を口に運ぶ影一。
「……先生は、私に向いてると思いますか? この仕事」
「私個人としては、とても。慣れればモンスターも、それ以外の掃除も日常のようにこなすことが出来ると思いますよ」
「でも私、すぐカッとなっちゃいますし……」
「ふむ。何か悩みが?」
えっと、と綺羅星が頬を掻いて。
「……頭では、分かっていたんですよね。今回のダンジョントラブルも、迷宮庁の応援を待った方がよかった、と」
彼女の言い分は正しい。
いかにマザースフィア分裂体による侵食が早いといっても、昨日今日できたダンジョンによるゲートクラッシュの影響などたかが知れている。
実際には綺羅星が手を出さずとも、事件の幕引きは可能だっただろう。
「でも私はあのとき、自分の感情を優先しました。城ヶ崎さんと、ダンジョンで話をつけるために。……私利私欲のために。そう考えますと、私は先生のように、冷静な判断ができるわけではないな、と……」
「綺羅星さん。私は、言うほど冷静な判断はしていませんよ」
「……でも先生っていつも余裕そうですし、指示も的確で……」
「冷静に考えてください。物事を冷静に判断できる人間は、殺人、などというハイリスクな行為を取りませんよ」
いくらダンジョンが隠蔽しやすい環境だとしても、法的なリスクを考えれば殺人はコスパが悪い。
ダンジョン外でもやってるとなれば、尚更だ。
「それを理解した上で、私がなぜ遠慮なく清掃作業を行っているかと言うと、私欲以外にありません。……今だからお話しますが、私は安心安全ノンストレスを謳ってはいるものの、本質的にはノンストレスの方を重視しているのでしょうね」
事実、影一は今回かなりの大立ち回りをした。
安心安全の観点から見れば明らかに愚策である、と理解していながら。
今回もカザミを連れ回したり、例の社長をカメラ越しに挑発したり――不要な行動が幾つもあったのは自覚している。
「つまり私は冷静に見えて、全く冷静ではないのですよ。……そして、それを踏まえた上でこう言いましょう。――私利私欲を満たして、なにが悪いんですか? と」
綺羅星の目が点になり、影一は薄い笑みを浮かべて返す。
「ダンジョンを利用することはハイリスクな行為です。が、そのリスクを考慮した上でなお、やりたいことがある。自分の夢を叶えるため。復讐のため、金稼ぎのため、恋心のため……動機はなんでも構いませんが、叶えたい夢があるなら、正しさなどさしたる問題ではありません」
「……そんなもの、なんですか?」
「ええ。そもそも復讐など、コスパを考えれば最も役に立たない感情です。……と、分かっていても――人は、自分が傷つけられたらやり返さずにいられない。その感情を大切にすべきだと私は思いますね」
人間はコスパや生産性だけで生きている訳ではない。
そんな人生は、つまらない。
例え意味がなくても、自分が心躍るもの――ゲームでも良いし、漫画や小説といった物語でもいい。
ムカつくヤツにやり返したいという薄暗い願望でも、その感情は大切にすべきだ。
効率に走るあまり、ストレスを抱えた人生なんて――面白くない。
人生は一度きり。
是非とも、自分にとって大切なものを見失わず生きてほしいものだ。
「まあ、私も昔は社畜をしていましたからね。つい、仕事や建前に傾注してしまう気持ちは分からなくもないですが、それで自分を見失ってはいけません」
「……先生ってたまに、本当にいい大人みたいなことお話しますよね」
「私は良いことしか言いませんよ。フリーランスとはいえ社会人として真面目に働き、税金を納め、日々ボランティア代わりのゴミ掃除を担う。立派な大人ではありませんか」
何を今さら、と冗談めかして笑うと、綺羅星には微妙な顔をされてしまった。
ううむ。
影一は自分のことを、まともでごく普通の大人……ゴミ掃除が得意なこと以外は、善良な一般市民だと自負しているつもりだが、違っただろうか?
まあ、その辺は人によって受けとめ方も異なるだろうな、と笑いつつ――視線を、彼女の隣へと流す。
先程から僅かに俯けたままガチガチに緊張し、影一と綺羅星の会話に戸惑いながら耳をそばだてている少女……
「と、私は思うのですが。あなたはどう感じますかね、お嬢さん――城ヶ崎さん」
「っ……」
影一が改めて名を呼ぶと。
ぴく、と同席していた綺羅星の友達が肩をふるわせ、怯えたように息を飲んだ。




