第108話 見覚え
それでもなお城ヶ崎は、綺羅星が冗談を口にしているのだろうと信じていた。
私を、試しているのだと。
ダンジョンの狂気に蝕まれてしまった彼女は友達を信じ切れず、暴力を振るい殺意を見せるフリをして私を試しているのだと。
そんな浅はかな想像は、顔面に叩きつけられた拳により一撃で砕かれた。
「――!!」
脳を揺さぶるような、顔面を叩き潰す殴打。
爆撃の嵐により痛覚なんてもうほとんど残ってなかったけど、それでもぐわんと脳がぐらつき、鼻の骨がへし折られたかのような衝撃に、身体が、心が震える。
悲鳴すらあげられず、城ヶ崎の頭がひたすら左右に揺さぶられ視界がぶれる。
――ダンジョン内でのダメージはすべて魔力に換算される。
けれど痛みは、身体を通じて心に響く。
本来ならとっくに魔力残量がゼロになり絶命しているはずだが、いまの城ヶ崎は彼女の薬によりなぜか延命している。
それは救いではない。
薬の効果が切れるまで、暴力の嵐を無限に叩き込むことが出来るという意味だ。
「っ……っ……!」
悲鳴すらあげられずひたすら嬲られ、城ヶ崎はたまらず手を挙げた。
待って。
お願い。
試し行為だとしても、さすがに、これは度が過ぎている――!
「ま、待ってくださ、綺羅星さん……もう、冗談の域を越えて……!」
「まだ冗談なんて言えるあたり、あなたも相当ね。……認めるわ。あなたは、強い」
「っ……」
「あなたは私が思っていた以上に、頭のおかしな女だってこと。けど、私だって負ける訳にはいかないの」
「負けるとか、勝つとか、そんな問題じゃ……」
「あとね? 私だって、ただ殴るだけが能じゃないわよ? 毎日ずっと妄想しちゃうの……お風呂の中で。ベッドの中で。あなたや鎌瀬姉妹にどんなことしようかな、って。そしたらもう止まんなくなって、楽しくて楽しくって……!」
拳を引いた綺羅星が、にぃ、と唇を三日月型に吊り上げ、笑う。
これ以上、何かあるのか。
でも城ヶ崎の痛覚はすでに麻痺していて、これ以上殴られたところで、もう……!
がっ、と額を掴まれ後頭部を叩きつけられる。
痛みと驚きに目を見開いた直後、視界いっぱいに広がるのは――彼女の、左手。
綺羅星の指先が、城ヶ崎の瞼に触れる。
そのまま、ぐい、と無理やり瞼を引っ張られ、眼球をしっかり見開かされた城ヶ崎が見たものは……
眼前で。
彼女がすっと右手の人差し指と中指を揃え、ゆっくりと、ゆっくりとこちらの視界いっぱいに――目玉の中に――
「――ひっ……ま、待っ……!」
あり得ない。そんなの人間に許された行為じゃない。
人の道どころか、獣の道にすら反している。
なのに彼女は何の苦悩も迷いもなく、鳥の嘴のように揃えた指先をゆっくりと。
ゆっくりと、ゆっくりと、ゆっくりと……
動画のスロー再生ように狙いを違えることなく、鳥の嘴でつつくように城ヶ崎の左眼球いっぱいに――嘘、まって、止めてお願いします冗談ですよね、そんな、そんなの――
ぶちゅっ
「――――!!!」
何かが潰れる音とともに、左目の視界が消失する。
同時に、神経を直接ほじくり出されるような。
人が決して触れてはいけない内側を、無理やりごりごりと削られるようおぞましい感覚に、城ヶ崎は声にならない悲鳴をあげ足をバタバタと暴れさせる。
それでも、止めない。止まらない。
新しく手にした玩具を楽しく壊すように、それはもう嬉しそうに嬉しそうに――
「今日はお友達の家に呼ばれたので、仲良く家庭科の授業をしましょう」
「ひ、っ……あ、あっ……」
「まずはお肉を柔らかくするため、火を通した身体を念入りに叩きましてぇ」
再び激痛。城ヶ崎の顔が左右に振れる。
「つぎに柔らかい部分をほぐすため、しっかり指を入れて、生卵のようにかき混ぜましてぇ」
「――! ――!!!」
「この時のコツは両方潰さず、片方だけを残すことです。両方やってしまうと、つぎに私が何をするのか見えなくなります。そうすると、恐怖というスパイスの効果が半減します。塩胡椒はかけ過ぎてはいけません」
でも大丈夫。
失敗しても、回復ポーションを使えばやり直せます。いまは使いませんけれど。
勉強になりましたね、と本物の先生のように微笑を浮かべた彼女は、次にどこを料理しようかなと見下ろし……
ミシリ、とヒビ割れる音が聞こえ、全身が震える。
現実の音ではない。
亀裂が走ったのは、城ヶ崎自身が強固に守り続けた心の壁だ。
――友達のことを、信じていた。
ダンジョンという狂気に飲まれた、可哀想なお友達。
彼女を正すため、城ヶ崎は母の教えを信じ、身を呈して彼女を救おうとして……。
けど違う。
いま私が相手にしている存在は、友達だとか、人間だとかいう認識のカテゴリーすら外れた、正真正銘の――理解不能のバケモノではないか――?
