第110話 素敵な話
目の前で刃物が唸る。
綺羅星が笑う。
視界の端で、ダンジョンが音を立てて崩落を始める。
身体を切り刻まれるなか、もはや城ヶ崎はまともな思考を維持することすら難しかった。
「あ……あっ……」
理性がまともに働かない。チェーンソーの音が全ての感覚を狂わせる。
返答を誤れば殺される。
危機感。
本当の死の恐怖と、彼女の狂気という日常を目の当たりにした城ヶ崎は、だからこそ、彼女との友情関係を諦めるという、人生で最悪の選択を口にした。
己の信念を曲げてまで。
にもかかわらず――
どうして、刃の音は未だ鳴り続けているのだろう?
欠けた両腕を転がしたまま、びくびくと仰向けにされた芋虫のように跳ねながら。
城ヶ崎は、目の前に佇む化物へ、涙ながらに許しを請う。
「っ……わ、私、ち、ちゃんと、間違ってたって、返事して……なのに、なん、でっ……」
返事をしたら許される。ちゃんと謝れば許される。
人として当たり前の対話をしているはずなのに、眼前の鬼はまるで言葉が通じていないかのように人体を切り刻む。
相手が、理性のない化物なら理解はできる。
熊や虎、映画に出てくる怪物になら無意味に襲われ、獰猛な牙に裂かれてしまうのにも、恐怖はあるが意味はわかる。
けど。
いま彼女の目の前にいるのは、間違いなく、同じ教室にいたはずの、会話の通じるクラスメイト――なのに、一切の言葉が通じない。
その事実が、城ヶ崎河合のもつ常識をすべて、すべて壊していく。
もう何も分からない。
謝ればいいのか。
泣けばいいのか。何度も何度もわめけば良いのか。何一つとして経験則が通じない。
だから、だから――
「っ……私に。こ、これ以上、何をしろって言うんですかっ……!」
泣きながら、吼えた。
これ以上、城ヶ崎から出せるものは何もない。
もう既に、城ヶ崎の中にしまった大切なものは全て打ち砕かれ、欠片ひとつ残っていない。
そんな自分から、これ以上差し出せるものなど、何も――
「言ってるでしょう? 私の望む友達になりましょう、って」
「っ、なる! なりますから!」
「そんな適当な返事じゃだめ。私はね? あなたにきちんと、言葉の意味を理解したうえで、返事をしてほしいの。――そんな上っ面の、命乞いのような返事なんて聞いてないの。分かりますか?」
「そんなっ……」
彼女の刃が再び宙を舞う。何かがえぐれ、何かが軽くなる。
分からない。分からない。
理解できない価値観を押しつけられても、私には何て答えれば良いのか、何も――
「でも、あなたが望んだ関係って……そういう友達でしょう?」
「っ……!」
「相手の理想を常に叶えてくれて、何一つ逆らわない理想の友達――あなたはずっと、『私のため』って言いながら、それを私に押しつけてきた」
「……それ、は……」
「私、嫌だって言ったわよね? 友達にはなれないって。なのに無理やり押しつけてきた。だから私はいま、あなたと同じことをしているの」
次は右足。会話の最中にも彼女は淡々と刃を振り上げ、城ヶ崎の体積をそぎ落としていく。
私が削れる。私が、減らされる。
私という存在がこの世から消えてしまうという、人の世に決してあってはならないことがいま、現実に目の前に起きて――お願い、お願いしますもう止めて――
「っ、わ、分かりました……分かりました、と、友達にでも奴隷にでも何でもなります! だから!」
「最後、左足ね」
「っ、な、なんでっ……!」
「何で、って?」
「っ……わ、私、あなたの友達になるって、さっきから返事して……!」
「どうして私があなたの話に、耳を傾けなければいけないんですか?」
城ヶ崎の左太ももに刃がかかる。
既に感覚はぼやけ、自分がいま痛みを感じているのか寒気を感じているのかすら曖昧ななか、綺羅星の声だけが速やかに耳に通る。
「あなたが求めたのは、話し合いじゃない。価値観の押しつけ。だから私は、あなたと同じことを返す。――肉体的なものと精神的なものの差はあるけど、あなたには言葉で言っても理解できないでしょう? だから、身体に教えるの」
「ひいっ……」
「少しは分かった? 人の価値観を無理やり押しつけられる感覚」
なら、私は一体どうしたら許されるのか。
彼女に何を謝れば、救われるのか――どうしたら、一体どうしたらいい。
何をしたらいいの――という、混濁した疑問を前に。
綺羅星はただ淡々と、その答えを口にする。
「だから。あなたに出来ることは、後悔し続けることだけ、です」
「……は?」
その声はあまりにも遠く、冷たく。
一欠片の慈悲もなく、ただ、彼女の決意だけが籠もっていた。
「あなたは私の言葉を聞かなかった。だから、私もあなたの話を聞きませんし、あなたの返事も必要ありません。……私はあなたの返事に関係なく、あなたが理解したなと確信するまで暴力を続けます。限界まで、ギリギリまで、ね?」
それだけです。
返事など望まない。だってあなたは――
人の話を、まったく聞かなかったから。
「っ……!」
そんな彼女の決意、……ですらない覚悟と行為を、目の当たりにして――
城ヶ崎はついに、理解する。
「……ああ……」
自分が今まで彼女に対して行った、無意識な傲慢の数々。
人に対話を求めているふりをしながら、その一切を否定し続けてきた、城ヶ崎河合という愚かな人間性。
その高慢さを、鑑写しのように返され、己の身を火あぶりにされ四肢を千切られ、生死の境へと突き落とされて、ようやく――
四肢の損失を引き金に、己の愚かな価値観を、理解する。
いや。
……より正確に言うならば。
母親に毒されていた価値観を、新たな毒により塗り潰される。
母への盲信から。
暴力、という圧倒的な恐怖の世界へ――城ヶ崎河合の世界が崩れ、作り替えられ、全てをひっくり返して塗り替えてゆく。
……。
みしり、と海底ステージにきしみが走り、崩壊とともにうっすらと水が零れてくる。
ダンジョンの崩壊。
どこか神秘的な、濃厚な死の気配をまとわせた景色を目の当たりにしながら、城ヶ崎は半ば無意識に、ぼんやりと歌うように口ずさむ。
「……なります……」
「…………」
「……友達に、なります……私は、綺羅星さんの友達に、なります……」
助けて、等という言葉すら続かない。
そこに、夢や希望も存在しない。
ただただ唯一無二の、誠意。
私は、あなただけに従いますという、誓いの言葉――それ以上もそれ以下もない、命乞いですらない誓約をぼんやりと呟き、瞳に涙を溜めながら訴える。
もう何も望まない。
救ってほしいなどという望みも抱かない。
ただ言葉通り、あなたの望む”友達”になります――
その淡い口調に、ん、と綺羅星はちいさく眉を上げて。
「城ヶ崎さん。私の友達になってくれる?」
「……はい。私は、綺羅星さんの友達、です……」
「本当に?」
念のため、綺羅星は城ヶ崎の顔面を踏み潰す。
よじれた鼻と潰れた瞳を靴底でぐりぐり踏みにじり、その奥に潜んだ生意気な心が一片たりとも残っていないか確かめる。
抵抗はない。
代わりに、城ヶ崎はうっすらとおかしな笑みを浮かべ、はい、と大人しく笑うのみ。
「友達に、な、なります……ならせて、ください……」
「そう。じゃあこのまま殺されても文句はないわね? 私達、友達だものね」
「……はい。私、と、友達だから……き、綺羅星さんは、優しい人だから……」
「どうして私が優しいの?」
壊れた人形のように、かたかた喋る彼女に、綺羅星はチェーンソーを構えながら最後の問いを返す。
返事は、自然と――
当たり前のように、口から零れた。
「わ、私を……踏んでくれて、ありがとうございます」
「…………」
「切り刻んでくれて、ありがとうございます……!」
それだけ、です。
友達だから。
あは、あはは……と乾いた笑いを浮かべる彼女に、――綺羅星はようやく、振り上げた刃を無言で止める。
「分かってくれたようで、嬉しいわ」
「え、えへへ……ありがとう、ございます……」
人形のように壊れた目を浮かべて笑う城ヶ崎に、綺羅星は満足したように手を伸ばす。
さあ。理解したなら、仲直りの時間だ。
……と思ったけど、腕が両方ともなかったので。
綺羅星はその代わりに、壊れた人形を抱えるように彼女の背中をそっと持ち上げ――
城ヶ崎の左肩。
傷口に魔力ポーションをあてがい欠けた傷を復元しつつ、傷口に残った魔力痕――証拠をできる限り洗い流しながら、よしよし、と子供をあやすように励ましていく。
続けて右腕、右足と順に癒しながら。
綺羅星はまるで母親が子供をあやすように、優しく、優しく、擦りつけるように……。
「痛かったわね。ごめんなさい城ヶ崎さん、酷いことをしてしまって。でも分かってくれて嬉しいです、私の気持ち」
「はい……よく、わかりました……」
「人は、話し合うことで理解できる。だったかしら?」
綺羅星がにこりと笑い、彼女の肩をぽんぽん、と叩き。
「これからも、問題があったら同じように”和解”しましょうね?」
「ひっ……」
「大丈夫よ。私はいつでも応じてあげる。……だって私達“友達”でしょう? ね?」
仲良しだもの。
引きつった笑顔を浮かべる城ヶ崎に、綺羅星が満足げに頷き――彼女を抱え、歩き出す。
ダンジョンの崩落により、ゲートが閉じる。
全ての証拠を闇に葬り、まるで、何事もなかったかのように、日常へ――
”マザースフィア”分裂体による突発的なダンジョン生成、及びゲートクラッシュ事件。
別宅の通報を受け、現場に到着した迷宮庁の面々が目の当たりにしたのは、現地にたまたま居合わせた女子高生二名によりダンジョンが踏破されたという、前代未聞の報告だった。
驚いた職員が、彼女達に尋ねたところ。
眼鏡をかけた少女は、ごく普通の女子高生らしく――照れくさそうに、応じたという。
「ダンジョンが出た時は驚きましたけど、でも、友達がいてくれたお陰で頑張れました。……私がいまここにいられるのは、彼女のお陰です。でしょう、城ヶ崎さん?」
「っ、は、はい……私達……な、仲良しの友達、なので」
ダンジョンという困難に挑みながらも、笑顔を浮かべる女子高生二人に迷宮庁職員は感銘を受け、その話題は後にSNS界隈でちょっとしたニュースになった。
『女子高生二名 特殊ゲートを自ら踏破 笑顔で友情を語り合う』
ダンジョンが跋扈し、治安が悪化の一途を辿るこのご時世において。
ダンジョン世代に生きた女子高生の活躍は、小さい記事ながらも美談として世間を賑わせ人々の胸を打ったという。
――とても心温まる、友達想いの素敵な話だったね、と。