そんな疑念が浮かび、やがて確信へと変化する。
殴られるだけなら、癇癪を起こした人間の八つ当たりだと理解出来る。
青春の一ページとして、友達と喧嘩をし、頬を叩く程度のことはあるかもしれない。
けど。
人を殴りながらニコニコと笑い、人の身体をかき混ぜながら鼻歌交じりに家庭科の授業などと言い出し、次に叩く箇所を品定めしてるような女は、もはや――人の領域を越えている。
自分の、理解できる範囲を越えている。
……これ以上、酷いことにはならないだろう。
そろそろ手加減してくれるだろう。
本当は、私と友達になりたい気持ちを隠している――そんな狂信を、さらなる狂信をもって打ち砕く。
ダメだ。限界を超える。越えられてしまう。
仮に耐えても、壊される。
下手をしたら本当に、殺される……。
限界だ。
これ以上は本当に、ダメ。
そんなことを続けられたら、城ヶ崎河合は――もう、この人を――これ以上は――!
「ま、待って……ひぐっ……こ、降参……」
「ん?」
「お、お願いです、綺羅星さん……これ以上は、ホントに……も、む、無理……っ!」
許しを請うように、残った瞳で涙を流しながら訴える城ヶ崎。
もう許して。分かった。分かったから。
あなたの狂気は十分、私に伝わったから――
「これ以上、殴られたら。私……私は、あなたを、信じられなく、なる……!」
「そう。じゃあ、あなたは私との友達関係を、諦めるのね?」
「っ……それ、は……」
「ん?」
「…………」
それでも、次の句が続かない。
友達を止めます、もう止めます。
あなたとは付き合えません。その一言が、出てこない。
一度口にしてしまえば、城ヶ崎は己の信仰を、本能を。
己の”根源”を捨てることに繋がるから。
理性ではなく、本能が拒む。
例え、自分がここで死んだとしても――
「……それがあなたの答えですね、城ヶ崎さん」
「…………」
「立派な心がけだと思います。私はあなたのことが嫌いだけど、でも。歪んでいても、そこまで頑なに信念を貫き通そうとする姿勢は、嫌いではありません」
「っ……じゃあ……」
「なので私も――切り札、出しますね」
綺羅星がうっすらと歓喜の色すら滲ませながら、インベントリを展開。
黒い渦に手を伸ばし、ゆっくりと、恐怖を煽るように取り出したのは――
ブルオオォォォォ――――ッ!
何故か。どこかで聞き覚えのある刃物の回転音。
ダンジョンで……いや、現実ですらまず耳にすることのない、本来なら木材を切断するための刃を、彼女は喜々と回転させながら取り出し、城ヶ崎の眼前にゆっくりと持ち上げる。
どうしてか。
城ヶ崎にはその刃に、なぜか、見覚えが、
「完全に証拠が残るから、殺すとき以外は使いたくはなかったんだけど。……あなたが本気なら、私も本気を出すしかありません。最後の根比べです」
「…………は?」
「あなたが死んだら、私はお金持ちな城ヶ崎家や迷宮庁に問い詰められて、私は詰みます。
あなたがただ生き残っても、身体に残った魔力痕のせいで私が暴行を振るったことがわかって、私は詰みます。
私はいま、不利な状況に立っています。
……なので私は今から、あなたを徹底的に蹂躙します」
「――――」
「これは、相手の心を掴む戦い。
あなたの心を壊し、二度と私に逆らってはいけないのだと、あなたの本能に植え付ける。
あなたが生き残っても、あなたが私を訴えなければ、私の罪がバレることはありません。
逆にいえば、あなたの心さえ折れなければ……明白な証拠が残る最悪の一手だと、私も理解しています。
まあ……
あなたが私の罪を訴えれば、私とあなたの友情は二度と戻りませんけど、ね?」
私は今から、あなたに酷いことをするけれど。
あなたが本当に友達のことを信じるのなら、私に刻まれようと何をしようと黙っているに違いない――
友情と恐怖を逆手に取られ、心を完全に縛られた城ヶ崎の前で、綺羅星がピエロのように歪んで、笑う。
「そうだ。最後にひとつだけ、いいですか? この武器、女の子に使うのは初めてなんです。あなたが一番最初になるなんて思いもしなかったけど……よかったら感想聞かせてください。次に使うときに、参考にしますので」
「つ、次って」
「では授業の仕上げに入ります。叩いてほぐして、柔らかくなったお肉をしっかり刻んで、美味しく小分けに致しましょう」
綺羅星がゆらりと立ち上がり、ブオオオ、と刃物を鳴らして構えを取ったその瞬間。
――殺される。
城ヶ崎は人生で初めて、本当の危機感を抱き――あの日のことを思い出した。
鎌瀬姉妹とともに学校裏のダンジョンへ立ち入り、バケモノと遭遇した、忘れていたはずの思い出を。




